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■【より道‐69】戦乱の世に至るまでの日本史_これまでの南北朝問題の整理

こじれにこじれた、中世の足利室町幕府。覚える方も大変です。ここで、一度整理したいと思います。

【第一ラウンド:鎌倉幕府倒幕】
・主な争い:両統迭立問題/源平の争い
・対立①:大覚寺統VS持明院統
・対立②:北条氏VS足利氏
・年代:1333年(元弘三年)
・戦名:「船上山の戦」「元弘の乱」
・主な事象:後醍醐天皇の反乱/源氏の寝返り
・勝者:大覚寺統および足利氏
・敗者:光厳天皇の退位/北条一族の自害

【第二ラウンド:建武の新政】
・主な争い:公家一統問題/親子対決
・対立①:公家VS武家
・対立②:護良親王VS足利尊氏
・対立③:阿野 廉子VS護良親王
・対立④:後醍醐天皇VS護良親王
・年代:1334年(建武元年)
・戦名:足利尊氏討伐計画
・主な事象:公家への厚遇、武家への冷遇/足利尊氏が幕府を開く疑い
・勝者:公家および後醍醐天皇
・敗者:護良親王の鎌倉幽閉

【第三ラウンド:建武の乱】
・主な争い:南北朝問題/源氏内対決
・対立①:公家一統VS公武一体
・対立②:北条氏残党VS建武新政軍
・対立③:新田-楠木連合VS足利-佐々木連合
・年代:1336年(延元元年)
・戦名:「中先代の乱」「湊川の戦」
・主な内容:北条氏残党の反乱をきっかけに足利氏が反旗を翻す
・勝者:公武一体(大覚寺統)及び足利-佐々木氏連合
・敗者:有力武家の討死/南朝(吉野)への移動

【第四ラウンド:婆娑羅の不満】
・主な争い:婆娑羅問題・譜代外様対決
・対立①:政務VS婆娑羅
・対立②:足利直義VS高師直
・年代:1340年(興国元年)~1347年(正平二年)
・戦名:「妙法院放火」「上皇弓射事件」「四條畷の戦」
・主な内容:南朝の戦にばかり駆り出される婆娑羅たちの武功
・勝者:高師直
・敗者:足利直義派閥の面子がつぶれる

【第五ラウンド:高師直の排除】
・主な争い:高師直の排除
・対立:足利直義VS高師直
・年代:1349年(正平四年)
・戦名:「執事職の解任」「高師直の暗殺計画」
・主な内容:悪行重ねる高師直への糾弾、排除運動
・勝者:足利直義
・敗者:高師直は執事の役を解任される

【第六ラウンド:足利直義の排除】
・主な争い:幕政争い
・対立:足利直義VS高師直/足利尊氏
・年代:1349年(正平四年)
・戦名:「高師直の挙兵」
・主な内容:高師直の挙兵により足利直義の失脚、足利義詮が政務を行う
・勝者:高師直/足利尊氏
・敗者:足利直義は仏の道に進み、足利義詮の政務を支援する

【第七ラウンド:第一次観応の擾乱】
・主な争い:足利直冬の台頭
・対立:足利尊氏VS足利直義/足利直冬
・年代:1350年(観応元年)
・戦名:「打出浜の戦」「高一族の惨殺」
・主な内容:足利直冬の挙兵により足利直義の復権
・勝者:足利直義/足利直冬
・敗者:高師直が仏の道に進むことになるが、上杉氏の復讐により高一族が惨殺される

【第八ラウンド:第二次観応の擾乱】
・主な争い:足利直義の排除
・対立①:足利尊氏VS足利直義
・対立②:後村上天皇(南朝)VS光明天皇(北朝)
・年代:1351年(観応二年)
・戦名:正平一統
・主な内容:足利尊氏と南朝が和睦をして北朝の光明天皇を退位させる
・勝者:足利尊氏・後村上天皇(南朝)
・敗者:足利直義の死亡(毒殺説)

【第九ラウンド:第三次観応の擾乱】
・主な争い:南朝の裏切り
・対立①:足利尊氏VS北畠親房
・対立②:足利一族VS新田・楠木・北条連合
・年代:1351年(観応二年)
・戦名:正平一統の破断
・主な内容:足利尊氏の征夷大将軍の任をとき鎌倉幕府を制圧
・勝者:北畠親房・後村上天皇(南朝)
・敗者:足利尊氏、足利義詮

【第十ラウンド:第四次観応の擾乱】
・主な争い:京都、鎌倉の奪還
・対立①:光明天皇VS後村上天皇
・対立②:室町幕府VS新田/楠木/北条連合
・年代:1351年(観応二年)
・戦名:正平一統の破断
・主な内容:足利尊氏が鎌倉を奪還し、足利義詮が京の都を奪還
・勝者:足利一族・光明天皇(北朝)
・敗者:新田/楠木/北条連合・後村上天皇

【第十一ラウンド:第五次観応の擾乱】
・主な争い:山名時氏の謀反
・対立①:室町幕府(北朝)VS山名時氏・楠木一族(南朝)
・年代:1353年(文和二年)
・戦名:山名氏の出雲および京都の一時制圧
・主な内容:佐々木道誉と山名時氏の所領問題
・勝者:鎌倉の足利尊氏が京都へ援軍に来たため、足利一族の京都奪還
・敗者:山名時氏・楠木一族

【第十二ラウンド:第六次観応の擾乱】
・主な争い:足利直冬の発起
・対立①:足利尊氏(北朝)VS足利直冬(南朝)
・対立②:室町幕府(北朝)VS直義派閥(桃井・山名・大内)(南朝)
・年代:1354年(文和三年)
・戦名:「神南の戦」
・主な内容:足利直冬、直義派閥が一時京都を制圧するが、室町幕府が奪還
・勝者:室町幕府
・敗者:足利直冬の逃亡


十二ラウンドもあると、わけがわからいです。もうすこしまとめてみると、以下のようなながれでしょうか。

①勝者・南朝:「元弘の乱」で後醍醐天皇、源氏一族が鎌倉と京都を制圧
②勝者・北朝:「建武の乱」で後醍醐天皇一派を南朝へ追い出す
③勝者・なし:室町幕府内で権力争いが起こる
④勝者・南朝:足利直義派閥が南朝に属して反旗を翻す
⑤勝者・南朝:足利尊氏が南朝に属して政権を担う
⑥勝者・南朝:京の都を制圧した南朝が足利一族を排除する
⑦勝者・北朝:足利一族が鎌倉と京都を奪還する
⑧勝者・北朝:足利一族内で所領問題が発生するが制圧する
⑨勝者・北朝:足利直冬が京都に攻め込むが制圧する

もうすこし、要約すると、、こんな感じでしょうか。

①勝者・南朝:「元弘の乱」で後醍醐天皇、源氏一族が鎌倉と京都を制圧
②勝者・北朝:「建武の乱」で後醍醐天皇一派を南朝へ追い出す
③勝者・南朝:「観応の擾乱」幕府内で争いが起きるように調略し足利一族を排除する
④勝者・北朝:「観応の擾乱」室町幕府が鎌倉と京都を奪還する
⑤勝者・北朝:幕府内で争いが起きるように調略するが制圧される

この流れなら何とか覚えられます。不屈の男、後醍醐天皇の皇位継承、公家一統の執念は、後醍醐帝亡きあとも、その意思をついで多くの人がなくなりました。

南北朝問題は、足利尊氏と足利直冬の親子対決で一時収束しますが、その後、第三代将軍、足利義満の時代まで続きます。

この、日本の動乱に巻き込まれたご先祖さま。よくも、まあ、生き残って命をつないでくれたと思います。


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