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"GRAMMY goes to..."をBTSと見守った日

"And the Grammy goes to..." この響きはいつ聞いてもワクワクする。
この瞬間を、朝4時に目覚ましをかけて、BTSと固唾をのんで見守る日が来るなんて、1年前、誰が想像できただろうか。

昨日のこのツイートが思った以上の人に読まれ、驚いた。(なかには韓国語や英語に翻訳していただいて拡散もされていた)誰かを励まし、またBTSを応援していく活力にしてもらえていればとても嬉しい。
そして、1日経って、2021年BTSがグラミー賞にノミネートされたというエポックメイキングな出来事を肯定的に消化し、そして、今日からも清々しい気持ちで、よりいっそう力を入れて応援していくために、何かひとつ役に立てたらと思い、このブログを書くことにした。

先に言っておくが、このブログは、グラミー賞について肯定的に捉える意見も書いている。しかし、私は昨日も述べた通り、絶対的権威だとも思っていないため、レコーディングアカデミーを擁護する意図は全くない。喜びも悔しさも感じているARMYとして書いている。

洋楽オタクのグラミーとの向き合い方

このツイートの通り、BTSと出会う前まで、そして今でも、洋楽オタクとして生活しており、ベストヒットUSAを毎週録画して最新チャートをほぼ全てチェックして、新しいアーティストを発掘しては成長を見守る、というようなことをしている。ARMYになった経緯も、Apple Musicで当時チャートインしていたBTSの楽曲(Fake Loveだったはず)を聞いて、MVを見て、とんでもないグループに出会ってしまった、となり、深い沼へ入っていったパターンである。

今年グラミー賞を初めて見た、という人もいたと思う。こんなにも思うようにいかない賞なのか、不平等じゃないか、差別じゃないか、偏りに満ちているじゃないか、という怒りの声も多くみかけた。責めたくなる気持ちもとてもわかる。私は、年に一度のこの音楽の祭典の、ノミネートの発表と授賞式を毎年楽しみにしていて、その度、一喜一憂してきた。「なんでだよ!」に満ちている。あんなに沢山の賞をとり、人々を感動させ、あんなに沢山再生されて、売れたのに!?なぜ!?
ご存知の通り、グラミー賞は単純に数字で渡しているわけではない。そうだとしたら、逆に、ポップスよりは聞く人口が少ないジャンルやアーティストの本当に意義深い楽曲が、全くグラミー賞を獲れないということにもなってしまう。私はこれまでグラミー受賞作品で、知らなかった多くの素敵な楽曲に出会った。

だからこそ、私は、なぜレコーディングアカデミーは、この曲をノミネートさせたのか・受賞させたのかを考えながら、改めてその曲を味わう機会として楽しんでいる。そんなこと考えてなくて何か裏で申し合わせて渡している可能性だってもちろんあるけれど、それでも、ノミネートされている楽曲には素晴らしいものが揃っていて、初めて知るものも多いため、新しい音楽の出会いの場としてグラミー賞を活用している。

そして、「このアーティストに絶対獲ってほしい」という人がいる時、今回で言えばBTSだが、賞が獲れなかった時に、「他人がどう捉えようと、自分にとっては特別な曲であり、大好きなアーティストなのだ!」という気持ちを改めて実感して、また今日からもサポートしよう、という姿勢になる。
グラミー賞は、その不可解さと悔しさの分、自分とアーティストとの絆を強めてくれるイベントのように私は感じている。

BTSがグラミー賞にノミネートされた意義 -人種、国境の壁を乗り越えて

BTSは、2019年にプレゼンターを務め、2020年のグラミー賞では、韓国のアーティストとして初めてパフォーマンスに参加した。リルナズのステージに加わる形だったが、それだけでも大きな前進だった。そして、2021年、初ノミネートと、初単独パフォーマンスの機会を得た。ここまで文字にしてみるだけでも、一歩一歩着実に、歩みを進めていることがわかる。

グラミー賞は、よくも悪くも、世の中を反映する。いや、世の中について、考えさせられる機会になる。
これまで、グラミー賞は白人男性が多く受賞する傾向にあった。1999年以来、約20年間、最優秀アルバム賞は白人男性が獲っていて、2017年、やっとノミネートアーティストに、白人男性アーティストが入らない年になった。そんなエピソードもある。

チャイルディッシュ・ガンビーノの「This is America」という黒人のおかれている状況を訴える楽曲が2019年に2部問受賞した。しかしこの年、彼は授賞式に出席していない。彼だけでなく、ケンドリック・ラマー、ジェイ・Z、テイラー・スウィフト、アリアナ・グランデもみんな欠席した。その背景には、音楽業界には黒人差別、女性差別が根強く残っていて、アーティストを金儲けの道具としてしか見ていないのではないか、という不満があったためだという。(参照:https://www.huffingtonpost.jp/entry/this-is-america_jp_5c6e0d2ce4b0e37a1ed4bc0c)

しかし、もちろん良い面もある。毎年授賞式でのパフォーマンスでは、アーティスト達が世界が抱えている問題について投げかけ、多くの人をエンパワメントする素晴らしいステージを行っている。日本にいるとなかなか気付けない様々なことを知る機会になっている。

コロナ禍になって露呈した、アジア人差別の現状。
そのなかで、この世界の縮図のようなグラミー賞に、BTSがノミネートされたことは、アジア人としてとても勇気づけられる出来事だったと思う。
BTSはこれまでも、いつも、全ての人の隣で寄り添って、手を差し伸べ、共に歩こうと、私たちを励ましてくれてきた。

受賞させなかったことが差別だ、という意見を目にした。そうなのだろうか。そう捉えてしまっては、初めてノミネートされたことに勇気付けられたことさえ、無い物にしてしまうような気がする。ナムジュンは昨日こう言っていた。

「『受賞不発』という記事をいくつか見ましたが、不発だけど不発じゃない。初めて単独ノミニーになって、単独パフォーマンスを果たしたんです。ポジティブに考えてみましょう」
「賞をもらえなかったのは直接行ってもらえ!という意味だと思います」

ただ、「アジア人差別」への怒りがわいたARMYの気持ちは、本当に意義深いものであると、私は思う。事実、本当に差別はある。私自身、海外で一人で過ごしていて、何度も嫌な思いをしてきた。馬鹿にされているなと感じてきた。そして、その日常の小さな差別が個人的な体験である分、ハッキリと存在していると証明できず、もやもやしていた。
当事者意識をもって、怒りをあらわにしていくことは、差別を少しでもなくすために必要なアクションだと思う。そういった意味でも、BTSがグラミー賞にノミネートされたことは、私たちに、社会問題を考えさせ、行動を起こさせるきっかけにもなっている。しかし、受賞できなかったことを直接的に差別のせいにすることは少し行きすぎてはいないかなと私は考えたので、このことに触れておきたかった。

もし偏見にまみれているとしても、レコーディングアカデミーは、もうBTSの勢いを認めざるを得なくなっているわけで、次こそ、これは最高な曲だ、参りました!と言わせてやる!という気持ちが湧いてきている。言語が違うから、は言い訳にさせたくないし、韓国語ができる人に翻訳してもらって歌詞をよく読みなさいよ〜!とも思っている次第です。


ビルボードの上位に常に鎮座するアーティストと、同じラインに立って、競争できるようになった。また来年リベンジするんだと、言えるようになった。それだけでも、本当に本当に大きな成長であり、「グラミーノミネート経験もある世界的アーティストBTS」といえるこの現状を喜びをもって受け止め、そのアーティストを応援し続けているARMYとして胸をはって、このグラミーでの経験も勲章にして、今日からも応援していきたい。私はそう思う。一日経った今日も、BTSのことが誇らしくて仕方がない。

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