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紅白歌合戦・裏方昔話

映像やムービングライトをふんだんに仕込んだNHKホールの
紅白歌合戦の”吊物”を見て昔の事を思い出した
年寄りの昔話によろしければお付き合いください

何年だろう70年代後半には間違いないが・・
実家の近くの喫茶店のカウンターで偶然出会ったロックギター青年K君
音楽や舞台の話で意気投合し、しまいに実家に居候の様に出入りして
K君と兄弟のような時期をすごした

その頃僕は舞台照明の仕事をしていたがいただける現場の数はまだ少なく
勢いで実家を出たのはいいが貧しかったので
K君と割り勘でアパート暮らしを初めたのだ
渋谷の神山町にあったそのアパートは
部屋数が多く玄関には大きな下駄箱がある学生寮の様な不思議な物件だった

K君は上京した時はビルメンテナンスのバイトをしていたが
いつの間にか電飾の会社でバイトを始めていた
それでK君は西麻布にあるC電飾の倉庫で仕込みのバイトをしていたが
年末になるとNHKホールの紅白の仕込みに駆り出されたりしていた
よく紅白で初出場タレントがふるさとへ向けてのコメントをさせられる
「田舎のおかーさん、みんな観てますか〜〜紅白に出られました、ありがとうございます〜〜」的な・・を
K君は故郷に電話をしていたのだ
「今年は紅白の舞台袖にいま〜〜す!」と
ロックギタリストを目指してギーター1本を背負って上京して早数年
妙な意味で感無量だったと語っていた。

僕は僕で年末、12月はさすがに大きいイベント多く
それなりに現場にありつけていた

武道館で徹夜仕込みをして本番後
最後フラフラとバラシをしているとポケットベルが鳴った
折り返し教えてあった照明の会社へ電話すると
「お、急だが今夜現場入れるか?今どこに居るんだ?騒がしいな・・」
「あ、武道館でバラシしてました・・」
「あ、ちょうどいい、そこにそのまま居ろ、いまトラック向かってるから」「あ、ハイ〜・・ァ、リ、ガトウゴザイマス・・」
結局、実家は都内にありながら武道館に一週間泊まりっぱなし・・・
ありがたいがとんでもない時代だった

渋谷のアパートからは道を挟んですぐNHK放送センターの駐車場だった
ホールはそれなりに入館チェックがあったが
当時はまだセンターはゆるかった
昼食が面倒な時など腰道具を付けて軍手を持って守衛室の前を通れば
「おはようございま〜す!」「ごくろうさまでぇ〜す」
そのまま”社食”でK君と定食を食べてすましていた

僕は試さなかったが「おかず大盛りね=」とサンマ定食を頼むと
2匹のって出てきたというさすが天下のNHKという話もあった
時代劇のズラを被ったままのタレントさん達がいる
賑やかな食堂だった

大晦日の現場から帰り、元旦の朝フラフラと大通りに出ると
NHKセンターの駐車場の真ん中に
紅白で使った大きな電飾やらいろいろなセットが引きずり出されていて
まるで、ねぶたの台車のようだった

K君のいた電飾の会社のいろいろな”武勇伝”をきかせてもらっているそれはまた書き起こそうとおもう

年末年始、紅白歌合戦というとこんなことを思い出したので・・・



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