ぼーっとすることを尊重、、、かな(笑)やっぱり、何もしないことかもね。

わたしが何かすると
何かが発生し
それに対して
わたしが何かすると
また何かが発生する。
なので
何もしないのがいいのだと理解した。


ここ(借家だよ)に越してきて丸10年。
なんちゃって菜園をしていることに気づいた。
ま、そもそもやること全てがなんちゃっておままごとですが(笑)

ホームセンターの苗を買わず、固定種の種を求め、種から一生懸命取り組んだりした。
芽が出ない、育ちが遅い、花が咲かない、実がつかない。

こんなんじゃやるきも出ない。
まして、暑さ寒さが大の苦手。
体が蛇で体温調節出来ないやつで、そして元来辛抱のできん奴。
全然ちゃんと面倒見ない。
最悪な奴、うずまき。

それでも、時々収穫できたり、いつ蒔いたのか?種が勝手に発芽したりする。
そいつらの方が、断然元気。

そうそう、主人のことがお分かりね〜
勝手にどうぞ、手間のかかる奴はここでは生きていけないんだよ、君たち自由におやり!!がうずまき流。

でね、土を作らないと、固定種の種も3年とってからが「うちの子」になるんじゃないか?
それまでは土を作って、種をとって、食べるのは少なくてもそうやって「うちの子」を育てることをのんびりやろう。。。

でも、収穫できなかったら、わたし死ぬんじゃん。スーパー依存は無くならんな(^◇^;)

どこまでも甘えるうずまき。

ボンクラすぎて。
ポンコツにも程があるぜ。
生きる力のないこと。
なんでも与えられて、レール敷かれてくると、思考することさえも差し出してしまって(奪われたと思っている方が現実的かな)、傀儡なんじゃないか?わたしは?と打ちのめされていたかな。

だとしても、食糧にも困らず日々満腹で、きっとまだ過食可能な部分までもコンポストに入れていたり、腐らせてゴミにしたりしているかも知れない暮らしをのうのうとして生きながらえられているのが事実。

どう足掻いても、これが事実。
現実を分析して自認す。
これは自分を責めているのではなくて、事実をテーブルの上に出して、眺めている感じだな。

何書きたかったか忘れてきた(笑)

固定種へのキッカケは野口さんの講演会。
8年ほど前に彼は80才くらいで5時間ぶっ通しで講演した。
彼は怒っていた、命への冒涜だって。
その中で、蜂の危惧も聞いた、もちろんF1種のことも。雄性不稔(漢字あってるかな?)のことも。

おじいさんはそもそも頑固ジジイのようだけども、彼をそうさせた理由があるんのだね、そう感じた。

わたしも人の端くれならば、土が側にあるものとしては「わたしもやらねば」と固定種の入り口が開かれたのだ。

駄菓子菓子、土作りといってもなんの知恵もなく自分の育成のそれまでになんの出会いもなかった。
ただ、場所と時間が与えられた。

自分の心を整えるのと同時に始まった引きこもりと、家を改造して遊ぶこと。
今の大きな開き直りにたどり着くまでには8年がかかってる。

この家に来たおかげ。

でだな、本当に言いたいことはそんなことではなくて(笑)

一生懸命、本を買っては、ネットで調べては色々やった。
でも、元来の飽き性も手伝ってうまくいかないを繰り返す内、どうやら豆科の雑草が庭に登場し始めた頃からかな?
アブラムシがびっしりと。
ありも凄かった。
モッコウバラの新芽を食い荒らすありには殆困った。

で、わたしは「なにか」をしたのだ。
薬剤はわからなさすぎて使わない・使えないのだけれど、ニンニクで作ったものとか何やら作っては次々と「なにか」をするのだ。

すると、何やら変化して、見たこともない虫がやって来たり、それまで以上になんだ?な状況が生まれる。
そして、追われるように「なにか」対処が必要になってくるのだ。


あれ?



その内、恩師が話す昔話を思い出した。

貧乏な彼は母親が早くに亡くなり、父親がお金を入れなくて、小さな弟妹を育てなければいけなかった。
彼は元小学校の校長先生で、学校で畑をしては野菜を作って来た、凄腕の校長。

その由来はヤングケアラーだったのだ。
そんな彼がそもそも、お金をかけて土づくりをするのか?
野菜が育たなかったら、死活問題。
今のわたしのノンベンダラリな畑仕事とは大きく違う。

そもそも「かけるお金がない」のだからして、自然の力を最大限に利用して野菜の栄養分を作っていたのだ。

おおーと。
畑をするのはファッションでもなく、ライフスタイルでもなく、生きるため。

大事なことをすり替えてしまってたな。。。

そう、人が思考して余計なことをすると、ロクなことにならない。

ここ「人」と書いたが、うずまきと入れてもいい。

これを思い出した時、そうだ今ここにあるものこそが、この土地を作って来たものなのだから、気がなって葉が落ちて土に返って行く様。
虫が、菌が分解し、そもそもに戻って行く。

ここに人が「こうして」と地球に言われたことをそーっとするだけでいいのではないか?

言われてもないことを一生懸命することでバランスを崩しているのではないか?

ここでまた、石ノ森章太郎氏の「海のトリトン」が出てくるね。
バランスを崩すのはニンゲンなんだってん。

小学校低学年の時のアニメで見たトリトンの内容は他の人と違ってわたしには「ごめんなさい」を唱える方だった。

怪獣たちの叫びを受け取ってた。

そうか、、、、
だよね、、、、
今、ここに暮らしているけど、わたしたちニンゲンがお邪魔してるんだよ。

研ぎ澄まそう。
全身で地球からの声を聞く。


わたしになにができるのか。


ぼーっとすることを尊重、、、かな(笑)
やっぱり、何もしないことかもね。

自分を肯定するってね、そうだねって自分とおしゃべりすることだよ。
自己肯定感って言葉の可笑しさに気づいてね❤️


時間をかけて戻っていく。
早く早く
もっともっと

あ、素食になろうぞ。
そんなこと忘れとったな😆

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