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【96日目】中国へのパワハラ

ご隠居からのメール:【中国へのパワハラ】

日露戦争から満州事変、ノモンハン戦争までのドラマは見たことがないーーつまり、『坂の上の雲』から『人間と戦争』『人間の条件』との間の空白期間のドラマを見ていないということだな。

実は、その空白に敗戦の悲劇が芽ばえていた。特に日本が中国に21箇条を要求し、南満州と内蒙古の期限を2014年までの延長を認めさせたことは、今でいうパワハラ、モラハラの最たるものだ。当時の日本人はその要求が悪い事だと思っていなかった。そんな要求はするべきではないという正論を主張すれば、非国民とののそられただろう。

実は満州事変が勃発したころの昭和初期の日本は不況で苦しみ、失業者があふれていた。小津安二郎の映画に『大学は出たけれど』はその頃の職にあぶれた若者を描いたものだ。二十世紀末の就職氷河期にすこし似ているが、比較にならない。景気がよくなったのは満州事変以後だ。石原莞爾は日本経済に不況脱出のきかっけを与えたことになる。わが家でいえば、與一さんが満州国政府に職を得て、豊かな生活をすることができたのは満州事変のおかげだともいえる。

昭和十年、奈良の若草公園で二人が見合いをした時の写真が残っているが、おそらくその頃が戦前の日本人がいちばんの幸せな頃だったと思う。しかし、その幸せはパワハラやモラハラで勝ち取ったものだったという側面に目をつぶってはいけないと思う。

日露戦争には大義名分があったが、対中国21箇条の要求には大義名分はなかった。列強諸外国のみんながやっていることだというのは大義のうちに入らない。

文子さんの家出で、礼子さんを連れていったことはあるが、公孝さんを連れていったことはない。その辺に和解と妥協の余地があったということかな。


返信:【Re_中国へのパワハラ】

「人間と戦争」「人間の条件」はみたことがない。時間があるとき、Amazon primeで探してみることにします。色々とサイトを調べてみると、大正時代、原敬さんのあたりから大変そうだね。

第一次大戦中の好景気による物価の上昇から、その反動の株価大暴落、大正デモクラシー、ロシア革命、ワシントン会議、世界恐慌ーー。政治、経済、軍事といろんな問題が起こるなかで、その解決方法として選択したのが、列強国と一緒になって中国へのパワハラをすることだったんだね。

昔と比べると良くなってきているのだろうけど、現代も「ハラスメント問題」は人類の課題だね。テニスプレイヤーの大阪なおみさんの問題も実行委員会やメディアのハラスメントが要因だし、元オリンピック組織委員長の森さん更迭の件も男尊女卑発言のハラスメントが原因だったね。

昔の、昭和の日本はハラスメントの宝庫だったイメージだしね。


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