小さなわたしにできること。大切なものを守ると言う視点をもう一度取り戻した。

たまたま選んだ「護られなかった者たちへ」と言う映画。

震災のとは知らず。
脱炭素・脱原発の立場をとっていて、そのための署名活動がスタートされた。

わたしの生活の中にそんなに強固な形で「脱炭素・脱原発」などは正直なかった。

自分さえ良ければ良かった

と思っていたわけではないとはおもいたいが、結果としてそうだ。
垂れ流すものは綺麗で,,,という思いはあった、行動としていくつも実践している。それなりにお金もかかった。
ケミカルなものは使わない・買わない・勧めない。
非核三原則みたい。。。

まず持って我が家にはケミカルなものは消えた。
でも、完全ではない。
し、完全を目指したらゴミとして捨てるだけ。

それは「目の前から消した」だけで、責任転嫁の逃れでしかないので、どうしても使えなくなるまで。最後まで面倒見る形で我が家にはプラスチックはあるsるだ。

言い訳みたいにきこえるねー
許そうぞ。

で、映画の中身は大切な家族を失って、失ったもの同士が片寄あって「生きるしなかい」本当の家族として生きていく。
いえない傷を持ったまま、生きる。
その傷を守るために犯罪に繋がって、、、とぐるぐると痛みを作ってしまう。

どんな中にいても生きている者がいて、生きるんだって。

うまく言葉にできないや。

でね、署名活動するにあたって、目的が曖昧だなーとかなんかモヤっとしてたのね。
文言や絵の貼り付け方とか、、、それ問題かなーって。

で、進まないやりとりを終えて、一旦預かりになってから、このたまたま選んだ映画を見たらね。。。

違う。
目的がズレてるって思ったの。

原発がどうの
脱炭素がどうの
どれも大切。

だけど、その大きな目的はね

大切な家族、大切な人と健やかに生きることなんだよね。
大切な家族、大切な人を守るためなんだよね。

だから、脱炭素・脱原発なんだよね。
地球を守らなくて、未来ないんじゃない?
1.5°の約束ってなに?
なんで地球温暖化してるか知ってる?

誰かがなんとかしてくれるんじゃなくて、自分たちが少しでも意識向けたら、1ミリでも変わるかも知れないんだよ。

文句ばっかり言って何にもしないの。
一番カッコ悪い。

生活クラブエナジーの電気は余剰分が出たら還元割戻するんだよ。
共済の考えでやってるから。

お金もどってくるからって勧めてるんじゃない。
自然エネルギーってそもそも地球がくれてる無償のエネルギーなの。
これを選ぶことって地球への恩返しなんだと思う。

それなのにまたこれで「自分さえ良ければ」ってなるよりは、選んだ人に還元される方が幸せじゃないかなって。
幸せの循環。

そんな感覚です。

目の前で流される人を助けられなかったっていう十字架を背負って、
絶望のふちから「生きてる」からって立ち上がらなくてならなくて。

わたし、なんにも出来なかった。
でも、今、そのエネルギーを契約して、支払いさきを変えただけで、やっとやっと、何かできた。。。
罪悪感とかではなく、自分が電気を使うたび、自分のエネルギーを逆に送ることになって、本当に嬉しく思うのね。

どうか、使ってください。
あなたの命になりますようにって。

あなたの絶望を感じることはできないけれど、少しでもその支えになれればって。

そんな気持ちでスイッチ押すたび、自分の選択を誇りに思っています。

小さいわたしに出来ること。
自然エネルギーに切り替える。
未来にとって、小さな一歩かも知れないけれど積み上げることで、これからの命を「紡ぐ一手」になるはず。


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