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スクール長ダイアログ <ヴィトゲンシュタインの価値①>

10月11日 神戸大学V.School長 國部克彦

 「私に影響を与えた哲学者シリーズ」は,フーコーから始まってソシュールの1回目まで書きました。ソシュールの2回目の原稿もできているのですが,これを続けていくよりも,哲学と価値について,根本的なところを議論しておく方が良いと思い,今日からヴィトゲンシュタインについて考えていきたいと思います。ただし,今週はV.Schoolの授業が目白押しなので,話題的には断続的になるかもしれません。なお,「私に影響を与えた哲学者シリーズ」は,フーコー→ソシュール→アーレント→デリダ→ロールズと続けていく予定だったのですが,どこかで復活させるかもしれません。
 V.Schoolでは哲学的な議論が盛んですが,これは価値が主観的な現象であるため,主観を取り扱う学問である哲学を使わないと議論できない問題があるためです。むしろ,哲学しか価値の本質をうまく取り出せないと言ってもよいと思います。経済学はその価値の具体的な形態(価格)があって初めて成立する学問ですから,哲学がそれに先行する必要があります。しかし,価値を正面から議論した哲学書は,ほとんどありません。その理由は,価値は非常に議論しにくいものであるためなのですが,なぜ議論しにくいのかを考えることが,価値を哲学的に考える第一歩になります。
 では,哲学書なんて一冊も読んだことなくV.Schoolに入った人は何から手を付けたらよいのでしょうか。プラトン,アリストテレス,デカルト,ルソー,カント,ヘーゲル,フッサール,ハイデッガー,フーコー,ドゥルーズ,デリダなど,哲学者はいくらでもいて,彼ら一人一人が多作なうえに1冊が長いので,勉強するにしても何年もかかりそうです。しかも難解ですから,哲学を専門としない私たちが,たとえばいきなりカントから始めても挫折することは目に見えているでしょう。
 その意味で,ルードリッヒ・ヴィトゲンシュタイン(1889-1951)はお勧めです。まず,一生で2冊しか公刊していないので読む本が限定されます。ただし,講義録や草稿をまとめた全集10巻がありますが,こちらを読むのは専門家に任せておけばよいです。もう一つの理由は(こちらが重要ですが),ヴィトゲンシュタインの議論には,これまでこのコラムで紹介してきた論理実証主義,構造主義,現象学,プラグマティズムのすべての要素が入っていることです。しかも,先行研究をほとんど全く引用しないで,議論を展開しているので,ヴィトゲンシュタイン以外の哲学書を読む必要もなく,ヴィトゲンシュタインの著作だけで哲学のすべてが分かるようになっています。ヴィトゲンシュタインさえマスターすれば,他の哲学者の主張もヴィトゲンシュタインの主張との差異として理解できるので,必要な時に必要なものを読むだけで十分になりますし,専門家も含めて誰とでも哲学的な議論ができるようになります。
 ヴィトゲンシュタインの2冊とは,32歳の時に刊行された「論理哲学論考」と,死後に刊行された「哲学探究」の2冊です。「論理哲学論考」は短い本で,岩波文庫と光文社古典新訳文庫の両方から出ています。「哲学探究」は残念ながら文庫化されていませんが,岩波書店から翻訳書が出ていて3300円で入手可能です。まずこの2冊を購入しましょう。図書館から借りてはいけません。価値を生み出すためにはまず身銭を切らなければなりません。ヴィトゲンシュタインの本を自分の書架に置くだけで,何か自分が変わった気持ちになるはずです。
 しかし,この2冊をいきなり読んでいくのは大変なので,ガイドとしてヴィトゲンシュタインの入門書もそろえておきましょう。新書版でもいくつかの入門書が出ているので,なるべく多く集めておきましょう。哲学の入門書は,どれもプロの哲学者が書いているので,個性が強く,本当にヴィトゲンシュタインがそう言っているのかどうかを確認しながら読む必要があるので,複数備えておいた方が良いです。その際には,ヴィトゲンシュタインの伝記のようなものが入っている方が読みやすいかもしれません。彼の数奇な運命と主張を重ね合わせるのは,かなりのミステリーです。
 さて,これで外形的な準備は整いますが,ヴィトゲンシュタインを読むためには,心構えが必要です。問題意識を共有していなければ,ヴィトゲンシュタインが何を言っているか,さっぱり分からないからです。この問題意識の設定は実は大変難しいのですが,とりあえず,「世界はどのように捉えられるのか」ということにしておきましょう。「世界」を「価値」に置き換えれば,そのままV.Schoolの課題になりますし,そのような置き換えが実際に可能なのです。

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