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和の心コズミックスピリット63/日本人の形あるもの全てに魂が宿るという感性

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■日本人の形あるもの全てに魂が宿るという感性


日本人の美意識や美的表現は形態そのものの美しさよりも、アニミズム的畏敬から生ずる感性や表現であるように思われます。

例えば御神木への畏敬を日本人はその周囲をけがれなく保つことによって表そうとします。日本人にとってすべての存在には、自然か人工かに関わらず、形あるものすべてに魂が宿り、したがって家というものも、そこには自然界の存在と同様に魂の宿るべきものでした。

日本人のこのあり方は、その尊さを自覚するほどその周囲のけはれなき空間にとって妨げとなる一切を取り払おうとし、家における清浄さも御神木におけるそれと同様の意味をもっていたように思えます。

『振る舞い』や『たたずまい』もそうしたけがれなき空間のための身のこなしが、結果として美しい所作となるのであって、美のための美ではありません。


■調和性と切っても切れない日本の和の社会


このアニミズム的美意識が西洋における美と大きく異なる点は、日本人にとって、それは社会機能を健全に成立させるのに不可欠な役割を直接に担っていた点にあります。

日本においては、その同じけがれなさを求める感性こそが、社会集団における集団の自浄力として働く、その力の源泉でもあったと思われます。

先に「意識下の力」という言葉を使いましたが、和の社会における美は、その意識下の力の一つであり、美の意識はそのまま社会の秩序形成に結び付き、社会の調和性と切っても切れない関係にありました。

こうした美意識は今の私たちの中にも潜在的に生き続けているように思います。例えば『人生がときめく片づけの魔法』という本の著者、近藤麻理恵さんはTIME誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれましたが、「私の片づけの裏テーマはお部屋を神社のような空間にすること」「片付けは祭りです」と言っています。

この若い筆者の観点はまさに日本古来の美意識によるものと言えます。海外の目が注目したのも、この日本的な感性への魅力であることも、様々なメディアの感想に如実に表れていました。世界の目も形だけの日本文化ではなく、より本質に向かい始めているように思われます。


■日本人の豊かな感性は豊かな四季存在したからではなく、その時にしか出合うことのできないかけがえのない命の輝きを愛でる心があってこそ


日本人の大好きな桜の花は花が咲いたと思ったらあっという間に散ってしまいます。わずかなその瞬間との出会いがありがたく、私たち日本人はその美しさをはかなさゆえになおさら愛でようとしてきたように思います。

日本を知っている外国人でしたら日本と言えば四季を連想するという人が少なくありません。私たちは四季があってあたり前の感覚で生活していますが、日本ほど豊かな四季の国はまずありません。

ことにこんなに美しく紅葉する木々は外国ではほとんど見ることができません。豊かな四季とそれを愛でる国民という両者の関係を、日本には豊かな四季が存在したから日本人はそれを愛したのだと考えがちです。

しかし私は、事実はそれとは逆ではなかろうかと思っています。少なくともその何割かは逆であると思うのです。

日本の豊かな四季は日本人のその時にしか出合うことのできないかけがえのない命の輝きを愛でる心があってこそ、より豊かに成立したものと私は思うのです。

例えば秋の美しい紅葉をいとおしむ心があれば、その木を身近に育みたいと思います。その思いは生活の場にその木を植える行為へとつながります。こと日本人撮って、木は神社の御神木にも代表されるように、神そのものでありましたから、木への感性は格別であったと思います。

そうして少しずつ少しずつ、四季折々に美しい変化を見せる木々が増やされてきたという一面もあるのではないでしょうか。そう思うと、今の私たちの恵まれた四季は、祖先からの贈り物と言うこともできるかもしれません

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