間違った情報を発信した事に気付いた時にどう対応すべきか
はじめに
インターネットは「間違った情報、デマが広がりやすい」という特性を持つ。そういった環境の中で、自身が間違った情報の発信者、拡散者になってしまう事を100%防ぎきる、というのは非常に難しい事だ。
一方で、間違った情報を発信してしまった時にできる対応というのはそう難しくはない。間違いを防ぐ心がけと同時に「もし自分の拡散が間違っていたら」という所を考えましょうという記事。
インターネットとデマ
ご存知の通り、インターネットとデマの関係の歴史は長い。
メールの仕組みが出来た時点からチェーンメールは流行していたし、その後も掲示板、SNSと場所と形を変えて、「瞬間的に嘘や噂が広がる環境」を提供しているのがインターネットだ。今やフェイクニュースという言葉が広がる程で、たった1つの間違った情報から人の行動、生死までもが変化してしまう事もある (*1)。
インターネットにおける情報拡散の厄介な、テレビ、新聞や書籍と違って「発信者が1人、1企業でない事」や「瞬間的な情報伝達のスピードが早い事」「同調圧力、承認欲求に強く裏付けられる事」などがある。
テレビのように中央の誰かがゴメンナサイしても間違いの発信は収まらないし、書籍のように時間をかけて多角的に評価された後に伝達される訳でもない。3日経って正確な情報が出てこれば絶対に間違いである事が分かるような見え透いたデマも、「さっき信頼できる人が言っていた」「希有で有益な情報を発信する事に価値がある」といった場面や性質の前では瞬間的に本物の情報となってしまう。
最近では、コロナに関連して買い占め、ロックダウン、チェーンメールのような概念による「知り合いの医療従事者から聞いた話〜」といったデマが広がっている件が記憶に新しい。これらを拡散するのは、情報の正確性に対して敏感でない人が多いのはもちろんだが、それなりの知識や立場を持つような人の間違った論文解説や分析を元にしたものも含まれる (*2)。
リモートワークで流行するZoomに対するデマ等も酷いものだ。元々既知として存在していたZoomの問題と、それ以外の問題を混ぜ合わせ、批判するような記事が複数出てきて、SNSによって拡散されている。
ここではURLで名指ししないが「人間はいつか死ぬ、人間はお菓子を食べる、なのでお菓子は悪いものだ!」のようなレベルの論理の破綻した話を、少し複雑にそれっぽく書いているだけの記事がバズっていたりして頭が痛い。
(* Zoomが持つ課題がゼロであるとは言っていないし懸念を持っている側面はもちろんある)
ただ前述の通り、ここで何より難しいのは「ソースを1つ1つ調べていけば分かるようなレベルの話」でも、「情報の品質について何より分かっているようなインターネットを十数年楽しんでいるような人たち」でも、インターネットでは瞬間的に間違った情報の発信者、拡散者になってしまうという事だ。
自分を見つめ直す
筆者である私自身が間違った情報発信者になったことはない、というのは確実に嘘になる。
今までいくつものツイートやRTを消しているし、それによって間違った情報を信じたり不快な思いを誘発してしまっていることだろう。
自分の専門であっても、間違う事がないとは言えない。
例えば以下の技術記事は、私が2017年に書いたものだ。
この記事は、はてなブックマークというサービスでブックマーク数が2000を超えており、全てのはてなブログのプログラミング技術記事の中でもかなり多く拡散、読まれた記事であるという事がわかる。
端的に内容を説明すると、プログラムを通してWebサイトから情報を取得するためのノウハウを詰め込んだ記事である。
この記事では、追記の通り、公開当初に技術的、倫理的に問題のある箇所を含んでいた。そして、その事をTwitter上で指摘される形となった。
Webサイトからプログラムを使い自動でデータを取得する時に「アクセスを多く行う攻撃」と勘違いされる可能性があるのは容易に想像できる。
そのような場面では、技術者として真摯に対応するためのいくつかの方法があり、その1つが「相手に自分がプログラムですよという情報を伝える」という方法がある(指摘上のUserAgent)。この仕組みは、逆に言えば「自分は真っ当なブラウザからのアクセスですよ」と嘘をつく事も可能なものだ。
指摘され変更を実施する前の記事では、サンプルとしてUserAgentに既存のブラウザで利用されている文字列を入れる形でコードを記事内に挿入し公開していた。このサンプルと「データ取得は真摯に行うべき」という別の箇所の主張に矛盾があるというのが上記のツイートの指摘にあたる。
これは、明らかにサンプルとすべき例ではなく、この記事を読んだプログラマが、コードをそのままコピーして利用し、嘘の情報でデータ取得プログラムを実行してしまう事も考えられる、悪質な情報であるといえる。
私のたった1つのツイート、たった1つの技術記事によって、どういった影響が発生しうるか考慮できていなかった不注意、不勉強による、情報発信が気付かないうちに発生しているわけで、今記事を書いているこの瞬間も思い返して後悔する事が他にも多くある。
情報発信を見つめ直す
デマが多いから発信をやめるべきかと問われれば、それは違うよなと私は思う。それぞれ各個人が持つ希有な情報、経験の発信によって成り立つインターネットがある事実もあるからだ。
私自身、ニュースを読む時から家事をする時、新しい技術を勉強する時、物を作る時、インターネットに先人の公開された知恵や経験に助けられている。料理サイトを見れば最初から熟練し考え抜かれたレシピを知れるし、何かを待ったりせずとも、最低限の環境だとしても動画や生放送で知識や考え方を見聞きできる。FacebookやTwitterを見て他者との知識的な繋がりを認識して他人の幸せを見て元気になる事もある。猫には癒やされる。
どれもが、個人の情報、経験、知識、環境、見聞の発信の結果だし、これらが得られるインターネットは最高だ。
間違った時にどうすべきか
巷には「人間は間違う生き物なので〜」という言説がよく展開されるが、前提として「間違いは悔しいものである」というものがあるように思う。
インターネットの情報発信に限らず、間違って指摘されるというのは「悔しい」ものだ。悔しい心を根源として、更に間違いを重ねてしまったり、間違いを正しくすべく動いてしまったり、声を荒げてしまったりする場面を誰しも見たことあるだろう。
私だって人生見返せば過去何度も、悔しさから来る心の防衛反応のような態度があったと反省している。後から考えて、悔しさを分解していけば何ともないただの間違いであっただけな事も多い。
インターネットでは、この防衛反応も加速する事は意識しておくべきだと思う。先生1人、親1人に間違いを怒られる状況とは違い、なんせインターネットでは全員が先生だ。発信の内容が間違っている事が分かった時、数百、数千人の先生が押しかけて強い言葉で叱咤してくる。指摘の量と悔しさ、防衛反応は相乗的に増幅するもので、そこで真摯になれるかというのは、誰にだって難しい問題だ。
どれほどの人格者や成功者でも、この対応で失敗しているのを見る限り、これは間違いではない。誰にとっても難しい問題だ。
私は最近「悔しいし間違った発信と気付いたらそっと消す所から始めれば良い」とよく思う。
もちろん最大の真摯さを見せるなら、最初から自身の間違いを謝り、間違う前の状態と修正の差分を見せ、気付いた指摘から今後の考えまで示すのがベストだろうとは思う。
インターネットには「消せば増える」という言葉があるし、どこにもログやスクリーンショットが残らないなんて事はないし、後に「あの時間違った発信、拡散を行っていた」と後ろ指を指されるかも知れないし、発信や間違いに対して謝罪が称賛されにくい不均衡性も未だに存在する。
ストライサンド効果、消せば増える、恐ろしさは確かに簡単には拭えない。
それでも、情報発信、拡散において「自分の発信を消す」というのは、かなり具体的な第一歩だと私は思うし勧めたい。
時間が追うごとに増えていく指摘による悔しさの増長を出来る限り防いで自身を守れるし、拡散への助長を止めるという大きな一歩だ。一時的な感情の起伏から来る投稿も、知識の乏しさ、ドキュメントやソースを読まない不勉強からくる情報発信も、不注意による拡散も、消す事から始める形で何の問題もない。リツイートなら取り消せばいいし、もし投稿が消せないなら、まず間違いなので見なかった事にしてほしい旨を伝える、たったそれだけで良い。
消す事で「消して逃げた」という反応をされる事もあるだろうが、爆発力、瞬発力の必要なインターネットで初手に逃げて冷静に自身を見返す事は大切だし、真摯な行動の1つだと思う。追って調べて検証して学べば良いし、もしそれでも気持ちに区切りが付かなければ、前述したような謝ったり、ログを残す行動を取れば良い。
悔しさを増長させすぎない事、そこに対して考えて本人が区切りを付ける事、社会的に真摯になる事が一番大切だと私は思う。
失敗するために
失敗しない対策として、発信、拡散する前に引用先やソース、自分の文章を見直すというのは当たり前で大事な事だ。
引用先がないスクリーンショットや動画は怪しいし、知り合いから見聞きしたんだけどという情報は怪しいし、それをどれだけ信頼できる人が発信していたとしても怪しい。怪しむ事で、未然に防げる物事は沢山ある。
一方、今後は失敗する事を前提としながら投稿する「消せる環境を用意しておく」「自分の発信でも引用をなるべく付ける」という行動を取る発信も大事にされると良いと思う。
いざとなったら古いツイートもブログ記事も消せる状態にあるというのは非常に大事。メディアが一部を切り貼りして報道するように、過去の意見を掘り返して切り貼りして追撃する個人というのは多く居るので守れるようにしておくと良い。
また、自分の発言でもなるべく根拠とする引用や元ソースと紐付けて、投稿するのも大事。引用は、引用先の相手の権利を守るだけでなく、失敗した時に自分の論理が間違っているのか、元々が間違っているのか、指摘が間違っているのかを客観的に判断してもらえる一要素にもなり得る。
間違った時には、自分を守れるように、真摯に動けるようにしておくことこそが、最も真摯な情報発信、拡散であると私は思う。
おわりに
この記事だって私の一個人の意見であって、間違いに間違った嘘偽りの情報かもしれない。もしそれを指摘された時、私がどういった行動を取るかも念頭において記事を読み返して貰えると良いと思う。
発信や拡散にはリスクが付き物だけど、自分を守りながらちょっとだけ真摯になる事を考えてあげれば、こんなにも世界に貢献できることはなかなか無い。
少しずつ頑張りましょう。
意見をお待ちしております。
*1 総務省|令和元年版 情報通信白書|フェイクニュースを巡る動向が詳しい https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r01/html/nd114400.html
*2 正確な基礎情報を日本語で得る場合は日本医師会 http://www.med.or.jp/people/info/people_info/009162.html 及び日本赤十字社 http://www.jrc.or.jp/ を参考にすると良い。Twitterでは責任を持たない個人の分析や解説が横行している事を念頭に
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