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今年もまたずっと1月1日だった。365日×24時間というだけの1日だった。それもまた悪くはないのかもしれないし明日の風景も見たい気もしますわなあ?

今年もなんやかんや色んな事があったようでいておれはその中で添え物のように他の誰かにただぶら下がっていただけだったような気がする。
カイジの班長が地下で言うてたように今日を頑張り始めた奴にしか明日はこない。
そういう意味で今年のおれはずっと今日だった。

1月1日からの明日が訪れてなかった。昨日も半年前もずっと1月1日のままで1月2日が訪れてなかった。自分の中の内的時間が流れてなかったから年末感を感じられないのかもしない。

いやそんなこと言ったらこの1月1日は2000何年の1月1日なのかも分からないな。もしかしたら2005年の1月1日のまま止まってるのかもしれないし、もしかして1900何年とかで止まっている可能性すらある?

まぁでも今年も特に何事もなく年が明けそうで良かったな何気ない日常にバンザイというふうに感謝してればいいのかなとも思う。

実際の人生ってのは宝くじなんて存在せず、
同じ様な日々を小さく小さく繰り返してその日その日の小さい小さいことを小さく小さくかみしめていくしかないもんな。
まぁ小さい小さい1日に喜びと感謝を見出せる内面を育てれば毎日宝くじに当選してるのと同じってことなのかもしれない。

元々この世界はそんなにおもろい所じゃなくほとんどの人間が多額な精神的借金を抱えているとするなら、
ちょっと笑えたとかのちょっとした
プラスさえあれば本来儲け物なのかもしれないな。
なぜなら人間は借金まみれで生まれてくるのだから。
1円でもプラスならそれは多分めちゃくちゃプラスだ。なぜならこの世はそもそもそんなに楽しい所ではなく借金状態が当たり前の場所だから。
そんな場所で1億円欲しいと叫んでることがしんどさの原因だったりするんだろう。

そう考えると本来は日々、
精神的借金地獄=常に借金が1億ある状態が当たり前の世界で1円の喜びを得たと言う状態は1億1円を得たという言い方もできる。
この状態を一言で表したのが『生きてるだけで丸儲け』っていう一見くさく感じてしまう言葉なんだろうと思う。

この世は苦しいことが当たり前の世界だからこそ、今日晴れてて気持ちいいなとか牛丼食うてちょっとうまかったみたいことをちゃんと感じられればそれはもうプラス、大プラス。1億1円のプラス。ヤンキーがたまにええ事したらめっちゃ褒められる的なあの感覚ですよ。

そう。ヤンキー。この世の正体はヤンキーやねん。ごっついバイクにまたがってこっちを睨んでいうとるわ。

来年も夜露死苦。

いうてな。

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