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【84日目】私小説

ご隠居からのメール:【私小説】

>いままでは、成功者しか書くものではなかったが、
>現在は、自分みたいに、ブログで残せるし

>だから、80年後の子孫たちが、
>ご隠居の「尼子の落人」を読んで
>人生の糧にする可能性は大いにあるよね。

わかった。だが、やはりブログよりも紙のほうが読みやすい。それなら、「山椒魚の故郷」「方谷塾入門」の他に、「尼子の落人」も本のかたちにして子孫のために残しておいたほうがよいのではないか。「尼子の落人」と「新見太平記」はそのまま置き、新たに別のファミリーヒストリー的な随筆を二、三冊完成させるよう、しばらく頑張ってみることにするよ。

天皇制とキリスト教は水と油の関係だが、生前の山室軍平は水と油を融合させる奇蹟をなしとげた。救世軍の創設者はウイリアム・ブース司令官で、明治四十年(一九〇七年)に来日し、明治天皇に拝謁した。これは前にも書いたが、日英同盟のおかげで日露戦争に勝つことができた。

英国との関係が良好なうちは、救世軍は無事だったが、日英同盟が崩れて、日本が孤立化すると、自称愛国者たちからの迫害がはじまった。そもそも一神教のキリスト教と万世一系の天皇制は論理的には両立するはずがない。その意味では與一さんと貴美子さんとの結婚生活は「出発点が間違っていた」ことになる。

素さんは與一さんに大豆の論文について質問しているが、中国は最近になっても大豆が品不足だそうだ。

暖かい嘘か、冷たい真実か。ブロガーは真実をオブラートに包んで、暖かい嘘を書くが、「僕達の結婚生活は出発点が間違っていた」とまでは書けそうもない。実は、人生の失敗者が大逆転で、あえて自らの失敗を赤裸々に書いて、作家として成功者になるという伝統がかつての日本文学にはあった。今は私小説作家は絶滅危惧種だ。

だが、文章はマイペースで書き続けて、他者の視線にさらし、批判を浴びることによって、心身を磨くことができるという効用もある。


返信:【Re_私小説】

ファミリーヒストリー楽しみにしてるよ。近代史のことも書けるだろうし、おまけで、佐藤家や豊島家のことも書けるでしょう。

豊島家、佐藤家を、少し調べてみた。雲洲益田潘と検索してもヒットしなかったが、江戸幕府の旗本に益田孝さんがいた。この方は、三井財閥の基礎をつくった人と書いてあった。

ずいぶん偉い人の家来だったんだなー。と、思ってたら諜報員が面白い人を見つけてきた笑。

*参考資料「豊島陽蔵」

 【豊島陽蔵さん】
 ・坂の上の雲にも出る人
 ・秋山好古の士官学校1期先輩
 ・日露戦争203高地出征
 ・10代目の広島市長
 ・信安さんは13代目
 ・豊島陽蔵さんと原敬さんは仲が良い
 ・信安さんは大正11年に急に市長になる

日清戦争で明治天皇が指揮をとるため、広島大本営ができたときの司令官。広島におおきな地盤があってもおかしくない。弁護士で親戚の佐藤信安さんに外堀固めて、広島市長にしたのでは、、と予測。間違いなく、日本を動かした人物のひとりだね。


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