【283日目】初詣
ご隠居からのメール:【初詣】
数年前まで、初詣は成田山新勝寺まで出かけていたが、最近は地元の豊受神社で一時間ほど並ぶことにしている。成田山新勝寺なら五時間以上、並ぶところだ。
豊受神社の御祭神は、豊受姫大神である。「古事記」によれば、天照大神はこの神から五穀の種子を受け、神産巣日神は、この神から五穀・養蚕の道を受けたという。五穀豊穣の食物の神だから、太平の時代の初詣にはふさわしい。
今年の冬は例年より寒いので、ぐずぐずしていたら、初詣に出かけるタイミングを逸した。最近は末娘が同行してくれていたのだが、今年は末娘からの積極的な声かけもなかったことも理由にして、心ならずもサボってしまった。
その時点では、神ならぬ身の知る由もなかったのだが、どうやら初詣を怠ったことを咎められて、神罰が下されたらしい。
返信:【Re_初詣】
昨年、2021年の出来事で、わが家の大きな出来事とすると、男部屋と女部屋にわけたということだろう。背景は、息子が自分のデスクと椅子が欲しいという発言からはじまった。
当初は、引越しを考えたが、夫婦論争が勃発したので、いまは休戦中だ。その代替案として部屋をわけたということなのだが、息子が欲しがっているデスクや椅子というのが、YoutuberやEスポーツのプレイヤーが使用しているような、いまどきのモノだ。
ニトリで絨毯を買って、2段ベッドを男性部屋へ寝室にあった、キングベッドは、女性部屋に移動させた。この部屋替えの企画、実行は、全て息子が主導した。他家族たちは、息子の熱意に根負けして支援する形になったのだ。
彼の情熱は、すごかった。今まで買ってもらってきたゲームのカセットを、義父に頼みメルカリで売り払う。その金で椅子をかっていた。絨毯と机は、親が負担したが、なかなか良いレイアウトになった。そのデスクをつかわせてもらって、「note」の制作作業をしている。
ふと、デスクの前にあるカーテンを全開にあけると、街並みを一望しながら作業ができる。今日までこんなロイヤリティがあるなんて気が付かなかった。ももちろんテラスからは街並みが一望できることは知っていたが、ただ、ただカーテンを開けて作業をすればよいだけだった。
人生には、このように見落としていることがたくさんあって、それが、人の役にたつものならビジネスにつながることもあるのだろうけど、「うぬぼれ」や「おごり」があると、このような発見はできないと思う。やはり、感謝することが、「おごれる人」にならない、なによりもの防衛策なんだろう。
ほんとうに、いい眺めだ。テラスには先日、降り積もった雪が残りながら氷が張っている。街並みは息子が通っている中学校や、マンション。奥の方には一軒家が建ち並ぶ。そして、雲一つない冬の青空が一面にひろがり、その様子をただただ、文字にしている。
昨年引越しをしなかったことも、息子の情熱も、家族の支えも、雪が降ったことも、天気が良い事さえも感謝することができる。こういう時間を1分でも1秒でも感じることができることが、なによりも、心豊かな時間だと思う。「足るを知る」だし、「及ばざるは過ぎたるに勝れり」だ。
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