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私の人生とV6について

27年前のあの日、
私を世界一幸せな女の子にしてくれて
本当に、ありがとう。



いつかは記録に残そうと思っていたことがある。
それは私の人生とV6について。

2021年11月2日から
今日2022年11月1日まで、
これは私が1年かけて書いたものだ。

この1年間何度も読み直し、何度も書き直した。
記憶が曖昧な部分、すり替わっている部分、
もしかしたら事実と異なる部分も
あるかもしれない。

なので以下の文章は、
私が受け入れ難い現実と最後の瞬間の夢の中で
たらたらと書いた、拙い拙い、
創作的なものとして読んで頂きたい。




2021年11月1日。

それまでの私はなんだかんだ
この日を迎えることはない、
そう思っていた。

いつ頃だったか、
V6が解散してしまうのではないか、
なくなってしまうのではないか、
毎日不安だった時期がある。

その頃V6が好きだと言うと、
なんでV6?
V6ってまだ活動してるの?
V6って新しい曲出してるの?なんて
よく言われたものだ。

その度にもやもやはしていたが、
あぁこの人たちはV6の素晴らしさを知らないのか。
人生損してんなあ。くらいに思っていた。

そこからたくさんの時間がすぎて、
彼らが戻ってきてくれた、V6に。
そう思う瞬間があった。

そして私は自然と、あぁもう大丈夫なんだな。
きっとこの先この6人はずっと一緒だろう。
そんな風に思って、穏やかな日々を過ごした。

それでもやっぱりこの世の中、
“絶対”はない。

しかし、2015年。
〜此処から〜という曲がお披露目される。
この曲は、彼ら6人がV6へ書いた曲だった。

6人がおもいおもいの言葉を書いていく中、
彼のノートに
『いなくならないで』という文字を見た時には
私は頭を鈍器で殴られた。
殴られたような衝撃ではなく、殴られた。
間違いない。

話は逸れたが、そう。
この〜此処から〜の発表をもって
私の中でV6がなくなるなんてことは
“絶対”にないんだな。と確信を持つことになった。

毎日好きだった。誰より好きだった。
昨日より今日、今日より明日、
好きは日々、増えるだけだった。
1秒すぎるたび好きが増した。
ずっと好きだった。
私の生活の中心はV6だった。


そして、2021年3月12日を迎えることになる。

まず私がV6を好きになった理由。
もとい、森田剛という、
1人の男を好きになったきっかけの話。

この話をしたことがある友人は、
本当に数少ないと思う。

元々最初に歌い始めたのがSMAP。
というくらいSMAPが好きだった。
TVにうつるSMAPにノリノリだった。らしい。
私はその当時の自分を
ホームビデオでしか知らない。

画面の中の私は何やらよく分からない棒に
トイレットペーパーの芯を括り付け、
マイクスタンドにして踊り狂っていた。

そして、約1年も経たぬうちに
運命の出会いを果たすことになる。

それは本当に突然だった。
ある1人の男の子に目を奪われた。

この男の子が気になる。

なぜかはわからない、説明はできない。

ただ、どうしようもなく気になった。

目で追うようになって、
気になり続けていた。
(が、この辺の記憶も曖昧である)

(ここまでは知っている人が多く、
友人にも話したことがある。)

(問題はここからだ。
何が問題かは後に記す。)

そして数日後、ある夢を見た。
この夢だけは今も鮮明にはっきりと覚えている。

そこは芝生で見渡す限りなにもない、
木が一本だけ立っている。
眩しいくらいの晴天。

私と男の子の2人だけ。
木陰に並んで座っていた。

何を話すでもない、お互い顔を見るでもない、
ただ2人で座っていた。

どれだけ時間が過ぎたか分からない。
その男の子はゆっくり私の方を見て、
目を合わせてこう言った。

『俺のこと、好きでしょ?』

目が覚めて、きっとここから愛なんだ。

恋なんて知らない、初恋もまだだった私が、
この男の子のことがどうしようもなく好きだ。
と思った。

(何が問題だったのか。
普通に恥ずかしかった。
好きな人の夢を見た。妄想やばすぎる。
なにちょっといい感じで2人きり。
こんなこと恥ずかしくて親にも言えない。
と、当時の幼い私は思い、
このような恥ずかしい夢を見たことは
心の中にこっそりとしまいこんだ。)


その日から、私の中には森田剛しかいなくなった。

程なくしてV6という奇跡のグループが爆誕する。


森田剛に恋に落ちてから、
いつも隣にいる可愛い子、
通称、奇跡のおじさん。

いつも隣にいるから、
彼のこともずっと見てきた。

その時の私は好きな人の仲良しな男の子、
くらいに思っていたと思う。

ただただ可愛いやんちゃな男の子だった。
2人で楽しそうにしているところを見るのが
大好きだった。

あまり社交的ではないんじゃないか?
と思うごう君ががっちり自分のテリトリーに
入れてるよなあ、と見てるのが好きだった。

まさかこの先27年、
私が辛い時、苦しい時、悲しい時、
1番助けてくれる存在になるとは
この時は夢にも思っていなかった。
今現在も1番寄り添ってくれている。

2022年10月12日から始まったソロコンサート、
あれは私たちV6ファンが1年前のあの日から
少しだけ薄暗くなってしまった人生に、
大丈夫だよ。と寄り添ってくれるためのものだと
勝手に思って、毎回同じところで
勝手に号泣している。

そして同担として、私の生涯のライバルだった。
最強の森田担、三宅健。に負けないために
頑張ってきたところはあると思う。

ちょうど今現在おたくたちが
必死になっている期間なので触れてみるが
今ではジャニオタの祭典、
MyojoのJr.大賞
恋人にしたいJr.部門
この企画の第1回目第1位をご存じだろうか?

記念すべき第1回目の第1位。

森田剛
三宅健

同率1位。

意味分かる?
私は今でも分からない。

私はこの恋人にしたいランキングというのは
人気ランキングだと思っている。
ファンが投票するのだ。
今のように1人で何冊も爆買いし
同じ人に何票も投票している人は
少なかっただろうし
同率1位って取れるんですかね?
狙ってできないと思うんですけどね。

記念すべき第1回目の第1位が同率1位

もちろんその後このランキングで
同率1位は出ていない。

意味わかるか?(2回目)
私は今でも分からないんだよ。
偶然という言葉では片付けらない。

V6最後のananでメンバーそれぞれに
ありがとうを伝えるという記事。
メンバーのことが大好きなあなたは
5人に素敵な言葉を綴っていた。

そんな中、ごう君への言葉はたった一言だった。

あなたがごう君に向けたありがとうを
私は一生忘れない。
誌面のあなたのたったその一言で
私は26年分泣いた。

"ずっと隣にいてくれてありがとう"


我らが剛健に選ばれし男の子。
通称、ゴリラ。

本当に、本当に。
あの真っ赤なほっぺの男の子が。
アカデミー賞男性俳優初の主演と助演の二冠…
ジャニーズ初のブルーリボン主演男優賞受賞…
大河の主演をはり、師範になり…
そして、ゴリラになってしまうなんて。

アカデミー賞の時いのっちから
"誇りに思う"ってメールもらったって話、
泣けない?
自分は芝居の方に気持ちがあってそれをメンバーが
許してくれたし応援してくれたって、泣けない?

華奢でエクステつけてたチャラひょろ時代、
本当に美人だった。
全人類木更津キャッツアイ見てくれよな。

V6が解散するなら
この子が辞めたいと言うんだろう。
そんな風に思っていて本当に申し訳なく思う。

彼が誰よりも、
パパとママとお兄ちゃんたちのことが好きだって、
ずっと見てきていたのに。

発表があったあの日から、
それはさらに色濃く見えた。

V6が大好きだって。

6人でいる時の准君は、
1人でTVに出ている時は絶対見られない、
6人だけの空間の、
V6のコンサートに入ってる人だけが見られる
岡田准一って感じが好き。

ごう君と健ちゃんが
坂本君、長野君、井ノ原君って呼ぶのに対して
准君はリーダー、ひろし、いのっちって呼ぶ。
すごく好き、末っ子だなあ。と思う。

5人のことを幸せになってほしい人たちだと言って
死ぬ時に自分を覚えていてくれる人が
5人いればいいみたいな話を見て、
『あぁ、俺もういるじゃん』って思って。
って話す、あなたがとっても好き。

あなたの言葉は真っ直ぐに
すとんといつも、届いていました。


言わずと知れた我らがリーダー。
通称、リーダー。

まず。V6がV6でいられたのは、
この人がリーダーだったからである、間違いなく。

そして26年、誰一人欠けることなく、
休むことなく変わることなく、
6人でV6が続いたのは、
リーダーが若かりし頃、
子供たちへの教育を怠らなかったからだと思う。

毎晩酒の缶片手に、子供たちに説教してくれたから
子供たちはまっすぐいい子に育った。

だからここまで6人でいられた、そう思う。

緊張しいで言葉数が多いわけではない。
前に前に出るタイプでもない。
リーダーです!というタイプでもない。
それでもやっぱりV6のリーダーは、
この人しかいない。
この人にしか務まらない。

そしてこの人がいてくれたから、
パフォーマンス面でも
V6はさらに素晴らしさが増した。

個人的にジャニーズ1の歌唱力だと思っている。

全人類この人の歌声を生で聴いてほしい。
鳥肌なんて当然たつ。

国歌斉唱、素晴らしかったです。

そしてタップ。スタイルの良さが際立つ。
足がコンパスみたいに長い。

タップを踏むミュージカルに
是非足を運んでほしい。

子供たちの暴走を目守り、
まずいなって時はブレーキをかけてくれる。
みんなががちゃがちゃしてるのを
一歩引いて見守り、
見守っていたはずなのに、
なぜか1番のいじられ役になってしまった大黒柱。

まあ君がV6のリーダーで、本当によかった。


稀に毒を吐く菩薩、
実はうちのグループまだ妖怪います。
通称、ボンタン狩り。

うちのリーダーがリーダーでいられたのは
この人がいたからである、間違いなく。

事務所歴が1番長い。SMAPより長い。
不遇の時代を乗り越えて、
ずっとV6を支えてくれた人、
それは紛れもなく長野博だと思う。

まず厳しかったパパ。
そこに優しいママの登場。
これだ、この飴と鞭。
これで子供達はまっすぐ育った。

そしてそんなママはたまに子供達に混ざって
自分も男子高校生みたいなことをする。
そして怒られる。

そんな風に、年下のメンバーを見守ってくれた。
それがどれだけV6に必要なことだったか。

だから彼はメンバー全員から愛されている。
博に気に入られること、
それがステータスになるくらい愛されている。
だからボンタンも狩られる。愛ゆえに。

ボンタン狩り、見て欲しいな。
みんなに、見てほしい。
全世界の人に見てほしい。

V6の精神面を26年間大いに支えてくれた人。

長年培ってきたたしかな技術も優しい歌声も、
V6になくてはならない。

踊れる歌える演じられる。
全部すごい。
でもやっぱり人柄だ。
どんなふうに育てたら博様みたいな
素敵な人格を形成できるのか。
いち母親として知りたいところ。

博様が紡ぐ言葉は本当に優しい、
声色も相まって最高に優しい。
もうすべてが優しい。

優しいからいじられ役もできる、
優しいのにたまにすごい毒を吐く。

メンバーをいつも優しい眼差しで
見守ってくれていた、博様が大好きです。


国民的朝の顔、
いい人そうランキング堂々の第一位、
通称、話を盛る男。

毎度言っているがここでも言わせてもらう。
うちのグループ井ノ原快彦いるんだぜ、いいだろ?

そう。そう言ってまわるくらい、
この人がいなくては、ダメである。

V6が26年続いたのはこの人がいたから。
トニセンとカミセンの橋渡し的存在。

どのグループにもいない。
本当に奇跡みたいな人。
この人を勝ち取った時点で
V6の勝ちは決まっていた(何の勝負)

もしV6に彼がいなかったら
コンサートのMCはどうなっていた?
バラエティーで話を振られた時は?

この人がいなくてはダメなのである。

メンバーの発言で微妙な空気が流れても
自分が滑っても、全部回収してくれる。

確かな信頼と安心、それが彼である。

この人のコミュニケーション能力とか
他のグループとの関わりとか
V6の外交官としてその手腕は確かなものだ。

そのトーク力は言わずもがな、
MC力も素晴らしい、さらには歌唱力。
まじで歌上手い。そしてこの人の書く歌詞。
誰にも真似できない。語彙力。センスの塊。
楽器も弾ける、演技もできる、笑いも取れる。

いつもふざけて和ませて盛り上げて。
でも誰よりお兄ちゃん。
だってV6の長男だからね。

先陣切って調子に乗って
剛健引き連れて暴れ回る井ノ原組。
ふと優しく年下組のカミセンを見つめたりして
トニセンでいる時は末っ子だからか
可愛く見えてしまう。

イノッチがV6でよかったな。


そしてこの男、V6の絶対的センター。
通称、私が人生で唯一愛した人。

ただ彼の話をするのはまだ早いので、
先にグループの話をしたいと思う。


はっきりというがV6はジャニーズ事務所の中で
目立つグループではない。
そんなことは27年間好きな私が
1番よく分かっている。

例えばカウントダウンコンサートのような
多数のグループが集まる場面で
V6は端っこか後ろにいる。
テレビ中継があるならほとんど映らない。
他のグループメンバーに
譲る、譲る、譲るで、映らなくなる。
(1人のメンバーを除く)

しかし、踊らせてみ?歌わせてみ?

誰だ目立たないなんて言ったのは。

ここからは完全なる個人の見解である。

ダンス。
まず大前提として、全員うまい。
激しいダンスではない。
私はシャカリキダンスに
あまり上手いと言う感覚を見出せないタイプなので
この6人のダンスがはちゃめちゃに好きだ。

歌。
まあ君といのっちは本当に上手い。
めちゃくちゃ上手い。
他の4人は声が特徴的、全員もれなく優しい。
そして全員音も外さない。普通に上手い。

博様、ごう君、健ちゃんが高音、
まあ君、いのっち、准君が低音。
なんてバランスがいいんだ。

アクロバット。
もう知っている人が少ないかもしれないから
言っておく。

6人全員、バク転、バク宙、台宙ができる。
メンバー全員ができる。
もう一度言う、メンバー、全員が、できる。

2005年、V6 10周年の時にイノッチが言った。
"10年後もみんなでここでバク転しようじゃないか"

そして10年後の2015年11月24日、
V6 20周年。

坂本昌行 44歳
長野博 43歳
井ノ原快彦 39歳
森田剛 36歳
三宅健 36歳
岡田准一 35歳

平均年齢 38歳。

全員で、飛んだよ。

今でも忘れない。
6人がマイクを置いたあの瞬間を。

身体中を電気が通ったような、
心臓からぞわぞわぞわって全身に広がるような、
飛んだ…。と思った瞬間、
まじでスロー再生されたね。

もちろん、飛んだことがすごい。
ありえない。すごすぎる。

でもそれより何より、
公約を覚えてくれていたこと。
それがなにより震えた。

そして気づいた時には、号泣していた。

言葉。
私はファンに対してほいほいと
好きだ愛してるだと言う人が苦手だ。
捻くれている性格ゆえ、
言葉にされすぎるとあまりいい気がしない。

感謝してるとかついてきて欲しいとか、
ファンを大切にしているというのは
言葉に出されなくても伝わる。
日々好きだから言葉じゃなくても伝わる。

それでも最高のタイミングで
最高の言葉をすとんと落としてくれるから。
長ったらしく語らないところが好き。


V6に興味を持った人は私に連絡をくれ。
おすすめ円盤やら曲を、
選びきれないがお教えする。


ここからは過去の話。

V6がお披露目された。
あの日のことは覚えている。
しかしぶっちゃけ、
はっきりしっかり覚えているわけではない。

ごう君がデビューする。
デビューすることによって何がどう変わるのか、
今なら分かる。

でもあの当時、分かっていたかと聞かれると、
半分も理解していなかったと思う。

私の両親は私のワガママをよく聞いてくれた。

コンビニでどうしても買ってほしいと
駄々をこねたSMAPの写真集。
コンビニで1500円近い物を、
普段両親は絶対に買わない。

ただ私が普段からワガママを言わず、
何かを欲することがなかったため、
これ、ほしいな。の一言で手に入れられた。

それはごう君を好きになってからも同じだっだ。

お小遣いとお年玉、
誕生日にクリスマスは全て現金制にしてもらい、
両親祖父母親戚一同から巻き上げた。
祖父母や親戚に会えば臨時収入。

お祭りだからとか、何かあるからと
特別に貰ったお小遣いでさえ、
その場で使わず煎餅の銀の缶に貯金した。

これら全て、小学生だった私はV6に使った。

毎月のドル誌、CD、DVD、チケット代、グッズ代。

でもやっぱり、足りない。
どうしたって足りない。

ジャニオタが担当の全てを追うためには
それでは全く足りなかった。

そこでいきたのが、普段の物欲のなさ、
ワガママを言わない精神。

私は私の性格で本当によかったと
心から思っている。

あれも欲しい、これも欲しい、
ちょっとお菓子買って欲しい。
おもちゃ屋さんでほしいいい!!なんて
駄々をこねたことも、
ぼそっと言ったことも1度もない。

ただV6だけは。
騒いだりはしないがただただ欲しいものを見つめて
無言の圧力で手に入れていた。

これ、欲しいの?
両親であれ、祖父母であれ、親戚であれ、
相手にこれを言わせたら勝ちである。

そうやって私は小学生中学生と
V6を追うことができた。

高校生になったら天国だった。
働いた分だけお金がもらえる。
正真正銘自分のお金。

誰に遠慮することもない、私のお金。

多い時でバイトを4つ掛け持ちして、
平日土日関係なく働いた。
月の休みが1.2日なんて当たり前だった。

そりゃあもう、まわりで1番稼いでいたし、
社会人1発目の給料が
高校生の時1番稼いだ月より少なかった。

中学で初めての遠征ができたのは両親のおかげ、
高校で初めての全ステができたのは自分のおかげ。

高校時代、当たり前のように
友達よりもV6を優先した。

高校最後の文化祭、
いのっちの結婚報告を会場で聞いた次の日だった。
気持ちが追いつかず、行かなかった。

高校最後のイベント、卒業遠足。
V6名古屋公演と被った、行かなかった。

日々日々、放課後遊びに行こー!の誘いに、
今日コンサートだから!
今日雑誌の発売日だから!
今日TVに出るから!
断る理由はすべてV6だった。

そんな私は自分で、
こんな奴と友達になりたくないと思う。
なる必要がない、と思うのだ。

それなのに。いまだに高校の友達と
ちゃんと付き合いがある。
1人2人ではない。
何人もの友達がいる。

私が子供を産んだ時、
病院までお見舞いに来てくれた。
お祝いを持って家まで遊びに来てくれた。
相談に乗ってほしいって連絡をくれる。
集まろう!って連絡くれる。
そんな友達がいまだに何人もいる。


2018年3月16日、
人生で2番目に多くの連絡がきた。
中身のある返事はいらない、
でも生きてるかだけ教えてほしい。とか
2021年3月12日、
人生で1番多くの連絡がきた。
お願いだから生きて。とか、
お前が死んだら悲しむ人がいるんだからな。とか。

普段ふざけた話しかしない、
あまりこういう話で共感を得ることが難しい
男友達たちでさえ、生きろよ。と。


そう、話が脱線してしまったが、
何が言いたいかと言うと、
私は友人を蔑ろにして生きてきた。
にも関わらず、V6ならしょうがない。と
全てを許し受け入れ今も友達でいてくれる人達が、
こんなにもいる。

私は、まわりの人達に恵まれた。
私がここまでV6を追いかけてこられたのは、
私の家族にしろ友人にしろ、
私のまわりの人達が、
この人達だったからだと思う。


話は戻る。
初めての全ステを経験すると、
そこからは毎年全ステした。

お金がなかった時代の遠征は酷いものだった。

夜行バスに揺られ、寝ることもできず、
現地に着くとガチガチの体を引きずり、
漫画喫茶に行ってしばしの仮眠。

そのまま漫喫でシャワーを浴びて、
メイクをし、現地のヘアメへ向かい会場入り。

地方が2日間あったら泊まる。
漫喫に泊まる。ホテル代をケチるために。
だから私は日本全国に行きつけの漫喫があった。

疲れなんて全然取れない。もう、全然取れない。

でもコンサート中は全く疲れなんて感じない。
たのしい!たのしい!たのしい!
その気持ちのみである。

そして、その内それこそ本当に社会人の給料が
馬鹿らしくなるくらい稼いだ。

今でも大学生の時の稼ぎに戻りたい。

自分で稼げるようになってから
コンサートにかけるお金が異常だった。

コンサートのグッズはもちろん余すことなく
毎回全部買って全ステをした。
特典のために既に持っているCDを
会場で何枚も買った。

まだV6が個人ポスターを出していた時代、
ポスターを10本以上持って歩いていて笑われた。

毎公演V6が公演中に写真を1枚撮って
CD1枚買ったらDLできるコンサートもあった。

全公演DLした。
実際に撮ったところ見てから買うか決める。
と言って
結局全公演終わりに会場でCD買ってDLした。

全てのグッズを買った上でごう君の物と
気に入った物は複数買いした。

特にうちわは酷かった。
今や私の代名詞()ハンドスピナーの枚数では
満足できなくなった。

そしてジャニーズのV6の森田剛としての
最後の個人うちわを100枚買うと決めて、
最終的に136枚買った。実まだうちにくる。
最終的に何人のごう君がくるのか知らない。
1人2枚しか買えないのに。
再度ここでも言わせてもらう。
協力してくれた全ての人にありがとう。
友人だけでなく友人の友人、
友人の友人の友人も協力してくれた。
私はまわりの人に支えられておたくをやっている。

CDもシングルだろうがアルバムだろうが
ほしい特典の数だけ同じものを何枚も買ったし、
とにかくいくつあっても足りないという、
後で後悔するかもしれない…という、
強迫観念に取り憑かれていたのかもしれない。

ちなみに現在進行形で取り憑かれている。

そうして私は、私の人生の時間と
私の財力を全てV6に捧げてきた。

私のできる最高レベルでやってきた。

それを1ミリも後悔していないし、
なんなら今現在もっとできたのかもしれない、
と思っている。

私が石油王だったら
彼らにミリオンの向こう側をプレゼントする。
これは私がずっと言ってきたことだ。
石油王でないことが本当に悔やまれる。

彼らにはそれだけのものを与えられ続けてきた。

全てのコンサート、全てのイベント、
V6と過ごした時間は全てが最高の宝物だ。


中でも特に私は2008年が好きだ。
全国ツアーが終わって、
それで終わらなかったあの年。

そう、伝説の、森田剛、ソロコンサート。

大前提として全ステした。
家とバイト先と青海をぐるぐるする生活を
2週間続けた。

この時のことは一生忘れない。

ソロコンやるって聞いた時どう思った?
→嫌だった。を即答する森田剛が死ぬほど好きだ。

いのっちの舞台の見学に行って
ごう君のソロコンがすごいって捲し立てて
ごう君ソロコンの楽屋来た時涙ぐんでた坂本昌行。
もうパパじゃん、意味わからないじゃん。

ごう君ソロコン初日に来たのはママ。
長野博です。コシヒカリ!
ごう君が初日来てくれたのが
長野君でよかったって言ってたの愛だし、
健とかだったら…って健ちゃんにまで
好きアピすんの尊い。

楽屋に顔Tシャツを飾る話、
健ちゃんが2回見にきたこと、
メンバー全員が見にきたこと、
もうみんなが席につき、
誰もいない会場の廊下?で今井翼とすれ違ったら
なぜか会釈されたこと、
MCで1人一生懸命話すごう君、
1人は不安だともらしたごう君、
ジャニーズシアター最後の公演が森田剛です。
ジャニーズシアター懐かしいな。
ファンサの話は省略する。

森田剛!を全て感じられるあの空間。
一生忘れない。絶対に、忘れない。

とにかく森田剛だった。

avexさん私実はまだ、円盤化諦めていないんです。
もう一度、PAINT IT BLACKを聞かせてくれ。
黒く塗りつぶしてくれ。


そして私はありがたいことに、
10周年から毎年ビデオ撮りの日は
必ず入っているし、
自分が映っている円盤が多数ある。
いのっちの結婚報告公演も入っている。
MCで健ちゃんが突然いじめの話をした公演、
ごう君がソロコンの情報解禁前に
MCで暴露してしまった大阪公演、
20周年デビュー日オーラス、
こんなこともあったよねって話題になる公演は
大体入ってると思う。


そして毎年2月20日。
この日は私にとってずっと
世界で1番大切な日だった。

この日に公式に認められるイベントがあれば
それがどこであろうと会いに行ったし、
公式的なイベントがなければ
本人不在の誕生日会をした。

毎年ごう君に生まれてきてくれたことを感謝し、
ごう君のご両親にごう君を
産んでくれたことを感謝する。
そして私の両親に
私をこの時代に産んでくれたこと、
この歳で産んでくれたことに感謝する日だった。

V6の好きな話がありすぎて書ききれやしない。

20周年ツアーの11月1日、デビュー日オーラス。
それはもう死ぬほど落選組がいた。
会場周辺には落選組が駆けつけていた。

そんなファンにさ、
会場の扉開け放って扉の近くまで誘導して、
会場内の音量あげてさ、
メンバーたち
外のみんな〜!!って呼んでたんだよ

あれ?准君いなくね?って思ったら
准君外まで出て行ってファンに顔見せたんだよ

ジャニーズだぜ?
ありえるこんな対応?

V6を好きでよかったって本当に本当に思う。


みんなにすごいと言われる。
26年だよ、と。

デビュー前を入れるなら約28年同じ人を、
たった1人、同じ人を愛し続けた。

それをすごいことだと、みんなが言ってくれる。

でも違う。すごくなんかない。
私は。

すごいのは私ではなく、
28年もの間、変わることなく愛させてくれた、
森田剛という、たった1人の男である。

すごいのは、彼なのだ。

さて、そろそろしよう。
私が人生で唯一愛した男の話を。

まず、人生で1番聞かれた質問に答えよう。

森田剛のどこが1番すき??

答えは簡単だ。

全て。

全てである。

ありきたりだと思っただろう。

ありきたりだろうがなんだろうが、
たとえこの先何があっても揺らぐことなく、
全てが好きだ。

当然、顔。
好みの顔のタイプを聞かれた時、
森田剛君、と答える。

森田剛みたいな人、似てる人は求めていない。
私の好みは"森田剛"のみである。

そしてスタイル。
私は背が高い人が苦手だ。
170cmあったらでかい。
160cm代におさまってほしい。

さらに華奢な人が好き。

髪型、何でも似合う。
短髪、長髪、坊主。
黒髪、茶髪、金髪。
ストレート、パーマ。
刈り上げ、センター分け、ツーブロ。

とにかく何をしても、似合う。

声。
なんだあれは。
なんなんだ、あの声は。

あんなに綺麗な声を私は聞いたことがない。

聞いたことはないが、
確実に人魚の声より美しい。

まず、顔に似合わない甘い声。
キャラメルボイス。

ごう君の声がすき。

ダンス。
知ってる?森田剛のダンスって国宝なんだけどね?

見たことのない人がいれば、
必ず見なさい。

提案じゃない。命令である。見ろ。

当たり前のことを言う。
ダンスがうまい。

ただし、ただ上手いわけじゃない。
誰にも真似できない。
誰をも釘付けにする。

森田剛のダンス。

力が入ってないように見えるのに
ビシッときまる。
右手の中指が好き。

ステップを踏ませたら意味がわからない。
見てると頭が気持ちよくなる。

あんなにかっこいいステップは見たことがない。
綺麗とか上手いとか、そういうんじゃない。
言葉では表せない。

もちろん、ジャニーズ1、
ダンスが上手いのは森田剛だと思っている。
思っているというか、事実そうである。
本人もそう言ってるし。

演技。
私はもちろんごう君の舞台を
全て見に行っているし、
ドラマも映画も見ていないものはない。

全て素晴らしい。

ただやはり、舞台。

板の上の森田剛は、森田剛であって、
森田剛ではない。

たとえ現実のごう君が大罪を犯そうとも
世界の全てを敵に回そうとも
永遠の愛を誓っているこの私が、
ごう君が演じている人物のことは大嫌いになる。

それは何故なのか。
舞台のその人はもう森田剛ではないから。
欠片も見当たらない。

その人物でしかない。

森田剛の舞台を見に行って、
森田剛がいたためしがない。

私は誰のためにお金を払って
この椅子に座っているのだろう。
毎回そう思う。

森田剛に会いたくて、森田剛の演技を見たくて、
舞台を見にきたはずなのに、森田剛が、いない。

どこにもいないのだ。

何が言いたいかって。

森田剛の演技が素晴らしい。
唯一無二。最高最強。天才。
化け物。理解不能。

ごう君の舞台は死ぬか殺すか、
みたいな内容が多いため、病む。
見終わると必ず、病む。

でも、見る。

彼が演技をやりたいと、そう言った。

それならば、
彼は演者として、表現者になるために、
生まれてきた人だったんだろう。

長い間アイドルをしてくれて、ありがとう。

言葉。
彼の口から発せられる言葉、
なんとも説明できない言葉。

語彙力。

センス。

タイミング。

チョイス。

そしてMCとかTVでも、
自分からがつがつ話す人ではない。
だからうちの天才MCが突然、振る。
突然パスを投げる。

するとどうだろう。
笑いが起こる。
その場が締まる。
心にグッとくる。
脳内に響き渡る。
涙腺を刺激される。

その時、最善最良の言葉が返ってくる。

しかも端的に、無駄なく、
ぱすっと一直線に心に届く言葉が放たれる。

彼は頭がいいと思う。
でもきっと本当にただただあれが
飾ろうとしない計算してない
森田剛なんだろう。

あんな風に人を惹きつける言葉を
すとんと落とせるなんて。

森田語録の発売はいつですか?

内面。
甘いものが好き。
ふわふわしたお菓子が好き。
犬が好き。
おばあちゃんっ子。
お茄子、お紅茶等、“お”をつけがち。
あんな見てくれで末っ子に
6人でいる時くらいは何も考えず笑っててとか言う。
パパの孤独死が心配で内鍵をかけるなとか言う。
健ちゃんをうざいとか言いながら、
誕生日の0時ぴったりに連絡がこなくなったことを
寂しいと言い、
一度始めたのだから死ぬまでやれと言う。
ガキみたいなことは
冷めた目で見てそうなあの見てくれで←
ガキみたいなことをする。
ふざけだした井ノ原君を真っ先に追いかけて
一緒になってボンタン狩りをする。
メンバーたちがメンバーのことを
いて当たり前、なくてはならない的な話をする中
彼は仕事仲間と言い張る。
じゃあなんであなた、
あなたがV6として最後にプロデュースした曲。
家族って曲なの?
家族の歌割り、誰が決めたの?
なんで。家族写真送ってきたの?
あなたが1番、メンバーを家族だと思ってるだろ。
ずっと言わなかったくせに。
最後の最後で、もう離れるって時に、
メンバーとファンに、
家族って言葉を残していくのは、ずるい。

と、まあ語り尽くせやしない。
そう、ここで語れるほど、薄くない。
だって28年だもの。
私の人生のすべてだもの。

そしてV6の森田剛くんと最後に会った
2021年11月1日。
V6の森田剛くんは最後の最後まで
最高に優しかった。

“              ”って忘れない。

簡単に言うならば、
私は森田剛の外見も内面も大いに、
この上なく、好きだ。

物心がつく前からジャニーズが好きで
今もなおジャニーズが好きだ。
多分これから先も死ぬまで
ジャニーズが好きだと思う。

今だっていろんなジャニーズのコンサートや
舞台を見に行くし、映画やドラマもチェックする。
Jr.のチェックだって怠らない。

そんな中で森田剛君は、V6は、
別格だとか特別なんて、言う気もない。
そんなこと言う必要もない。
そういう存在だ。

この先も変わらずずっと。

V6の森田剛が大好きだ。
6人で笑っている6人が大好きだ。

坂本昌行くん、
長野博くん、
井ノ原快彦くん、
森田剛くん、
三宅健くん、
岡田准一くん、

この時代に生まれてきてくれてありがとう。

ジャニーズ事務所に入ってくれてありがとう。

メンバーと出会ってくれてありがとう。

V6を選んでくれてありがとう。

最後までV6でいてくれてありがとう。

私を世界で1番最高なグループの
ファンにしてくれてありがとう。

私を世界で1番幸せな女の子にしてくれて
ありがとう。

6人が6人でいてくれることに
最上級のありがとう。

本当は何年だってずっと書き綴っていたい。
本当は全ての気持ちをここに残しておきたい。

そうしなきゃ、消えてしまいそうな気がする。

私が彼らと過ごした日々が。
私が彼を愛した気持ちが。
私の今世で唯一の恋心と愛だから、
消えてほしくない。

この日々と気持ちを誰かにも覚えていてほしい。

自分だけが知っているんじゃなくて、
誰かにも知っていてほしい。

たしかにここにあったことを。

それはこの先もずっと続くことを。

来世ではどう出会い、どう彼に恋に落ちるのか、
今から楽しみで仕方ないことを。

早く来世にいきたいな。

今までも、これからも、前世でも、来世でも、
森田剛君が、V6が、1番!大好きだよ!
ごう君!愛してるよ!

“26年間、ありがとう”

"これからも、どうかよろしく。"

最上級の愛と最大級の感謝を込めて
森田剛くん担当 恵子




















しつこいが、最後にひとつ。

これは私の考えたフィクションだ。

私とV6の始まりの夢。

ごう君と並んで座っていた、1本の木。

私がそれを見たのは約28年前の
赤ちゃんに毛が生えたくらいの時だった。

そして今、それはもう
年齢だけは立派な大人になった私。

その私が、あの夢から28年の時を経て、
ブイロクの木を見た時に、

そういうことか。

って、
思ったんだよ。

おしまい。

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