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市長への手紙

いいかげん、賢者に教えを乞うたり、誰か他の人が動くのを期待したりするばかりではなく、自分たちで考えて、身近な人々と議論することからはじめないといけないということは、近頃、特に切実に考えていることです。

 あまり遠くのことや、大きなことは、手に負えない感じがしますが、まずは、自分のいる集落、自治体から、オセロの端っこのようにひっくりかえしていくことが大事で、他の地域にも、そういう「端っこ」があちこちにあることが希望です。いつか真ん中塗り替えるぜ。という野望も忘れてはいけませんが、まずは足元から。市長に手紙を書いてみたので、興味のある方は、読んでみて、自分はこう思う、もっと違う方法がある、それはおかしい。などなど。ご意見、ご感想などお聞かせください。

香美市市長 依光晃一郎さま

 以前に開催された行政連絡会の際、意見があれば気軽に連絡してくださいと市長の名刺を、各地区の自治会長に配布してくださったことがありました。近頃のニュースを見ていると、政治は暮らしからほど遠く、一人の生活者の困りごとなど、まったく意に介していないように見えますが、市長から、いつでも連絡してくださいと、手書きで携帯電話の番号が書き込まれた名刺を受け取り、いちばん身近な自治体であれば、打てば響くこともあるかもしれないと希望を持ちました。

 私は、高知県に移住する以前は、神戸市須磨区という地域に住んでいました。須磨区の面積は香美市の約18分の1しかないにもかかわらず、人口は約6倍で、自治体やその地区長という存在に対しては、一般市民が気軽に対話できない相手というようなイメージを持っていました。賃貸住宅に住んでいると、自治にはかかわらず、住宅と敷地の管理も管理会社におまかせで、自分から関わる機会もありませんでした。

 しかし、香美市に移転してからは、たった8世帯の限界集落とはいえ、自治会長という役割を引き受けていることもあり、香北支所や、香美市庁舎、地区長という存在も、対話可能な存在として、意識することができるようになりました。これは、人口の多い地域では、望んでも得がたいことだと思います。

 地方自治体としても、国としても、 過疎であることは望ましくないことで、 人口を増やすことが大切であることのように言われてきました。私の暮らす香北町中谷地区でも高齢化から地域活動に参加できる人も、年々減少しており、このままではインフラの維持も難しいという段階にきています。しかしその一方で、都市の人口集中と過密による問題もそれ以上に大きく、適度に人口が分散することは、今起きている多くの問題に対する解決に、むしろ欠かせない条件になっているはずです。

 たとえば、ここ香北町では役所の窓口をはじめ、郵便局やドラッグストアなどで、受付や清算を長い時間待つことは稀であり、列ができていたとしても、そこで怒っている人はあまり見たことがありませんが、都会ではよく見かけました。こういうことは些細なことのようですが、相互扶助を機能させるには、単位が小さい方が有利です。同じ人間であっても、元々が優しい人物であっても、ストレスに追い詰められると、他者を思い遣る余裕を失ってしまいがちです。

 この他にも、私が、今後は都市よりも、田舎に、大きいものよりも小さいものにこそ展望があると考えてきたその根拠と、そのために取り組むべきことを、以下にいくつか提示いたします。そのまま実現できなくても、ひとつのアイデアとして、議論のたたき台としてご活用いただければ幸いです。

1・資源とエネルギー 資金の地域内循環
2・中山間の農地維持と家庭菜園
3・非正規、短時間労働、ワークシェアの推奨
4・菜園つき市営住宅

1・資源とエネルギー 資金の地域内循環

 地方が豊かになるために、一番手っ取り早いのは、住民が生活で必要とする物資や資源を、地域内で調達消費し、お金や労働力を外に逃がさないで、できる限り内循環させることです。

 地方住民の平均所得は、都市部に比較して低く、物価の上昇と、課税負担の増加により、可処分所得はさらに少なくなっています。そして今後は、2025年問題として警告されているように、ドライバーの不足や、ガソリン価格の上昇により、遠方から、また遠方への物資の輸送コストが増え続けることも予想されています。グローバル化というのは、遠隔地からの大量輸送、大量消費が前提となっており、この流れのままで行くと、人口が減る一方の地方の生活コストは、上がり続けることになります。しかし、実際地域には、自然資源が豊富にあり、それらを地域内で消費、循環すれば、コストは最小限に抑えることも可能なはずです。

 たとえば、電気については、できるだけ近いところで発電し、送電の距離が短ければ短いほど、放電によるロスが抑えられます。かつてあちこちに設置されていた水車小屋のように、中山間の高低差を生かした低コストの小水発電所の開発を進め、日照時間の長さを利用して、太陽熱温水器の普及(リース)を促進すれば、消費エネルギーを地域ぐるみで大幅に削減し、その分、市民の可処分所得を増やすことも可能です。

 地域の自然から生み出されるエネルギーへの転換をすすめることによって、地域内の発電や蓄電の管理やメンテナンス、太陽熱温水器リースなどの仕事が生まれ、新規事業として、雇用を生むことにもつながります。

2・中山間の農地維持と家庭菜園
 香美市では、中小の農家が多く、農業生産が盛んであるにもかかわらず、スーパーには地元の野菜以外にも、関東や北海道、さらには海外から運ばれた野菜や果物が年中並んでいます。品質がそこそこであれば、どこで生産されたものでも、安いものを買う。というのが、現在の一般的な価値観だと思いますが、当然のことながら、市民が遠方で採れた農産物やその加工品を買えば、その代金は、地域外に流れ出ていくことになります。

 遠方から食品を運んだり、季節外れの農産物を生産するためには、膨大なエネルギーとコストが消費されています。地域内で食品の自給率を上げることが可能であれば、その分地域に資金が還元するのですが、これには、買い物をする人の意識の改革が必要です。

 中山間で「農業」ではなく「家庭菜園」を推奨する理由
 今後、中山間において、輸送コストも、ハウスも燃料代もいらない、この先も持続可能な農産物生産の拠点となるのは、家庭菜園だと考えます。ビジネスとしての農業を展開するには、年間を通して出荷するための大規模な設備や、機械の他に、大量の肥料や農薬などの資材が必要になりますが、これらの品物の多くは、また遠方から当地に「輸入」されるもので、ここも資金の流出ポイントになっています。また、香美市で大半を占める、中山間地の多くは山を切り開いた、棚田であり、大規模化して、効率よく農業ができるような条件の良い土地は多くないため、現在以上に大規模化を進めることや、輸送コストが上がり続け、人口が減少している中で、今後、遠い関東や関西への出荷増大を期待することも現実的ではありません。

 たとえ小規模でも、販売するために作る農産物は、味以上に見た目と安定供給が重要であり、化成肥料や農薬の使用は避けがたいですが、家庭菜園ではそれらを使わずに、手間のかかる有機栽培にも気軽に挑戦することができるので、ここでも、地域外への資金流出を減らすことができます。

 里山では昔から、自給のための家庭菜園はごく当たり前に、料理や洗濯などの家事同様に行われてきました。完全な自給自足は現実的ではありませんが、1割でも2割でも、食料生産を担う人が増えれば、自給できない分の野菜や果物を購入する時、消費者としての、とにかく安ければ良いという価値観が変化していくことが期待できます。畑や水路を利用していれば、地域の水路や農道の維持についても、当然他人事ではいられません。

3・短時間労働、ワークシェアの推奨
 田舎には仕事がないと言われますが、細切れの仕事はたくさんあります。農業や土木建築などは特に、季節ごとに煩雑さがまるで違うので、年間を通じてフルタイムで人を雇い、給与を支払い続けることは難しいのです。

 その一方で、過疎地であっても、ケアワークの需要は年々高まっており、こちらは季節を問わず、人員の確保が難しい職種でもあります。こんなふうに条件がバラバラの状況で、どんな業態でも週休二日、8時間労働の正規雇用を基本に労働体系を組んでいて、うまくまわるはずもありません。

 かつて、農業従事者が農閑期に土木建築業で働いたように、兼業、副業で生計をたてられる仕組み作りは、田舎で暮らしていくために欠かせません。都市生活では、家事やケアをアウトソーシングすることで、労働時間を長くして、収入を確保してきましたが、田舎では外注先もその資金もないので、多くの部分を自給自足することになりますが、これにはやはりそれなりの時間がかかります。

 食事の用意や掃除洗濯に加え、子どもや病人のケア、家庭菜園や草刈りまで加わるとすると、都会人のように外で長時間働いていては生活が破綻します。かつては、家事を無報酬で担う人が犠牲になっていましたが、それが前提の経済なら、早々に否定されるべきでしょう。家事やケアを誰かに押し付けることもなく、家族が分担して行うとすれば、男性も女性も双方が外で働く時間を減らして、それぞれに家事やケアに時間を割く必要があります。

4・菜園つき市営住宅
 田舎に住む理由のひとつに、戸建ての住宅に住むということがあります。都会で土地つきの戸建ての住宅に住もうと思えば、郊外でもかなり高額で、多額のローンを長期に組むことになりますし、そこまでしても戸建て住宅には手の届かない人が大半です。

 世帯年収が都会で生活している時よりも安くなったとしても、庭付き、また畑つきの家で長い時間過ごせるとしたら、そちらを選びたいという人は少なくありません。東京で、世帯年収が1000万ほどあったとして、土地つきの一軒家はなかなか購入できませんが、田舎なら年収が半分になっても一軒家に住める可能性があるのですから、収入が下がっても、田舎に住む意味はあります。ところが、移住希望者に対して、空き家や宅地の数は少なく、新しく建てるにしても、農地の転用はなかなか認められません。

 この問題に対して、市が、菜園つきの公営住宅を建設し、賃貸や分譲を行うことで、受け皿を作ります。間取りと仕様の規格化と、同じ区画に4~5軒程度同時に開発することにより、建設コストを下げ、基本相続を認めないことで、家賃や分譲価格を安く抑えることが可能です。太陽熱温水器や薪ストーブを標準装備して、あらかじめ省エネ住宅として設計し、周辺の水路管理や草刈りなどの作業も含め、自治会組織への加入や共益費の負担も条件に加えます。

最後に
 田舎の起死回生プランとして、外からの観光客それも富裕層を対象にした宿や観光施設、特産品の開発、ふるさと納税、などはよく見かけるのですが、そこに違和感を感じています。どれも、地元の人が利用することはほとんどないようなものだからです。

 全国を見回してみて、移住者が増えている自治体に注目すると、まず今住んでいる人が幸せそうであり、観光客よりも、子どもや老人など、地元の弱者によりそうような政策をとっていることが多いように感じます。南米のアルゼンチンは経済破綻した国として有名ですが、現地の人々はそれを悲観する様子もなく、名産の牛肉やワインの最上のものは、外貨にかえることなく、国内で消費してしまうというのです。

 その場所に行かなければ食べられないごちそう、地元の人で賑わうレストランや市場、その地方独特の食文化や暮らし、少なくとも個人的には、そういうものを味わいたくて旅にでかけます。住みたくなるような土地、というのは大きな会社がたくさんあるような場所ではなく、自然豊かで、個性的な店がたくさんあり、住民が楽しげな土地であり、私は、香美市もそういう場所になりうると思っています。

 長くなりましたの、いったんこの辺りで締めますが、この提案書でつたえきれていないこともありますので、また改めて、お会いする機会があれば、お話ししたいと思います。

まだ暑い日が続きそうです。お忙しいと存じますが、くれぐれもご自愛くださいませ。

 長かったですね。市長の後援会のHPを覗いてみると、私とは全然違う考え方のようにもとれますが、そんなもんはとりあえずどうでもいいのです。

 今の市長は、この地域の出身で、自分と年齢も近いので、国政与党の政治家たちと比べたら、根本的な価値観も、そこまで遠くもないんではないかと思っています。

さいごに、うずまき舎の座右の書である『農民芸術概論』から、
序文を紹介しておきます。

 『農民芸術概論』宮沢賢治 より

 おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
 もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
 われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
 近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい

 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

 自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
 この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
 新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
 正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
 われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である

うつくしい中谷の棚田。

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