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こだわりをこだわりぬく決意。私と出会って「宝物」になったものたち。【ADHDと自認して#00】

人生やり直します。
反省は置いといて(笑)

わたしのこだわりはなんだ?
そうそれは、人の不要なものを宝物に変化させること。
小さな頃からそれは始まった。

6人家族で、両親と4人のこどもたち。
9つ上の姉と6つ上5つ上の兄二人の末っ子として生まれた。
父は高い高いプライドのおかげで仕事を転々とし、定職を持てないまま病弱となり、自営の母の手伝いや自宅での晩御飯作りを担っていた。
当然プライドが高いので、こころよく引き受けていたのではない。家庭内では大きくなった兄たちとのいざこざが日常のありふれた荒れた貧乏な家族だった。

母は田舎から出てきて(たぶん集団就職)、拾ってもらえたことに感謝しているということを話していたかと記憶している。
その理由としては、理不尽な夫のふるまいでも文句言わずに、現れる現象に嫌ともいわずに黙々と取り組んでいたからだ。

貧乏を説明するのに両親の紹介とは。。。
すまぬ、とうちゃんかあちゃん。

上の兄弟たちとは離れて生まれたわたしは、小さな頃は病弱でとにかく「食べること」を進んでしない、何か見える変な子だった。
そんな子が、4才あたりの記憶からたどると、与えられたのは「ずっと独りぼっち」と「鍵のかからない家」と、「犬」と、「空き地」だった。

幼稚園から帰るとまず空腹をしのぐために自分で包丁を使って柿を向いて食べたり、当時流行り物の電子レンジで何かを調理して食べていた。
今思うと、早生まれの4歳児はすごかった。

お腹を満たすと今度は遊び。
遊びに使えるものは拾ってきたものばかり。
空き地はまるでゴミ捨て場だったから、ありとあらゆる面白いものがそこら中にあったのだ。
とりわけ台所にあるもの系の道具たちはたくさんあったので、ままごと遊びには事欠かない。
いつも近所の子たちとままごとして遊んでいた。

大体が怒られたことで記憶しているのだが、黒いレコード盤。
たくさんあって、それが音楽を奏でるものだとは知らず、円盤にしか見えないから、みんなでフリスビー(わかるかな?)にして飛ばして遊んだ。
なんで怒られたのかな?。。。

他には畳が落ちていて、それを工夫して「秘密基地」を作った。
柱になるものを探してきてオール畳で部屋を作った。
高さはないので、しゃがんで入らねばならなかったけれど、その薄暗さや狭さが怖くて楽しかった。

それも、そのうち大人に怒られた。
なぜかって言うと、その畳基地にホームレスが住みだしたからだと言っていた。
なんでも、わたしのやることは「大人に叱られることで、厄介な行動なんだ」と認識するのは簡単なことだった。

今思うと、人が住めるものを建築したんだ!って逆に喜ばしくないか?
そこから発想を未来に向けることもできただろうに。
禁止制限叱り怒りは何も生まないね。

やらかしたことはまだまだあって、家の隣にあった資材置き場はわたしの格好の逃げ場所だった。
そこに寝床を作り、本を読んだり昼寝したり。

というくらいに、拾って来たものや、その辺に落ちているものや、人が要らないと捨てたものや、禁止されてるものがわたしの遊び道具だった。

人が持つ新しいものも欲しかったが、ねだるなんてとんでもないことだったし、わたしには身分不相応で、持ったとしても似合わない。
もしくは「盗ったものだろ」と言われかねない。
貧乏気質と言いましょうか。。。

そんなことを悲劇に思っていても仕方がない。
最近気づいたことは「出来ないことを一生懸命できるようになろうともがいていた」だ。
つまり、何者かになろうとしていた=自分を否定していたのだ。

戦わない
求めない を決め込んでいたわたしはその反面ずっとそんな自分を嫌って遠ざけてきたのだ。

捨てられたものたちと付き合ってきたのは、文句言わない否定されないからではないだろうか。
わたしは父親と同じで文句言わない母親みたいなものたちを服従させていることで自分を納得させてきたのだろうか。

話がどんどん脱線する。。。
思考が追い詰めたり、否定思考に訓練し続けたもんだからどうしてもそっち方向へ流れるねー。

古材を何とかすることで怒られたり叱られたりする方が多く、いや圧倒的にそれで、褒められることなど皆無。
それでも、その工夫が楽しくて日々やっていたように思う。
なんせ、お金なくてね。
それもあるけれど、希望通りのものが見当たらなかったことが一番の理由だな。

そう、こうしたいと思っているものを探してお金を出して買うよりも、自分で作るほうが早いと感じていたからだろう。
今でも、買い物に出かけても「これ作れる」とアイデアと構造を見て、自作してしまう。そんなに器用でもないのに。
あの材料たちがわたしを待っている!みたいになるのだ。

貰ってきたソファーやテーブルに椅子は普通に我が家で活躍中。

つまり、わたしには、人がごみと思っているものを宝物に変えたいというこだわりがあるのだ。

何かに逆らっているのか?
自分がごみだから、工夫次第で宝物のなるんだよ!って誰かに叫んでいるのか?
とにかく(笑)、新しいものたちの中にいるよりも、心地がいいのだから(笑)。
結局のところ、それが大きな理由だ。
寄せ集めでもあって、そもそもと違う形で活躍していても、統一感がなくても、なんとなく元々そんな場所であるかのように「在る」心地よさが好きなんだろう。(なんと夫の名前は「在」なのだ)

友人が書いてくれたタペストリーはテレビ隠し。


You hahe right to be here.
(ここにいていんだよ)
わたしが一番大切にしていることはこれだ。
誰もが「ここにいていいんだ」。
ものたちも、安心してここにいる。

捨てられないということよりも
活かしてもらえるということだろうか。
一生のうちに輝く瞬間が何度あってもいいよね。

今日見た動画は↓

違う世界を見れた気がした。
シャネルもプラダもいいけれど、じゃあわたしが誇れるこだわりはなんだ?と考えたときに真っ先に出たのが「不要なものを宝物に」だったのだ。

この数年遠回りをしたような気がしていたが、いやいやいや、まったく人生をかけてこの作業を黙々とやり続けていた。

なので、今までやってきたことをもっとこだわってこだわって集中することに決めたのだ。

わたしのおもちゃ箱であるこの家は私と出会って「宝物」になったのだから。

#01

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