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遅さを愛するということ

「遅さ」を愛する。速さという波に溺れてしまうもの。効率性や便利に変わって忘れられてしまうもの。機能重視の世界で、打ち捨てられるもの。そういったものを、愛いものだとして、もっと積極的に感じてみようと、今年の初めになんとなくの目標として掲げた気がする。

しかしそれは、おそらく傲慢であって、また一種の手遅れでもある。

遅さのようなものを「遅さ」と表現している時点で、ワタシは「遅さ」そのものを色眼鏡でしか捉えることが出来ていない。それはワタシにとっては、「遅さ」という速いものとの二項対立図式の中で、屈している形態かもしれないのに。空の雲が流れている。土地が養分を取り戻す。アリが隊列を無し、巣穴へと帰っていく。注文した品物がなかなか来ない。そうしたものを、「遅い」と捉えてしまうのは、それが遅いからではなくて、速くはないからだ。速くは無いから、遅いという形容詞が与えられてしまう。「遅さ」は、それ自身で成り立つものではない。

「遅さ」は、「速さ」との対立でしかない。「遅さを愛する」ということは、どこかに「速さと遅さ」という、階層秩序的二項対立図式が居座っているということかもしれないと、考え及んだ。遅さ(のようなもの)を、「遅さ」と認識している時点で、ワタシは「遅さそのもの」を愛いものだと考えてはいない。きっと、なんとなく一番いいのは、「遅さの(ようなもの)」を、「遅さ」と認識すること無く、それを愛することだと思うのだね。

「そのころのユダヤはアケメネス朝ペルシアという大国に支配され(前六世紀後半~前四世紀後半)、その反動として国家意識が湧き出て、民族の精神的中心地としてエルサレムを特別視する風潮が一般化していただろうと思われます。桐生裕子、「旅をする」、世界思想社、2015年、p7

ユダヤ人のように、「そうである」という意識は、そうでないもの、異質な者と出会った瞬間にこそ生まれる。生まれてしまう。

閑話になるけれど、個人的に思っていることがある。「名前」というのは、間違えらえる回数が多ければ多いほど、本人は覚えやすいのだと思う。「春夏冬千歌(あきないちか)」という名の人物が仮にいたとして、おそらく相手が名前を間違えれば、その人は修正をするだろう。その度に、自分の名を否が応でも認識する。間違えらえることが多い人は、「私はこの名前ですよ!」という意識が強い気がする。名前に、意味など無いけれどね。

さて

「遅さの(ようなもの)」というものは、「速さ」という怪物と出会った時に、自分の鈍間なことを知ったのだと思う。あぁ、あいつは僕よりも忙しそうで、暇がなさそうで。そう言う自分は、随分暇があって、そうかこれが「遅い」のかって。遅さは速さを見て、自分が速くないことに気づいてしまった、いやそういう表現を作ったのかもしれない。そうだ、ならやはり、「遅さ」は、実は「速くない」ことでしかない。遅さは、遅さそのものではなく、速いということの反対が実体なのだろう。

tard、というフランス語がある。遅いという訳だ。英語にも、あんまり使われないらしいけど、tardiness、tardyというが英単語あるらしい。「Etymonline」というサイトによると、狐物語(roman de renard)に出てくるカタツムリの名前「tardif」が由来みたいだとか、現地特有のラテン語が由来だとか。よく分からないけど、色々情報がある。言葉の語源について推測するのは面白いけど、個人的にとても骨を折った覚えしかないので、ここまでにする。(こういうのは、どこまでも調べようとは思えば調べられるやつだから)

仮に

「tard(訳:遅い)」の語源が、「tardif」というカタツムリの名前だったなら、それはなるほど示唆的だと思う。だって、カタツムリには、彼らが「遅い」だなんて分からないだろうから。やっぱり、「遅さ」は比較による判断でしかないのではないか。カタツムリがあんなにゆっくり(と言うのもおこがましいけれど)なのは、その方が生存競争上適していたからだろう。良いとか悪いとかではない。速いからなんということもない。

遅さは、客体化と相対化の結果だ。速さによって、「?」は、「遅さ」になってしまった。だから、「遅さを愛する」ときっぱりと言うのは、「遅さ」をそのまま見ているわけではない。真に「遅さを愛する」には、それが「遅さ」であると気づかない、意識すらしないことなのだと思う。とはいっても、これが難しい。だから、どうすればいいか、しばらくの間考えようと思う。答えが出ればいいってわけじゃないかもしれないけれど。あぁホント、大学生になってからずっと思っているけれど、ワタシは自分自身の考えを俯瞰するのに時間が掛かりすぎる(でもゆっくりやればいいのかもね)。すぐに二項対立に陥るその癖、治したほうがいいかもしれんない。



今日も大学生は惟っている



引用文献

桐生裕子.2015.旅する.世界思想社

https://www.etymonline.com/.tardy (adj.)





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