スクール長ダイアログ <価値創造教育の意義②>
11月13日 神戸大学V.School長 國部克彦
価値の本質を議論することが大変な難問であるとしても,実際に価値創造が求められているのならば,価値の本質の議論はいったん棚上げにして,まず価値とは何かを定義して先に進むことが必要です。前回も述べましたように,経済学でも,目に見えない価値が目に見える価値に変わるプロセスについては,定義以上のことができていません。しかし,経済学は,その定義からどんどん先に進んで行って,私たちの生活を支える理論や政策を生み出しています。したがって,私たちも価値の定義を設定する必要があります。
ここで十分注意しなければならないことは,この定義次第であとの展開が大きく変わることと,いつでも定義の妥当性にもどって本質を考える道を残しておくことです。さらに,価値の定義は,社会の形を決めるほど,大きな意味を持っていることを理解することも大切です。価値を市場価値とみなす定義が受け入れられたから資本主義社会が形成されたのですし,価値を労働価値とみなす定義が支配的になった国々では,社会主義社会が形成されました。しかし,定義が含む僅かな矛盾が,その上部に構成された社会を支えきれなくなったとき,その社会そのものが崩壊します。社会主義社会は,この価値の定義の矛盾が原因で,崩壊したといってもよいでしょう。また,気候変動やSDGsなどで,資本主義の危機が叫ばれているのも周知のとおりと思いますが,それも根源は価値の定義にまで遡ることができます。
そこで,いよいよ私たちが価値の定義を考えないといけませんが,この定義は,できるだけ一般的で,だれでも納得できるものが望ましいことは言うまでもありません。納得できるということは,それだけ共通性があるということでもあります。そのためには,どのような時に私たちは価値を感じるかを考える必要があります。それは,高い芸術性に触れたときでしょうか,性能の高いPCを操作したときでしょうか,あるいはのどの渇きを癒したときでしょうか,それとも友達との何気ない語らいでしょうか。このような中に価値を感じたことのある人は多いことでしょう。そこで,共通する感情を突き詰めていくと,どのような感情が浮かび上がってくるでしょうか。これにはいろいろ意見があると思いますが,とりあえず「満足」という言葉でまとめておきましょう。もちろん,もっとよい言葉があるかもしれませんが,V.Schoolに関わる多くの方々と1年以上にわたって価値とは何かを考えてきて,今のところ「満足」という言葉に行き着いています。
ですので,とりあえず,価値を「何らかの満足」と定義しておきましょう。そうすると,価値創造とは「何らかの満足を提供すること」であり,社会全体としては,「社会の満足度を高めること」と考えることができます。では,「満足」が増えるとどうなるでしょうか。満足が増えると,当然幸福であると感じることでしょう。ということは,「価値創造とは幸福を増やすこと」とも言い換えることができます。これを展開すれば,「世の中を幸福にするために価値創造する」とか,「価値創造で幸福な未来を生み出そう」とか,「V.Schoolで未来を創る」とか,いくらでもメッセージ性のある主張が出てきます。
しかし,そこで表面的な耳障りの良さに流されることなく,これを教育のテーマに落とし込むことが必要です。V.Schoolの教育は,価値創造の意味を教えることではなく,学生の価値創造能力を育成することです。つまり,「世の中に対して何らかの満足を提供する能力」を育成するということになります。ここで,教育の焦点は「価値」から「満足」に移行することになります。
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