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春休みに置いてゆく

 とうとう長かった春休みが明けて、新学期が始まってしまった。

 2か月間もの退屈な時間を使ってやりたいことは山ほどあったのに、どれもこれも中途半端に手を付けてみては1週間も続けられず、ベッドの上でスマホを弄って、バイトに行って、たくさん食べて、ひたすら寝るだけの怠惰な生活。このままでは私は何者にもなれず、この狭い6畳の部屋の中で腐っていくだけだ。

 3月下旬、久しぶりにひらりさんに会った。

 ひらりさんは前のバイト先の居酒屋で仲良くなった同じ大学の2つ上の先輩。私が1年生の秋学期の頃には、週5で一緒に過ごすほどに親密な関係性だった。ひらりさんはスポーツ推薦で大学に入った、いわゆる「教室の最後列で駄弁ってばかりの集団」の1人で、陰気な私とは根本的に人間性が異なっていたけれど、そんなひらりさんのギラギラとしたオーラが私にはとても新鮮にみえて、あっという間に惹かれていった。

春学期には全ての授業に出席していた私は、次第に欠席が目立つようになった。単位もそこそこ落とした。あの自由で不真面目で刺激的な日々は素敵な思い出として私の中に残ったけれど、私のカチカチに固い脳みそは「このままではいけないぞ」と私に警告を続けていた。いつしかその警告は、私の自己肯定感に傷をつけるほどになった。どんなに楽しく1日を終えても、「このままでは…」という思いが残り、ふとした瞬間に途方もない不安と焦燥感に苛まれた。

そんな日々のおかげで私は自分の人生を満たすものについて知った。それは「バイト場にみんなで泊まり込むこと」でも、「授業を捨ててカラオケに行くこと」でもなく、「目標に向かって勤勉に努力する自分になること」だった。私は「努力している自分」が大好きで、それ無しに充実を感じることはできないらしい。

にもかかわらず、私は努力を継続して、長期的な目標を達成することがほんと~にめちゃくちゃに苦手で、ど~~やったってうまくいかない。生まれつきそれなりに要領が良く、それなりに良い環境に恵まれたおかげで、なんとなくぼちぼち努力して、人生の選択の第三志望ぐらいを適当に通過してここまで流れ着いてしまった。

変わるならここが最後かもしれない。

……って毎年言ってるんだけど。

 でもまあ、ひらりさんと久しぶりに会って、たくさん話をして、そうしてようやくあの日々の終わりは今だとわかった。ああいう生活は私には向いてなかったのだと自分で認められるようになるまで少し時間がかかったけれど。2ヶ月の長い春休みの終わりに、きちんと自分と向き合うことができてよかった。

あの日々は、この春休みに置いていこうと思う。今の私にとっては大きすぎる荷物になってしまうだけだ。新学期には目標のためにたくさん努力をして、そうしてもう少し立派な大人になってから、また拾い集めにこよう。

今日はオンライン自習室を活用して、しっかり授業の課題をやり終えた。すごいじゃん!えらいじゃん!!かっこいいじゃん!!!

やっぱり私はこういう私のほうが好きだよ。明日も頑張ろうね。

🐹  \ ヘケッ /


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