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劣等感の起源

これは、穏やかな日常を
脅かす唯一の存在かも知れません。

これさえなくなれば僕たちは
自由に羽ばたいていけるのに…。

これがあるからこそ、
悩まなくてもいいことを悩み、
人生という大切な時間を
吸い取られてしまいます。

本当に悔しい。
なんで「これ」があるんだろう?

その「これ」とは、

劣等感です。

劣等感の起源はどこになるのか?

それは他人との比較に
始まっていると考えています。

誰とも比較しなければ
「優れている」「劣っている」
という「差」は生まれないし、

「差別」の感情も
生まれないでしょうから…。

今この瞬間にも劣等感から
怒りと悲しみの中で泣いている
人たちがきっとたくさんいると思います。

僕もそうだったし、あなたも
経験があるのではないでしょうか。

小さな子供が幸せそうにしているのは、
おおよそ「劣等感」という概念を
知らないからだと思います。

いじめも同じ。
「いじめる」という概念を知らなければ
「いじめ」は起こりません。

こう主張する人がいます。

「いじめは必要悪だ」

…確かに、いじめは
無くならないかもしれません。

綺麗事を言うつもりはありません。
現在の僕の中にも
「いじめ心」は存在します。

劣等感は必要悪でないことを祈ります。
劣等感に苦しめられるの嫌ですから…。

でも、どうすれば劣等感から
解放されることができるのでしょうか?

劣等感がある人と無い人、
いったい何が違うのでしょうか?
劣等感に傷つかないために
どう対処すればいいのでしょうか?

続きはまた次の機会に。
今日も心の呼吸をしていきましょう。

たき

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