息子✕疑問
今日は夫婦で『ミナリ』を鑑賞いたしました。
アメリカで暮らす韓国人家族の物語なのですが、ぼくら夫婦で随分味方が違うものだと痛感しました。
物の見方考え方は人ぞれぞれですが、無意識に同じ考えではないかと錯覚することがぼくは多いと思います。
こうしてお互いの感想を話し合う事で、その違いを実感できる。
当たり前なのかも知れませんが、改めて考えてみると新鮮な気持ちになります。
はじめに
「なんで学校に行かなくてはならないのか」
時々息子からこんな言葉が漏れたりします。
「基本的な読み書きやコミュニケーション、生きていくための最低限を学びなさいっていう決まり」とかなんとか言ったりしています。
考えなし
もう忘れてしまっただけなのかも知れないが、ぼくが小学生の頃、学校へ行く事に疑問を抱いたかと言えば『No』だと思う。
気付けば学校に通い、平日は当然のように学校へ出かけ週末を楽しんでいた。
『行きたくない』という気持ちが芽生えてたとて、『何故』という疑問には記憶がない。
何も考えず生きていたという事か・・・
最後に
息子は学校で楽しく過ごしているようです。
塾に行かなくてもいいよう、テストも頑張っているようです。
(どこで勉強しているか不明ですが・・)
クラスメイトとの関係も良好そうですし、何が足枷となっているのかを本人に問うと「遠い」「面倒」等と言ったりします。
そうか面倒なのか、確かに20分の道のりを淡々と一人で歩き続けるのは億劫なのかも知れない、目的が無ければ。
まぁ、学校に行けば楽しく過ごせるなら、今の所は良しとします。
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