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それは美術館に行こう!的な話だったの?

既にたくさん議論されている「美術館女子」問題について少し考えたので、言語化してみたい。

「〜女子」、「〜ガール」という表現は日本では別に珍しいものではなかった。だからこそ、今回の炎上で首をかしげている感度の低い(と言わせていただきます。)人々には何が問題か伝わらなかったのだろうなというのが問題の本質ではと思います。もしくはそのような言葉を創るにふさわしい文脈を読み違えた、のではないかと思っています。


そもそも女性が自由に趣味をやるために、「〜女子」、という言葉が便利だった時もあるのかと思います。

例えば「山ガール」のような場合、山に来るのはむさいおっさんかリタイア勢ばかり、という固定観念がある中で、「それでも山が好きで遊びに行っています」みたいな人をありがたがって「山ガール」なんて名前をつけてある種の流行を生み出したような気がしています。他にも「カメラ女子」なんかは同じようにむさ苦しい趣味への女性の参入を表現した言葉なのかなあと感じていました。この辺は個人の捉え方にもよるかと思いますが。

また別の側面では、「山ガール」という言葉の流行にあやかって、「森ガール」という言葉も流行っていました。これは私の認識ではある特定のファッションの流行を指した言葉だったと思います。この言葉はむしろ女性誌などで用いられていたのだと思います。

「〜女子」、「〜ガール」という言葉は以上のような、女性が自由に趣味をやるために、今まで男のむさ苦しい趣味だと思われていた世界に入っていく「転校生」的な立ち位置を緩和するために考えられた言葉だったり、女性の中で特定の人々をジャンル分けする際に用いられる言葉だったように思います。

女性が入りづらい場所に入っていく時に、日本ではそういった表現でワンクッションしないといきなり受け入れづらかった時期があったのだと思います。今となってはおかしな話ですが、若い方には10年前、20年前と遡るごとに女性の社会的な意味での自由度は低かったと想像していただければいいかと思います。同時に、よりジェンダー的な観点から、男の趣味、女の趣味という区分けもはっきりしていたのだと思います。「手芸男子」や「イクメン」という言葉も同様の文脈に乗った言葉なのだと思います。

「イクメン」という言葉はもう古い、という議論も以前巻き起こっていましたが、おそらく「イクメン」という言葉が必要だったのは育児の現場に男性が入ってくる事に違和感を覚えてしまう人々がいたからだと思っています。その後「イクメン」という言葉が独り歩きして、あたかも自分が何か偉い社会的な意義のある存在だというような表現に使われだしたあたりで、「いや、イクメンなんて当たり前や」と思う人から叱られたのでしょう。


このように、どの言葉をとってみても、大切なのはその時の時代の感覚と、その言葉が発される文脈だという事だと思います。言葉は薬にも毒にもなるのですね。書いていて自分で勉強になっています。

さて、長々と書いてまいりましたが、今回の「美術館女子」が炎上したのもまさにこの文脈を読めない人の、言葉づくりによるものだと思われます。作った人に悪気があったとは思えません。むしろ無邪気にやったのだろうと思います。ただ、美術館に足を運ぶ事の少ない人がつくったのだろうということは容易に察することができます。


美術館が好きな人は分かると思いますが、美術館に来る人の男女比には直感的にはあまり偏りがなく、女性が一人で見に来ているみたいな状況はザラで、そういう方々は多くいたと認識しています。もちろん統計的資料でどうこうしたい人もいると思いますが、少なくとも女性が気軽に一人で遊びに行ける場所として既に確立された地位があったと考えています。

そういった場合に「美術館女子」という表現が使われる時、確かにあまり馴染みのない女性からすれば見過ごせる表現かもしれません。

しかし普通に遊び場として美術館へ行っている人からすれば、そんな言葉がなくても気軽に遊びに行っていた場所に変態おじさんが現れて、「あれが美術館女子か、かわいいねえ」みたいに見られていると感じても全然おかしいことではないと思います。

あえて誇張しましたが、上で書いたとおり、「〜女子」という表現は新規参入の違和感を緩めるため、もしくはセルフブランディングの文脈で使われるから受け入れられるわけです。そうでなかった今回の件では、「女性が美術館に気軽に遊びに行ける」という意味合いではない、男性目線の何か気持ちの悪いものを感じた方が多くいらっしゃったのではないでしょうか。

美術館に何かかしこまったものを感じてしまう若い世代をターゲットにしたかったのであれば、表現方法は色々考えられたと思います。地方の大きい美術館に若い世代を集めて自撮り大会をさせても良かったと思います。もちろんそんな人が増えたら絵を見づらくなるのでそんな広告は消滅してほしいなと心から思いますが。ただ美術館や絵を気軽に楽しもうというコンセプト自体には大賛成です。一つ一つの絵をありがたがってうんちく垂れるおっさんよりも、好きな絵を探しに行くおっさんのほうが魅力的です。

話が少しそれましたが、今回は女性アイドルを起用していたり、趣旨がパット見よくわからなかったりと複合的に「キモい」キャンペーンだったのだと思います。

これは直感的かつ感情的に不特定多数の女性に嫌悪感を与えたのだと想像できます。論理的に主張している方もいらっしゃったように思いましたが、それに反論しようとする人はそもそも女性に対して何か言ってやろうというモチベーションが高い人が多いので、結果的にただの貶し合いみたいな事があちこちで巻き上がっていたのだと思います(怖いのでちゃんと見ていません)。

とにかく、今回のキャンペーンは明らかな失敗だったのだと思います。炎上目的の話題作りなら成功かもしれませんが、正直キモい、と思われては炎上し損なのでは、と思います。よくわかりませんが。


あえて言語化するならこうなるかな、と思ってやってみましたが、言葉で掬いきれていない感情や、捉えきれていない文脈が沢山でてくるような分野だと思います。

強引にまとめますけど、嫌なものは嫌だと、言える社会というのは良い社会ですよね。そういう方向性でやっていきたいですね。その上で声を上げる人々にはもっと好奇心を持てるような仕組みづくりをSNSのプラットフォームが進めてもいいように思いました。なぜ相手がこのような事を言っているのか、相手はどういう問題意識をもっているのか、この人の言葉に耳を傾けるべきか、というような事がもっと見えるようにも作れそうなものですが。

最後に、今回のことで美術館に興味を持った人がもしいたのであれば是非遊びに行ってください。何かをわかろうとせず、自分の好きな物を探しにいくような感覚で遊びに行くときっと楽しめると思います。もちろん何かを考えたい時に、わかろうと努めてみるのもとてもおもしろい場所です。youtubeやinstagramもめちゃくちゃ面白いですが、美術館はそれのある分野の最上級に近い場所だと思いますので是非。

本物を沢山見た人でないと、贋作は見抜けない。本当に美味しいものを知らなければ、まずいものもわからない。そんな言葉がありますよ。

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