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スクール長ダイアログ <価値創造と民主的な社会①>

12月3日 神戸大学V.School長 國部克彦

 V.Schoolを開校してから半年以上がたち,準備期間を含めて1年以上にわたって,価値や価値創造についてずっと考えてきました。多くの書籍や論文を調べ,講義を聞いたり,教員や学生と議論したりして,まるで学生のように過ごしてきました。教授も一学徒に過ぎませんから,当然のことではありますが。もちろん,V.School創設以前から,価値や価値創造についての自分自身の考え方はありましたが,この1年半くらいの間でいろいろな新しい発見がありました。その中でも,最大の発見は,価値創造教育は社会の民主化に貢献しうるということでした。先日,神戸大学大学教育推進機構の紀要に寄稿した論文の副題を,「価値創造教育の意義と実践―民主的な社会の実現のためにー」としたのは,そういう理由からでした。
 V.Schoolを立ち上げて間もない頃に,「國部先生は何のためにV.Schoolに参加しているのですか」と聞かれたことがありました。その時は「期待に応えるため」と抽象的に答えたのですが,現在なら,「今よりも少しでも民主的な社会にするために」と答えるでしょう。そもそも私が研究者を志した基本的な理由のひとつに,権威主義的な集団が嫌いで,権威を固定して組織化している会社になんかに絶対就職したくなかったことがあります。しかし,実際に大学に就職してみると,大学も学界も,結構,権威主義的なところがあったのですが,会社よりはずいぶんフラットで民主的です。ですので,私の研究者としての役割は,できる限り社会を民主的なものに近づけることだと思って,これまで30年間やってきました。
 価値が民主化につながることは,価値が個人の尊厳に通じる概念であることからも明らかです。カントは,「道徳形而上学の位置づけ」のなかで,「価格を持つものは,別の等価のものと取り換えることができる。これに対してすべての価格を超越しているもので,いかなる等価のものも認めないものは,尊厳を備えているのである」と述べています。この主張は,価格は価値の客観的な側面で,尊厳は価値の主観的な側面を意味しているので,私たちが価値創造スクエアで,主観と客観の視点から価値を議論している考え方と符合しています。
 したがって,価値の主観部分を重視するということは,個人の尊厳を重視するということであり,民主的な社会へ向かう原動力と理解できます。しかし,一方で価値を客観的にのみ考えてしまうと,価値の尊厳の部分が失われ,しかも,客観的な価値が個人の尊厳を侵食するようなことにでもなれば,これは極めて非民主的な世界の幕開けを意味することになります。民主的な社会を目指す社会運動が,極端に非民主的な社会を生み出してしまうことは,18世紀のフランス革命から20世紀の社会主義革命まで,延々と繰り返されてきましたが,価値創造にも同じような危険性があります。
 このように考えれば価値創造は,民主的な社会と非民主的な社会を分ける境界線のところに存在している実践と言えるでしょう。その意味で,価値創造教育の社会に与える影響は,想像以上に大きなものがあると考えられます。

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