見出し画像

日記20

会いたくない人がいるだけで、あんなにも足繁く通っていたパチンコ屋が、瞬く間に「近づきたくない場所」へと変貌してしまった事実に、めちゃくちゃ驚いている。

だから、当然の帰結として、学校や職場に会いたくない人がいたら…そこは地獄の釜のように、苦しい場所になるのだろうと推測される。ただでさえ気の進まない場所なのに…考えるだけでゾッとする。

家庭不和なんてものがあったとして、これも恐ろしい。落ち着ける場所であるはずの自宅に、会いたくない家族がいる。しかも家族は一過性の関係ではありえない。精神を病み散らかすに十分な環境と言えるだろう。

したがって「居心地のいい場所」というのは「居心地のいい人間関係」と深い相関があるといえる。

加えて、人間の厄介なことには、我々は常に変化し続けている、という点が挙げられる。当初はうまくいっていた関係も、時間とともに変容し、自分が望まない形に逢着する可能性がある。関係が深まるにつれ、横暴になっていく人間を嫌と言うほど目にしてきた。

他者が変容するのと同じように、自分自身も変容していく。その可能性まで考慮すると…気が遠くなってくる。特定の人間関係が構築されていて、かつ居心地良く感じる場所というのは、やっぱり奇跡的な事象だ。皆既日食のような、神がかり的なタイミング。それは長く続かないことが当たり前で、もし仮に長く続いているのだとしたら、「奇跡」以外に形容する言葉は無いと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?