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憧れのレイトショー【パラサイト編】

ひらりさんとわたし

わたしは居酒屋アルバイターなので、バイト先の人と遊ぶときは大体夜から朝にかけての時間帯がほとんどだ。営業終わりのカラオケや、深夜のお台場ドライブ、クリスマスパーティー。真っ暗な夜道をゲラゲラ笑いながら歩くのは、なかなか’’大学生’’っぽくて楽しい。

大学生バイトが5人程いるなかで、わたしは2つ上の先輩、ひらりさんと特に仲良くさせてもらっている。3日会わない日があるだけで、お互い、つい「久しぶり~!」と言ってしまうほど。気が付けばいつの間にか、ひらりさんの強烈な福井弁がわたしに伝染してしまっていた。

次はどこで遊ぼうかと話していたら「レイトショーとか行ってみたくね?」と意気投合。去年の秋頃から何度か計画を立ててはいたものの、レイトショーで上映される作品にめぼしいものがなく、とりあえず保留にしていた。どうしても、しょぼい映画で初めてのレイトショー体験を終えたくなかった。

新品のノートの1ページ目の筆跡がいつもよりやけに丁寧になる、あの現象と少し似ている。終わりよければすべてよしとはよく言うが、始まりもよいに越したことはない。

そうして2019年12月27日、韓国映画『パラサイト』が公開された。YouTubeの広告で見た予告映像と、なにやらすげえ賞をとっているらしいという薄っぺらい前情報だけで、自分でも驚くほどに惹かれてしまった。

すぐにひらりさんを誘ってみたところ、なんの迷いもなく快諾してくれたので、わたしたちはついに1月中旬、人生初レイトショーへ行くことに。

実はテスト期間ど真ん中だったということは、ここだけの話にしておいて欲しい。

深夜2時、新宿歌舞伎町にて

当日バイト終わり、ひらりさんのタバコ休憩を待ってから、駅へと向かう。上映は2時から、現在時刻はおおよそ0時30分。電車で行くと早く着きすぎてしまうが、時間を潰そうにもこの時間では場所がない。「そういえば、最近歩くんが趣味なんよなぁ。」というひらりさんの遠回しな提案に全力で乗っかり、池袋駅から新宿駅まで歩くことに。

およそ5km、1時間の道のり。幸いにもその日は気温もそれほど低くなかったので、しんどい思いをすることはなかった。そうして案外簡単に、歌舞伎町のど真ん中、TOHOシネマズに到着してしまった。深夜にも関わらず、かなりの人で賑わっていた。さすがは夜の街といったところだ。

いかにもな外見の集団に圧倒されつつ、わたしたちは怯えながら繁華街を進む。わたしたちから金の匂いがしなかったのか、キャッチにもナンパにも1度たりとも会わなかった。安心する一方で、「歌舞伎町で声掛けられまくって大変だった」と地元でマウントをとる為の手札を得られなかったことに、少々未練が残る。今後の人生の目標にしていきたい。

『パラサイト』

ネタバレを含むので、この映画を見ようとしている人はここから先を絶対に読まない方がいい。今すぐブラウザバックをお勧めする。私自身、全く予習せずに鑑賞したが、むしろそれでよかったと感じている。予想外のシナリオに翻弄される感覚を、是非とも皆さんにも味わって頂きたい。

わたしはこの映画を観ながら、人間の優劣について考えていた。

ギウ一家はかなり才能に恵まれた家庭であるように思う。「半地下で暮らすニート家族」というと、なんだかかなり劣った人間たちであるように感じられるが、ギウは大学生のミニョクよりも賢く、素晴らしい塾講師であったし、ギジョンのフォトショップ技術やギテクの演技力、またそれ以上に一連の「作戦」を組み立てる能力はミステリー作家顔負けのものだった。

事実、ギウ一家がパク家の使用人たちに成り代わってもなんの支障もなかったことから、元々の使用人たちに比べ、ギウ一家の能力値は同等かもしくはそれ以上であったといえるだろう。

にもかかわらず、ギウ一家は長年半地下生活を送り、全員が職を失う事態に陥ってしまった。下克上のチャンスに、卑しくしがみつくギウ達。パク家の’’寄生虫’’となることで贅沢な暮らしを手に入れたギウ達は、その代償として失うものすら持ち合わせていなかった。文字通り、捨て身の作戦である。

人間の優劣を決めるもの、例えば、容姿や知性、財力、社会的地位。恵まれた者とそうでなかった者の間には高い壁が立ちはだかる。もちろん、当人の努力次第でそれら能力値は変動しうるが、努力するための環境すら全ての人に備わってはいない。

人間は生まれながらにして完全に不平等であり、完全に不平等であるという点で平等であると思う。

恵まれた者は恵まれた者同士で、恵まれなかった者は恵まれなかった者同士で、コミュニティを築き、交わることなく(もしくは主従の関係として)生きる。恵まれなかった者が急に金を掴んだところで、「成金」と称されてしまう世の中だ。恐らく、わたしには想像さえ及ばないような世界が、高い壁を隔てた向こう側に存在しているのだろう。

作中では、ギウ一家に染み付いた半地下の’’匂い’’について何度も言及される。ここでいう匂いは、半地下での生い立ちそのものを含むと思う。例えば、ピアノや習字を嗜む人は裕福そうな感じがしたり、箸の持ち方が悪いと幼少期の家庭環境を疑われたりするのと同じだ。

どれだけ取り繕っていても、自分に染み付いた匂いに気づかれてしまうことがある。…高校生の頃、部活の顧問と同級生に向かって、父親との思い出話をしたときに「あれ、お父さんいないと思ってた。」と言われ、驚いた。どうやらわたしからは母子家庭育ちの匂いがするらしく、直接わたしの口から話さずとも「お父さんがいなさそうな子」と、心のどこかでそう認識されていたようだ。

事実として、わたしの両親はわたしが高校生のときに離婚しているので、彼らの嗅覚は正確だったといえるが、誰にも話さず、苗字も変えなかったわたしのどのような立ち振る舞いからその匂いが漏れたのかは不明である。

物語のクライマックス直前、「僕はこの場所に似合っていますか」とギウはダヘに問う。ギウは自分の匂いに気がついてしまっていた。高貴な人々が、下界には目もくれず幸せな生活を送る姿を見て、自分は彼らのようになれないのだという現実を目の当たりにし、自分が酷く惨めに感じられたことだろう。

かなしいかな、上流階級の人達は決して冷酷な人間ではなかった。身内には温かな愛を持って接し、優雅で文化的な生活を営む余裕のある人間。むしろ、人間の在るべき姿であるようにも感じられる。

彼らは半地下の住民に対し、悪意のない差別意識を持っていた。明確な違いの上に成り立つ純粋な区別。恨むべきは彼らではなく、自らの境遇であると悟ってしまったとき、そこにあるのはただ深い絶望のみである。

朝日はまだ昇らず

エンドロールまでしっかりと鑑賞し、ひらりさんとともに映画館を後にする。新宿歌舞伎町の朝は依然として人通りが多いが、さきほどまでの活気はない。皆、いそいそと帰路につくところである。

煌びやかなブランド品に身を包んだお姉さま方、それに声をかける金髪男衆。わたしたちはぷかぷかと浮いたような気持ちで、道の端を歩いた。わたしはこの場所には似合わないらしい。

小腹がすいたので早めの朝ごはんを食べつつ、映画の感想を語り合う。ひらりさんはこの映画から「他人を信用するな」との教訓を得たと言っていた。こういうひらりさんの真っ直ぐな感性がわたしは大好きだ。

人生初レイトショーは大成功を収めることができて、非常に満足している。次はこってりとしたラブストーリーを観たい気分なので、面白い作品が公開されるのを楽しみに待とう。






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