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日本人は不幸なのか? 幸せってなんだ?

はじめに

ハーバード・ビジネス・レビュー(Harvard Business Review)-HAPPINESS
ハーバード・ビジネス・レビュー[EIシリーズ] 幸福学
を読みました。
そこで、「幸せ」について取り上げてみました。
そして、
「古来より、人は幸せについて考えている」ことと、
「未だにわからないことなのだ」ということ
がわかりました。

日本の幸福度

世界幸福度調査

前書きとも言える「日本語版に寄せて」の中で、日本は国連の「世界幸福度調査」が挙げられ、「先進国中最下位」と騒ぎ立てられていることに触れている。
まずはこのことから。

「世界幸福度ランキング2022(World Happiness Report 2022 )」の1位に挙げられている、フィンランドも行きましたし、とても好きな国の一つです。
World Happiness Report 2023

ちなみに、日本は54位(146国中)です。53位はウズペキスタンで、55位はホンジュラスです。どちらも、どこにある国かパッとは出てきません。
そして、しばらく幸福度の高い国として挙げられていた「ブータン」の名前は見つかりませんでした。(2019年度版で156か国中95位)

日本の生活

私は、外国で生活をしたことはありません。生まれも、育ちも日本で、もっと言えば、都会と言われる場所からは、だいぶ離れたところで生活をしてきました。
しかし、外国には、数カ国行っていますし、東京にも、年に数回は行っております。(一応、渡航歴:イタリア、フランス、アメリカ、中国、カナダ、フィンランド、ドイツ)

そんな私から見た日本の生活は、世界一過ごしやすい国です。
「そりゃあ、生まれ育って、言葉が通じて、勝手がわかる国だから。」そう言われれば、それまでですが。
何が世界一か。
ご飯が美味しい。街がきれい(ゴミが少ない)。時間がほぼ正確。お店での対応。
女性であれば「安全」もかなり重要な項目として挙がるのではないでしょうか。(女性でなくても、人として「安全」は重要ですが、特に)
などなど、たくさん挙げられます。

「ご飯が美味しい」であれば、イタリアはとても美味しい食べ物がたくさんありましたし、その国での美味しい食べ物も、たくさんあります。
日本は、いろいろな国の料理も食べられます。(本格的なものかどうかは別ですが)

ちょっとおすすめのYouTubeチャンネル
Momoka Japan

なぜ日本の幸福度が低いのか

なぜそんな日本の幸福度が低いのか、気になります。
本書では、日本人の判断基準の平均が、集団主義的な上、謙虚な国民性から低くなっていると書かれています。
詳細は、自身で読んでいただき、判断していただければと思います。

加えて、これは私の主観です。昔から欧米思考、外国への憧れが強い国民性があるのではないかと思います。それはそれは、倭の国の中国への思いだとか、安土桃山時代のポルトガルだとか、明治時代のイギリスだとか。
今でも、日本のもの、例えば、日本製品や、日本酒や、観光地など、諸外国、特に欧米で取り上げられると、逆輸入的に日本人が反応する傾向があるように感じます。

何が言いたいか。
「日本人の幸福度が低いのは、隣の芝を見て蒼いと、羨んでいるのではないか?」
「今の日本の生活が、あたりまえ過ぎて、評価基準が高くなっていないか?」
という気がします。

幸福度と生産性

働くことと、生産性と、幸福度について書かれています。
ハーバード・ビジネス・レビューですので、ビジネスにつながる論点で書かれています。
マネジメントに関わる人も、そうではない人も、働くことと、幸福度の関連を考えるきっかけとなるのではないでしょうか。
人はなぜ働くのか?
産業革命以降、人が機械と比較され、生産性が謳われ。
行動成長を経て、生産性に加えて、付加価値が求められ。
情報化社会を経て、人びとの生活が変わり。
隣の芝が、よりよく見えるようになり。
これまで伝えられずに過ごしてきた、少数意見が取り上げられるようになり。

今後、働き方が変わる波は、より大きくなっていくのではないでしょうか。どんな風に変わるのか。そんなことを考えさせられる内容が書かれています。

ポジティブ? ネガティブ?

さて「働くことと幸福度」から、「心の持ちよう」に。

「幸せであること」はポジティブな考え方から

と、思っている人は多くいるのではないでしょうか。
そして、ネガティブな人は、ポジティブになろうと無理をしていませんか?
そして、自分のネガティブが出ては、「やっぱりダメだ、、、」とさらにネガティブになったり。

どうやら、「ポジティブ」「ネガティブ」と「幸福度」は、あまり関係が無いのかもしれません。
私たちの前に起こる出来事はには、「良いこと」とか「悪いこと」があるのではなく、「出来事」があるだけ。
私自身が詳しく説明できるところまで、理解できていませんので、気になる方は、手に取ってお読みいただければと思います。

おわりに

おそらく、人が知識を持ったり、人と人との関係性を持ったり、それほどの昔から、「しあわせ」について考えてきたことと思います。

寒い、暑い時は、「雨風、暑さ、寒さを凌げる」しあわせ。
飢えの時は「食べ物が有る」しあわせ。
牛や羊の数、お金や、土地や、財産などの多寡による、他の人との比較。
「人から愛される」ことの、しあわせと孤独。

結局、古来より人々が思い悩んで考えて、わからなかったもの、ことに対して、未だに思い悩んでいるのが、「しあわせ」という感覚なのかもしれません。
それが、「わたし」にわかるとしたら、その過去の名高い哲学者や、詩人や、芸術家や。そんな人びとを超えられたということでしょうか。
おや、また誰かと比較してしまっています。

自分なりの、「しあわせ」の基準と、「しあわせ」の価値観ができれば、それが一番大事なことなのかもしれません。

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