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【95日目】神郷町

ご隠居からのメール:【神郷町】

「世のため人のため何かしたい」というのは立派な大義名分だ。しかし、立派な大義名分をかかげても、世人は誹謗中傷をしてくる。ひらりひらりと体をかわし生きていかなければならないし、大義名分の重要性が減じるわけでもない。

封建的な田舎の食事時、膳の並べ方に耐えられなくなったのか、それとも他の理由によるものか、文子さんは何度か家出をして京都の妹のところへ逃げた。連れ戻すために與一さんが何度か京都へ行き、なんとか離婚には至らなかった。

離婚の前段階として、娘の礼子さんは高瀬小学校ではなく、京都の小学校を卒業させたはずだ。昭和三十年頃、新郷村と神代村(こうじろ)村が合併して神郷町となり、興一さんが初代町長となった。離婚などしていたら、当選できない。

伯備線では新見と備中高梁が都会だ。備中高梁には山城で知られる備中松山城があるが、新見には城山に陣屋の跡があるだけだ。江戸時代には一国一城の制度があって、備中一国には一城しかみとめられなかった。

返信:【Re_神郷町】

礼子さんが京都の小学校を卒業したのであれば、結構深刻な状況だね。当時は、公孝さんもつれて帰ったのかな。どちらにしても、都会出身の人間が、田舎のしきたりについていくのは、大変なことなんだろう。いしさんは、日南の娘を嫁にもらえば良いのにと考えたはずだけど、それでも輿一さんは素さんを頼り文子さんに嫁いでもらったのには何かしらのこだわりというか、考えがあったんだろうな。

「坂の上の雲」や「龍馬伝」「西郷どん」、渋沢栄吉の「青天を衝け」など明治維新や日清、日露戦争までのいきさつをドラマ化している物は多くあり、学ぶ機会があるけど、日露戦争から満州事変、ノモンハン戦争等、太平洋戦争開戦までのドラマは見たことがない。太平洋戦争の壮絶な敗戦映画はたくさんあるけどね。

アメリカや日本が、隠してきたことなんだろうけどそろそろ、過去から歴史に変わるときがきてるので、物語として語られても良いと思う。ファミリーヒストリーを書くとしてもそのあたりの時代背景があるとわかりやすい。

日露戦争で勝利した日本は、「遼東半島や朝鮮半島の権益」「樺太の南半分を割譲」「鉄道付属地の権利」「鉄道警備隊の駐留兼」「東清鉄道の租借権」などを得て、日韓併合する。世界は第一次世界大戦を迎え、日本は中国に21か条を要求し、南満州と内蒙古の期限を99年延長(2014年まで)。ロシア革命が起き、ソビエト連邦が樹立。中国で反日運動が盛んになった。


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