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【163日目】立木伐採と墓への疑問

ご隠居からのメール:【立木伐採と墓への疑問】

昨日、広島の弟に電話して、立木の件と墓の件について問い合わせた。立木は、枝を払ってもよいと信谷清巳さんにはすでに伝えてあるという。ただし、木そのものを幹ごと切るのは待ってくれということだ。

墓は、まず、友次郎六代目の内容を調べてくれと依頼した。過去帳の写しあるが、よくわからないとのこと。その他、いろいろ聞きたいことが多いが、弟はそんな昔のことには興味も持っていない。本日、あらためて問題点を整理し、質問事項を手紙に書いて問い合わせみる。その結果はわかる範囲内でいいことにしよう。

信谷さんの隣人や分家の住人については知らなかった。隣人については井田さんではなく、見田さん(イシさんの実家)ではないかという。清巳さんの同級生で親しい人がいるという。



返信:【Re_立木伐採と墓への疑問】

立木を伐採する件、自分も気になっていたんだ。広島のおじさんに話を通さず、信谷さんに切って良いと伝えてしまったので。連絡してもらってよかった。

信谷さんとの話しで思い出したこと、長谷部の家を取り壊すときに立派な大黒柱があって、業者が持って帰った。どえりゃあ財産持ちだと言っていた。

「山椒魚の故郷」の本についても話していた。信谷さんもお父さんの読者だった。内田百閒学賞の受賞は、高瀬の住人に誇らしいことなんだろうなと思ったよ。

見田さんが隣に住んでいるのか。これまた、興味深いな。太平洋戦争で見田守登さんが亡くなってから大変だったろうなと思ったが、守登さんのお子さんということだろうか。福栄村から高瀬に引っ越してきたのかな。

信谷さんに「尼子の落人」について聞いてみたが、聞いたことがないと言っていた。右隣の松田さんは「尼子の落人」と聞いたことがあると。松田さんの家も、当主が亡くなっていて、お子さんが、たまに来るだけになっているとのこと。

途中、道を聞くついでに、歩いていた村民の長谷川さんにも「尼子の落人」について聞いてみたが、知らないと言っていた。長谷川さんは、亀尾神社の氏子で、道を聞いたとき「はちまんさん、はちまんさん」と言っていた。松田氏のことを言っていたんだろうな。八幡神社に寄ることができなかったことは、残念だった。

ただ、関心事の一つであった「尼子の落人」は、高瀬村全体の話ではない可能性があるね。

日野にいる長谷部氏に聞いてみないとわからないが、おそらく認識していないだろう。すると、尼子再興軍に参戦した西谷村の牛之助と高瀬村に土着したご先祖様の長谷部氏に限り「尼子の落人」なんだ。

友次郎さんと見田イシさん夫妻が、大原津弥つねさんを幼少のころから養子にしたことに理由があると思う。津弥さんには、長谷部氏と尼子氏の血が流れているためと考えると「尼子の落人」は、大原氏と関係していることになる。

長谷部の屋号が「おおはら」というのも、気になってくる。


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