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ことばをはじめて意識した記憶


最近やたらと幼少期のことを思い出すのだが、事象を捉え認識する主体としての『わたし』の意識、心を観察する意識って、小さい時からほとんど変わってないではないか!とびっくりする。

何十年と変わらず、わたしとわたしを取り巻く世界を把握し、それに対して反応する心を見続けてきたわたしの意識。


心というのは、時間の経過と共に、或いは幻滅した直後には秒で、180度真反対にも変わってしまうものだけど、consiousness、意識というのはずっと変わらず私と共にある。
私の側近とか、パートナー、みたいな位置付け。

で、その意識で記憶しているなかの一つに、自分がどう言葉に出会い習得していったか、というものがある。その記憶が興味深かったので、今日はその話をつぶやかせてください。


    




保育園の年少さんの頃、言葉の発達はそんなに早くなかったのだけど、ある時スポンジがお水を吸い込むような勢いで耳をそばだて、言葉を吸収し始めたのを覚えている。全身の毛穴が耳の穴みたいな(や、そこまでじゃないけど笑)

ある日、はじめてわたしの耳が、一つ歳上の近所のお姉ちゃん(ユウコねえ)との会話のなかで、『でもね』って言う言葉を使っているのを捉え、衝撃が走った!

 何?今なんてった?『でも』?どういう意味?
いつ使うの?
長女で、ゆるっとしてるのにプライドが高くて、かっこつけだった私は、その場で、ユウコねえに聞くことができなくて、保育園帰りにお母さんに質問しまくった。説明を理解できたのかはハテナであるが、母の

『そのうち、使えるようになるよ。』

との、適当な励ましに納得行かないまま
『うん。』
と、答えて話しを終わらすしかなかった。



 ユウコねえはお喋りが上手で、おしゃれで、カッコいいお兄ちゃん達がいた。狭く小さな保育園社会では、いつでも最先端にいるように感じていた。最先端て、笑。

そんなユウコねえに憧れながらも、憧れているのを気づかれないようにしながら、聞き耳を立てる日々が続き、『でも』を未だ習得していないまま、眩しいユウコねえは、
『でも』に続いて『しかも』というニューワードまで、使い始めたのである!

『しかも』!?
鹿🦌も??????
何?今なんてった?シカなの?どういう意味?
いつ使うの?
以下同文である。
母に質問攻め。
『そのうち、使えるようになるよ。』
という、定型返答。


鹿し実際に、『でも』や『しかも』がどんな場面で使われているかを体験することによって、またどんな文脈で使われるのかがだんだんわかってきて、恐る恐る

『でもね、ブランコに乗せてくれないの。』

とか使いはじめ、

『しかもね、まりちゃんにもブランコ乗っちゃだめって言ってね、ずっとひとりで乗ってるの。なんとかして。』

と、いう風に。
母が、そのうち使えるようになるよ、となだめ聞かせていたように、確かにそのうち使えるようになっていったのだ。



こんな事をひたすらリピートして、言語を習得していったのである。

ここで今、一つの疑問が湧く。
母や歳上の従兄弟たちも、わたしにとってのニューワードなら、絶対使っていたはずである!だよね?

なのに、なぜ、ユウコねえの発する言葉からしか吸収できなかったのか。
それは恐らく、ユウコねえに憧れ、あんな風になりたいなと、彼女を自分のなりたいイメージモデルとしていたからなのだろう。
自分の発達段階に近いサンプルでもあったのかな。
それから、わたしにとってのニューワードでありつつも、ユウコねえが口から出すのを初めて聞いた言葉でもあった。完全にユウコねえをわたしのモデルとしてロックオンしていたようだ。

✴︎ ✴︎ ✴︎

日本人は諸外国に比べて英語教育に関して著しい遅れを取っており、今のところ、中高6年間学んだとて到底喋れるようにならない実情である。
それで、小学校に英語が新しい教科として導入されるようになり、4〜5年経過しているはず。

国際社会から英語教育の遅れを取っている現状を打破するべく、小学校英語教育のなかで大事にされてきたのは、必然性。その言語がまさに使われるのに相応しい場面設定をしてあげて、その中で新しい単語なりフレーズを使い、繰り返す、ということだった。

そして、もう一つ。
英語をネイティブのように使いこなす日本人または、ネイティブスピーカーと共に聴覚的にも学び、担任の先生または英語専科の先生が自分たちの目指すモデルになる。
(ちなみに日本の英語教育で教えている発音及び文法はアメリカ英語である。)


そう思うと、小学校に導入された英語の指導法は理にかなっている。だけど、中高とまだまだ受験英語の服を被ったなかで徐々に同じコンセプトに合わせていくしかないので、日本人が学校で学んだだけで恐れずに話せるようになるには、もう少し時間がかかりそうだ。

話は変わるが、インド人の話すインド訛りの英語をご存知だろうか?インディアンアクセントと呼ばれ、以下の特徴がある

◉Rをルと発音する 
◉THをタ行で発音する
◉WやFを濁音で発音する
◉発音しないアルファベットも発音する

参照元↓

インド人のすごいところが、これが、我々の話す英語だ!何ら問題はない!と自信を持っているところ。
↓お時間ある人は観てみてください。勇気づけられます、笑。

多少間違えても、日本人として話す英語に自信持っていいんだよね。
日本各地に方言があるように。

✴︎ ✴︎ ✴︎

かなり脱線してしまった。


本題に戻すと、言語の習得には必ずモデルがいることが前提で、言葉そのものは、フレーズや生活のなかで、コミュニケーションを取りながらの必然性のなかで、習得されるということ。

どんな場面で使われるか、という場面に居合わせ肌感覚で言葉を味わうことによって、その言葉の持つニュアンスというものも学んでいるのだろうね。

noteの海に溢れるみなさんの記事を読むようになってから、日常生活でも言葉へのセンサーが以前より働きはじめている気がする。
今日は、ドラレコのお姉さんから
『アクセルはふわっと踏むことを心がけると燃費がよくなりますよ♡』と忠告をいただきました。

ふわっと踏むって・・・
綿のようにやさしい運転だな、笑。

はい、心がけます。

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