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【177日目】たまげたね

ご隠居からのメール:【たまげたね】

高瀬の地に月に一度(土日)に行ける体制? おいおい、無理するなよ。そこまで「高瀬の墓」のことを考えてくれているとはたまげたね。

息子による高瀬長谷部家の再興は無理だが、孫ならお家再興をはたせるかもしれないな。それには墓参りよりもまず、ビジネスの世界で成功することが先だろう。あくまでもウェディング関連分野ビジネスでの成功を主眼として活動してほしい。

資本主義社会で生きていくには、何よりもカネが必要、妻子に安心安全を保証するだけの余剰資金をつくっておいてから、余剰資金を投資するならよいが、なけなしの生活費を使ったのでは話にならない。

オレの場合、はっきり言って、人間失格、今や墓参りは不要不急の外出だから、冠婚葬祭のおつきあいは交通費節約のため、浅草寺詣りにとどめる。高瀬どころか、鎌倉の円覚寺でさえ遠すぎる。
 

昨日、柚木脇治恵さんから電話連絡があり、広島の弟夫妻が草刈り機をもって、墓参りをし、土産物持参で信谷家に立ち寄ったそうだ。立木の枝払いの件も頭を下げてお願いしたというから一件落着だ。このようなこともあろうかと、フユさんと善右衛門さんを分家させた與左衞門さんには先見の明があったといえる。

>>杠城ゆずりはじょうの新見氏(尼子方)は、1566年(永禄九年)に三村氏(毛利方)に侵攻され、落城しているようだ。

ーー新見氏(尼子派)、三村氏(毛利派)、今田氏(毛利・吉川派)の情報、ありがとう。国人の支配者がコロコロかわる中で、どさくさにまぎれて、松田氏や長谷部氏が侵攻してきて、いつのまにか居座ったという印象を受ける。

>>ふと、疑問に思うのは、日野長谷部氏、神官の長谷部氏は、ご先祖さま
>>が「上月城の戦」で敗れ、落人となったときに手を差しのべなかったの
>>は何故だろう。これも、遠くの親戚より近くの他人かな。

ーーそうだね。血は水よりも濃し、ともいうが、去る者は日々に疎し、だ。

 

 返信:【Re_たまげたね】

広島のおじさんが雑草を取り払い墓を綺麗にしてくれたのであれば、本当によかった。墓へ続く道など本当に荒れ果てていたからね。現地で困っていた信谷のぶたにさんにとっても課題が解決されてよかったよ。

ひとまず、これでご先祖様も安心しただろう。

 あとは、ご先祖様が残した土地に子孫が、数年に一度遊びに行けて、ついでに墓参りできるような環境、例えば宿泊施設や山や川で遊べたりしたらいいなと思っているが、高瀬の地は過疎化が進み、やがて、荒廃した水田だらけになってしまうだろうから、古代から続いている歴史も終わりを遂げてしまうことになるだろうな。

このような、問題は高瀬の地だけでなく全国的な社会問題になっている。理由は、人と金の問題。金で苦労するから人が集まらないのだが、金を生み出すことができれば、人が集まり、土地の価値もあがっていく。そのような地方創生事業には以前から興味を持っている。

きっかけは、2018年に会社創立20周年のイベント責任者として「社員の願いを叶える」という企画を考えた。そのなかで一人の社員が、故郷の長崎県五島列島にある宇久島という離島の地方創生について、会長、社長に意見をもらいたいという願いがあり、ふたりの視察を企画し、同行した経験がある。

そのときから興味があり、地方創生事業の延長で墓を綺麗に保ち、長谷部家の歴史が守られたらいいなと思った次第だ。

地方創生事業については、ご縁があって「食の6次産業プロデューサー」という資格をとるために、九月から始まる講習会に参加することになった。内閣府が推進していることなので人脈と知識が増える。何かヒントやご縁があるかもしれないしね。

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