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考えない日記:内側にあるもの 09/30 2021

蜜柑の木が小さく切られて捨てられていた。私の育った家に、生まれる前から植えられていて樹齢五十年はくだらない古木だった。幼少期にはその木に登った。今思えば三メートルにも満たない低木だが、当時はその枝に登って上の方の実を収穫すると随分見晴らし良く感じたものだった。

その蜜柑には実りのない年もあった。それでも濃い緑色の葉を繁らせた木には登った。豊潤な枝葉に包まれ、いつもとは違った空の見え方をする樹上で、木に小さな秘密を打ち明けたこともあった。セミの抜け殻やアゲハ蝶の幼虫を見つけるのもその木だった。三又に分かれた枝を空中椅子にして何時間も座っていた。

最後は虫に内部を喰われ、みるからに弱っていた。それでも少ない実を健気に数年実らせ続けた。その木が短く切られ捨てられた。既に葉はなく、根っこもすっぽりと抜けたらしい。「欲しかった?今なら間に合うよ」と聞いた。まだゴミ収集車が来てないからということだった。しかし、見に行かなかかった。外見では腐ってしまった幹にも思い出は詰まったままで、見に行けば根こそぎ持って帰ってきてしまいそうだった。

象の肌のようなごわごわとした木肌をめくると、蜜柑の木は白い木目を見せる。その木目に沿って紙ヤスリをかけてやると、肌は驚くほど美しく白く滑らかになる。細かく詰まった木目は冷血さを感じるほどにひんやりと湿っていて、この世の汚れを振り払った幽霊の肌を思わせる。


-fine- 

上町休憩室管理人 N

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