どうやら今度はセパレート化な境地に来たぞ。

気にしない と
気にならない は、違う。

これは「反応」と言い換えられるのではないかな。
数年前、ドボンとハマって「生きながらに死ぬ」(言葉でリンチにあいましたねー笑)と言う体験をした、とあるカウンセリング団体。
目の前で「通帳持って来て」と女性が言われてるのを見て、サヨナラしたチームだった。

助けを求めて必死な人に、ここ言ってあげれば気づき起こりそーなのに、言わないで、君はまだ支払いが足りないんだと??

違和感を覚えながらも「そんなはずはない」「〇〇さんの紹介で、〇〇さんも所属してるんだから。。」と、キヨブタ的に在籍していたが、モヤモヤ(違和感)することの方が多くなってきて、これが霧が晴れていくって感じだろーなー

あ、これはやばいヤツや、、、
と感じたあの雨の日、何気に来てくれた友人に「ちょっと一緒にいてくれる?」と時間も遅かったが助けを求めてみた。

雨の中、なんとかその場(ずっと言葉で笑顔付きリンチを聞きながら、引き攣った笑顔でお疲れ様と言うわたし)を脱出(主催し、食事を提供したので食器達)し、車に乗って友人の家の方向に走り出した。


スタバのコーヒーをドラスルして、道路傍で停車。
雨が降りしきる中、その時感じていた違和感を「いい悪い」を置いといて全て話した。

友人は一生懸命に話すわたしを止めることなく聞き続けてくれた。

そして一言。
「どんなあなたも大好きよ」って。

あのまま一人で帰っていたら、どこかの壁にぶち当たるか、反対車線にて誰かを巻き込むか。。それを彼女が救ってくれた。

そこにいてくれていた。
肯定も否定もなく。

そのカウンセリング団体には「長」てき存在がいて、その人はどちらかというと、わたしと近い波動で好きだった。

で、わたしを言葉で集団リンチをしてくれた人は、その一番弟子的な男性。
常に目ん玉が「💰」マークだった(笑)

意識が弱体化している人は食い物になる。
のだと言わんばかりに。

で、その長がこう言ってた
「人生のコツは反応しないこと」と。


当時わたしはこの言葉を反芻していた。

おかげで、反応している自分を見つけることができた。
自分が反応していることが何かを取り出すことに繋がった。

で、そこからがちょっとズレた(間違った)んだよねー

その反応からでた「感情」を「よしよし」と撫でて、無かったことのように「いい子ちゃんね〜」と箱の中に詰め込んだんだ。

無理やりポジティブ

とわたしは呼んでいる。

別名「上書き」とも認識している。

そう!
昨日のお客さんが、一つひとつ感情を認めているよーっ話すと「浄化だね」と言うの!
うーん、浄化っていうと聞こえはいいけど、それって「なかったこと」にしてるように聞こえたから、私の場合は浄化ではないかもーって話したなー


その
(無理矢理)ポジティブシンキングは、どんどんと上手くいってね、もうほとんど無くなったと、錯覚さえ覚えたもの。

自分の中からネガティブなくなってしまって、物足りなくなって人の心を触り出したもの。

楽しかったなー
ネガティブ探し。

でもね、上辺で、言葉で、対処療法を重ねてたらね、、、崩壊した(笑)

ま、そもそも、崩壊してたのかも知れない。一時忘れさせて貰えただけかもね。

あの雨の日、友人に助けてもらったから、わたしは抜け出せたんだってことを証明していなければならなかったんだろうね。
思い込みの力でわたしは生きてたな。

生きたいと思ったから
わたしは彼女に「一緒に居てくれる?」と発することをしたのだろうしね。
実際にはその日から10日間「再生プログラム」的に毎日誰かと会って自分を再製させていったのだ。
そんな約束をちゃんと自分で用意していたことに驚いた(笑)

人は人の言葉によって、命を奪われもするが生かされもするんだなって、身をもって体験したよ。

だからこそ、表面的なことを言いたくない。

無理矢理に反転させた思考はいつしかわたしを蝕み始めた。
アクセルとブレーキとよく表現されるが、この表現がピッタリくるのではないかな。

根底では「NO」と信じ込んでいながら、表面では「YES」と笑顔を作る。

事実、思い込みの世界なれど表面的に上書きしても剥がれると言うか、湧き上がって来ると言うか、増幅されるというか(笑)

自分が本当に思っていること、感じていることを、知らんぷりし続ける。
自分に嘘をつき続ける。

あんたの考えてることは全部違うの、知らない、それはわたしじゃない、あっちへ行け、治れ、消えろ、あんたのせいでわたしは生きづらいんだ、そんなのはわたしじゃない、消えろ、消えろ、見えくなれ

わたしのせいじゃない
そんな環境で生まれたせいだ
親がそんな風に育てたからだ
病気のせいだ
そもそも生まれて来たことが間違ってたんだ
なんで生まれて来たんだ


もう、生まれてきたことまで来てしまったwww

んで、生きてる理由を探し始めるってやつが自分探しなるものかもね。

これはうずまきの内部で繰り広げられていた「思考という映像ドラマ」だ。
誰かに当てはめたりはしていない。
わたし的にノンフィクション。

でも、全部思い込みって?馬鹿野郎(笑)
ほんま、そう(笑)

で、ここ2ヶ月何をやっていたかというと、その「無理矢理ポジティブの蓋」を開けてたのであーる。

これがまた大変。
天の岩戸だよ。
ウズメが踊って、チラ見の天照。
踊ってるウズメも本当は天照。
こじ開けた素戔嗚だっけ?も、天照自身。
どれも「自分」だと、わたしは解読したよ。

開けてでた世界は、自分の光で照らされて、キラキラした海が広がり、そこには笑顔の人々が。

なにも、怖くなかった。
そこには素晴らしい世界が待っていた。

そんなストーリーなんじゃないかな。


実際、開けた後の道の恐怖を描いているのがニンゲン。
で、その恐怖の残像はどこから来るかというと、垂れ流されているメディアや、つくられた史実。

とは言え、
これも嘘かもね(笑)

ま、どっちでもいい。

誰がなんと言おうと、何しようと
知らねー(笑)

ま、何かに反応するからこそ、物事は発展するのだから、反応することは悪いことではない。

そもそも、いつも反応は悪いものと思ってることが、自分の未来を作っているのだとしたら、いい反応でもいいわけよね。

で、昨日の「なにもしない」に辿り着くのだけどもw

常に、毎瞬、いいことしか起きてないのだよ(笑)
だから、そもそも望まなくていいってね(笑)

まずは、自覚。
わたしが今、ここに辿り着く最初の自覚は「メンヘラ」ね。

いまだにメンヘラよ(笑)

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