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お日様食べんと光見失うかな。上手いことできてんの。命の連鎖。

学校教育の始まりは、工業製品を作る工員を育てるためだったそうな。

その昔、農業を家庭内で「伝授」してが教育だった。
親から子へ、孫へ。

そこからなぜ工業化になったのは知らんけど、多分「もっともっと思想」で、「発展」の名の元に、化石燃料が普及し始めてのことだろうね。

産業革命ってやつだろうか。

自家教育では「選択」できて「NO」が言えちゃうから、そんな子を「YES Man」にせねばならないから、集めて均一に、同じものを、整列させて、ミギムーケミギ教育を作ったとか。


今や、それ必要?


で、義務教育って、自分たちがその期間通うのが義務だと思ってた。

でもね、その期間通わせなければならないと義務を課せられたのは「親」にだったんだと。


こどもを家庭以外の教育機関に差し出し、外部の教育を受けさせねばならないと言う義務は「親」が与えられたのだと。


2回書いた。笑。


ま、行かせてない親が罰せられると言うことはニュース等々で聞いたことがあるような。
こども自身の意思で「行かない」は違反にならないのだろうか。

でも、親に縛りがあるのだったら、こどもはその所有物だから、あ、管理対象だから、え?なんだこの違和感、、こどもが何を言っても通じないのか?。。。?


自分が産んでも、他人であって、保護であって、所有物ではない。

これ基本。

で、働かせて、物作りさせて、税金納めさせて、その工員・兵隊・奴隷を製造させられているのが国民で。


なんのために生きてんの?








幸せ?

になるために?







何も生産しない国はタカリだという人もいる。








ここら辺に気づいて見つめて見たら、良くわからないマグマが体の奥底から噴き出してきそうになる。

目の前のなにかで誤魔化して生きてるよね。

その方が幸せなのかもね。


やっぱり知らなくていいことなのかも。






さてさて、ワークショップなるものをいくつもやってきた。
短編読み切りものだ。
続けることや、繰り返しが出来ないうずまきはポンコツやからね。


で、いくつも受けてもきた。


そのどれも、全然日々に活躍していない(笑)


何が継続というか、自分の体に染み付いているかというと、ふとしたときに教わった親からのことなのだ。



わたしの料理は親父から。
虐待親父は、晩年病気の巣窟だったから、働けないので、家事を嫌々していた。
それを遠くで見るだけ。
近寄ったり、何か言ったら、何か飛んでくるからね。

見て覚える。

これが出来るようになったのは親父のおかげ。
メリットとして見れるようになったね笑


死ぬ前にお節料理のレクチャーはして貰ったなー。
一緒に料理程ではないにしろ、台所に一緒に立っていたのは覚えている。

今でも、大声と、自分よりも大きい人や、威圧のエネルギー出す人は無理。
体が硬直するね。


自分が受けたり、教えたりすることでやっぱり思う。

なんで、色んなこと教わるのが他人で、お金が必要なんだ?って。


生まれた、生き延びる場所に生えてるもの食べてりゃ、食べ方もなんもいつも通りでいいのよ。

人間はそれぞれを分解する酵素が少ないから、熱を加えてから摂取することで、分解を容易くしているのさ。

だからね、茹でる、炒める、蒸す、このどれか良いのよ。
*長崎一人旅はスーツケースに蒸篭入れて現地のスーパーで仕入れて蒸し野菜作って旅してた。

あとは工夫。
あとは好み。
それだけ。

で、知らなくていいことを知っては、遠くの「体にいいもの」を欲しがる。
そう仕向けられているのだ。

ま、農地も与えられてないからね。
首根っこふんじばられて、なにも出来ないし、その教えも教わっていない。


母娘関係も、伝授させないというか、母娘は揉めるのんだという刷り込みをドラマじゃなんだで見せられているからさ。


何かの問題はほぼ全て「母娘」関係と位置付けられている。

毒親

この言葉もそうよね。

母親に問題があるという刷り込み。
ここに縛りをつけて、そこで「解いてあげようぞ」とビジネスの素としてばら撒かれる。


自分以外に問題課題があると思わせる。

これは巧みで、人類が抱える「悩み」に落とし込まれているので、あーそうだねと思える人は少ないだろう。

わたしもね、例外じゃないよ。
あ、でも、愛着障がいという言葉や、ADHDかもしれないと気づいたときの周りからの反応と、生きづらいのか!と気づいた時の「自分の感じ方」で、なんとなくこの巧妙なカラクリに気づき出してた。


本当に、もういい加減

目覚めろよ💢


そんな感覚になったわ(笑)
自分の中にマグマがあるのは感じてた。
そっか。

もう爆発のタイミングか🤭


教わることは、自分のルーツからで良き。
歪め、絡めとられていることに気づけ。


命懸けで、生みました。
命を繋いでいるのだ。
日々、マルチなタスクをこなしながら。
「母」は偉大なのだ。

母=地球=海

汚染水流してる場合か!!



土ってすげーの。
生ゴミでも直に土に埋めたら、なんでもなくなるのね。何事もなかったかのように引き受けてくれるの。


見過ごして
時間に任せて
痛いことしても

受け入れてくれるねん。
地球。



でもさ、そろそろ限界。


うずまきが「こだわり」と言われるけれど、それって逆とちゃうかなってめっちゃ思う。

いる要らん、見極められるように「何かと交わらないように」、純粋に違和感から選んできただけ。

荒れ果てた空き地で育ったけど、放置されてきたから、結果「自分で見極める力」を開拓し、「自分を大切」にしてこれたんやわ。



家事力が生きる力って、マジで共感。


ま、なんでもいいわ笑笑
わたしはわたしのやることやるだけ。
暇なんて全くない。
結局いっつも忙しい笑笑

季節は進む。
足あって移動できるけどな、植物とおんなじなんよ。
ただ、直接光合成できへんからな、野菜食べてお日様を取り入れるんよ。

お日様食べんと光見失うかな。
上手いことできてんの。
命の連鎖。


ぐだぐだと笑
ほな。


写真は糠漬けや。


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