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内圧をカンカンに高める

星のカービィやスマブラを開発しているクリエイター、桜井政博さんのYouTubeチャンネルに「内圧をカンカンに高める」という本当に素晴らしい動画がある。是非、多くの人に見てほしい。

さて、内圧が高まると良いのは何故だろうか。桜井さんをリスペクトした上で、前職から考えている事を書いておく。


人の思考は木、現実はグラフ

仕事をしていると、多くの人が論理的に物事を解釈しようとする。

「解像度を上げる」において、木の形で表現されるソレは、ビジネスシーンにおいて必須の考え方である事は間違いない。この「物事を木のように捉える思考」「論理的思考」における、多くの情報を蓄え、整理して言語に出来ることの価値は言うまでもなく高い。

何故なら、そうしなければ「人に伝える」という事が出来ないからである。

一方で、価値が非常に高い分、その思考が障壁になったりネガティブに傾いているシーンには目が向けられにくいなと感じる事がある。

そしてそれは「現実の情報が木ではないからだ」と考えている。

既に整理された木の情報に囚われ動けなくなったり、木を作る作法は百人百様であるにも関わらず他者が作った思考の木が受け入れられなかったり、エッジケースを認められなかったり、本来繋がるはずの情報を逃してしまう事は誰しも経験があるはずだ。

現実の情報がグラフであるとすると、グラフが持つ情報量、エッジを削って整理して木にする行動を重ねれば自然と起きる現象とも言える。


内圧を高めるということはグラフに向き合うということ

良いものづくり、組織づくり、人生づくり、行動などをするために「内圧を高める」という行為が重要になってくるのだと考えている。

内圧を高める

「内圧を高める」という作業は、物事を木として解釈するのではなく、より現実に近いグラフの状態に近付ける作業であると捉えている。

グラフ構造である以上、何かを動かせば別の所に波及していくし、そこには「あちらを立てればこちらが立たず」な状況に出会ったり、首尾一貫した考えを持つ事が非常に難しくなったりする。

こうなると、大局を見極めた"決断"であったり、"情熱"でしか突破できない問題になっている事が多く、元の動画で言う所の「内圧の高まった人の企画書は熱量がある」とされている状態になる。

ゲーム作り然り、プログラミング然り、プロダクト作り然り、組織作り然り、何かをクリエイトする作業ではかなり重要な状態であり、実際に私自身も「これはインパクトが大きかったな」と思う物事の裏側には高い内圧が存在するように振り返ると思う。


言葉の魔

人は、論理的な思考に慣れてくると、すぐに木を作って発信してしまう。木の構築が早くレスポンスの良い人は、確かに頭が良いなと感じる事も多いし、何をするにあたっても成功確率も高く、私自身そういった人に日々助けられている。

一方で、元の動画にあるように「言葉として発して」しまうと、整理された物事のように見えて大きな熱量に変わりにくかったり、変化できなくなる事も実際あるとも感じている。

私自身、Twitterやブログに投稿した内容において、投稿してしまった瞬間から熱が萎んでしまう経験は少なくなし、その投稿によって本来あった情報や多様な世界観に制限をかけているなと思うこともある。透明化や見える化という言葉を盲信すると、至れないクリエイティブやイノベーションもある。

巷で言われる「言語化の魔力」とはよく言ったもので、言葉は重要な武器ではあるが、その思考の発信の仕方やタイミング、量などによっては魔の部分があるものだと日々感じている。

それは、現実が言語だけでは表すのが難しい問題ばかりだからである。


現実のグラフを見つめるということ

内圧を高めるため、日々悶々としているのは、はっきり言って一般的な人間には辛くしんどい作業である。

情報を仕入れ自分の中での情報を膨らませるだけでなく、他者の決断や意思、その裏側にある思惑に触れたり、その問題の歴史的な経緯、世の中の情勢や自分自身の劣悪な部分と向き合う事に繋がる事もある。理想とのギャップやジレンマに気付くことも必然的に多くなる。

こうしていると、その物事自体が嫌いになってしまう可能性とのバランスが崩れてしまいそうになる。

マイケル・サンデルは『ハーバード白熱教室講義録』内の講義において、自身の社会哲学の講義のリスクについて政治的、個人的なリスクがあるとしており、個人的なリスクについて以下のように語っている。

哲学は私達を慣れ親しんだものから引き離す。新しい情報をもたらすことによってではなく、新しいものの見方を喚起することによって、引き離すのだ。しかし、ここにもリスクがある。慣れ親しんだものが見慣れないものに変わってしまえば、それは二度と同じものにはなりえない。
自己認識とは、純粋さを失うようなものだ。

ハーバード白熱教室講義録 - マイケル・サンデル

内圧を高めながらも、どこかで切り替える事も大切である。


また、あまりにカンカンに高まった内圧は、人に伝わらず、時と場合によっては引かせてしまう事もある。必ずどこかで木にする力が求められるし、木の状態で人に伝え、フィードバックを得てその木を成長させる事もまた必要であるなとも思う。

一方で、木を作り直したりアップデートしていきます、では熱量や本質的な関係性、多様性を見抜けなくなってしまうし、(グラフ構造の中で首尾一貫する事自体が難しいのだが)複雑な状態の中で首尾一貫していない言動を取ると、マクロな視点であったり長期的に見た時に人や結果がなかなかついてこない。

どちらかと言えば、先に必要なのは木を作れる能力で、そこに奢らず、辛い思考、難しい思考から逃げず、内圧を高めろという話なのかも知れない。


おわりに

おわりに、カンカンに内圧を高めるのはクリエイティブでもそれら以外の仕事でも人間が許容できる数に限界がある。

何かの内圧を高めたいとき、朝起きてソレについて考え、ご飯を食べながら考え、散歩している間も風呂に入っている間も寝る前にも悶々としている物事が何個もある状態では、普通の人間として生活できなくなってしまう。

私は2, 3個が限界。

実際、最近は内圧の話以外の事を考えないといけないなと思っていて器もいっぱいかつ、大事なタイミングと考えたので言葉にしてみている。


本来は、1人ではなく少人数で内圧を高める1on1やワークのような方法や、木を壊すアプローチ、首尾一貫した決断に関するデータの話なんかがあるのだけれど、それについてもまた書きたいと思う。

この記事を書いた事で熱が下がらなければ。


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