#自分と向き合うシリーズ「表面・さらに奥へ・諦め以前」
おはよう。
今日も気づきの旅へ(笑)
今朝のつぶやきからの変化。
と言うか、自分と向き合う作業をしていて、頭でなんとく説得していることに気づく出来事があった。
公園にいつものように犬と散歩に出かけた。
妙な出来事が起きる時はいつもそうだ、時間が歪む。
ちょっとづつずれがあって、その時は来た。
わんこがそばを通ったおじさんに飛びついたのだ。
そして、アジさんの左腕を少々カプっと。
本犬は噛みついたつもりもなく、ただ、咥えたくらいなんだろうが、それなりの中型犬ですので、勿論「襲われた」になる。
で、おじさん驚いて、腕を摩りながら「血は出てへん、でも、こんなん、、、噛むなんて、、、こどもやったら、、、承知せーへんで💢」的なことを歩いたり止まったりしながら発言して公演からさって行った。
すみません、怪我しました?すみませんすみませんすみません、ごめんない
他に言えることがないのでひたすら言った。
そこに居合わせたご近所さんに「あの方どちらの方か分かります?お詫びに行こうかと。。。」と話しかけてみた。
どうやら知らないと言うことで、しばらく話していた。
自分が小さくなっているのを感じながら、わんこと戯れた。
そして、トボトボと帰宅しながらも考えた。
わたし、自分と向き合って、思い込みに気づいているはずなのに、現実こんなことになってる???なんで💢
あんたのせいで、余計なことになるかも知れんやん!
ん?
犬のせいか?
この現実はなんだろう?
そうか、わたしはまだしっかりと自分の根源に辿り着いてないんだ。
もっと本質的な「思い込み」まで気づけてないんだ。
そうか、、
そこが足りないんじゃなくて、全然放り下げられてないだけ、表面だけなんだ。
よそから見て、あーなそこね🌟的なところでちょこまかしてただけだわ。
あら?
結局、そこに気づけたわけだから、わんこと歪んだ時空とおじさんに「ありがとう」じゃないか。
おお?
そう言うことか。
「〇〇のせいは、おかげさま」
自分で書いておいてまた振り返りだ。
自分が吐く言葉は一番に自分が気付かされる言葉なんだよね。
もう2018年には吐けてる言葉なのに笑
も本当仕方ないな、ポンコツですから(笑)
そんなこんなで、今朝起きて今朝のつぶやきになったわけだ。
我慢はしないと決めたけど、結局いっぱい我慢してるのかも知れんね。
我慢というか、諦めてるんよね。
自分ではどうしようもないって。
諦めるというか、それ以前かも。
初めから計画すらしないというか、夢に思う前に「そんなこと思ったところで」ってやるよりも思い描く前に「諦め」てる。
諦めの前の言葉ってないかな(笑)
ドリームキラーはわたしだよね。
いやー
だからわたしにには夢が無いんだ。
持てやしないよね。
生まれて来たこと、
(橋の下で拾ったとか、畳の減りで蹴躓いた子だとか言われて、望まれてないと思い込んだ)
生き続けること、
(食べることが大嫌いで、生きたいと思ってなかった)
を大前提にしていたのだから。
そもそも、日々シャットダウンをすることだけを望んでいた幼少期がデフォルトなんだからして、夢なんぞ描ける立ち位置にいるかけないよね。
諦め以前の話だわ。
期待するからって良く夫に言われるけど、そもそも期待自体も分かってないから言われてもわからなかったのはこういう事からかもしれないね。
しかし、いつもそうなのだが、これ書こうと思って、タイピングし始めるのだけど、書いている内に違う気づきが生まれて、到着てんが予想外のなる。
今もそう。
諦め以前で、夢なんか!って思い込んでたんだってこと。
ふーん。
で、なんでそんなこと思い込んだんだろうか?
食べることもなんで嫌いになったんだろう?
きっとね、冗談でも「望まない子」系の言葉を聞いてしまったからだろうね。
それか、小さな頃から「言葉の裏側」が聞こえるこどもだったから、大人の面の顔と発言との食い違いを感じて「全部嘘」ってことを感じ続けていたからだろうね。
それらも「嘘」でもなくて
全部、
真実で、
真実はいつもたくさんあって、
どれもその人の真実で、
整合性はなくて、
でも嘘じゃなくて、
でも、事実でもなくて(笑)
都合よく受け止められて、流せるわけはなく、ひっくるめて「全部嘘」と信じ込んだんだよね、自分で、自分を守るために。
なんか、ほんとに面白い。
一つひとつ丁寧に「信じていたこと」を見つめていく作業。
そんなことを信じたんだよね、小さなわたし❤️
って、きゅんってなる。
浅ましく、現実を変えるのだ!
まさかのこの発言☝️
そうなのね、やっぱりまだ「フリ」してたんだ。
苦しかったんだ、わたし。
うんうん、やっとここ自覚できたね。
うんうん、無理してたんだね。
でも、なんで無理してまで誰かを纏うことを決めたんだろね。
そう、昨日書いて整理していたら出てきた。
お金についての思い込み。
親父が思っていた思い込み(多分)をそのまま自分の思い込みにスライドさせてたみたい!!!!
妙な歪んだ感謝は母親のものだった。
この二つはまだもう少し客観的に見つめるのだけれども、これを刷り込みだとしたら、これまでの人生ほとんどが刷り込みじゃないか?
って思えるくらい、自分の人生を生きてない!ってことにきづいたのだよ。
そんなことのせいにする訳でもないけど笑
やっぱり、自分がフォーカスしてることって、そのまま自分の人生に投影させているんだなって。
ここに気づかないと、向き合いたくないから、見て見ぬふりというか、対処できなさすぎて、上から何かを被せてしまうのだ。
臭いものには蓋をしろ。
あ、昔のボットン便所の便器の前にこの文言を親父が書いて貼ってあったの思い出したわ。
えーっと、そもそも何を書こうとしてタイピングし始めたのだっけ?🙄
それもめっちゃいけてる気づきだったのに(笑)
うふふ(๑・̑◡・̑๑)
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