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ひめうつぎ

そうだ、花を買おう。

買物ついでに花を買いました。本当のことを言えば、花を買うついでに買物をしました。

来年も咲いてもらえるように切り花ではなく苗木が欲しいと思いました。

少し散歩に出た道の途中で花について考えました。海を見ました。気候が良くて、対岸には低い山の峰と水平線が普段通りにありました。水平線はとんでもなく水平で、そのくせ地球は丸いだなんてことに少しイラっとしました。

正解と不正解の両方のった平均台の上で側転をしながら生きているような気分でした。

海辺のアスファルトに腰をかけて穏やかに打ち寄せる波を眺めました。返す波に、どこかの子供が落としたボールが沖へと流れていきました。人工物がまるで自然の生き物のようにくゆりながら水面を進み、時折魚の鱗の煌めきが視界を横切りました。

立ち上がり散歩を折り返して帰路につきました。家への道すがらにお花屋さんがあることを思い出し、「そうだ、今日、花を買おう」と思いました。

まるで自分でも気が付いていなかったかのように。肘についた一粒の白米が自分のものだと知ったときのように。
うっすらとした意識の片隅に花が欲しいという欲求があったことを突然思い出した生き物が店内へ進みます。

咲きながら既に枯れたような色合いのカッコいい花にも惹かれましたが、ぐるりと一周見てまわり、白い花が欲しいのだと分かりました。

純白の小さな花が沢山咲いている苗木を手に取りました。とても健康そうに見え、来年も咲いてくれそうな強さを感じました。

ヒメウツギ980円と書いてありました。

隣接するショッピングエリアで他に必要なものも買い、店を後にしました。
花の入った白いビニールの袋を手にぶら下げて歩きました。悪い気はしませんでした。
横の車道を郵便や小包やゴミや建築資材を積載した車が、それぞれの目的地へ向かって走って行きました。

家に着き、インターネットでヒメウツギを調べました。様々なページを読んでいる途中で、一冊の本が棚にあることを思い出しました。

『牧野 日本植物圖鑑』昭和五十二年復刻版 牧野富太郎著 北隆館

厚手の箱に収まり、片手で持つことが億劫なほど重い図鑑です。普段はあまり開く機会がありませんが、今日開かなければ来年まで開かないかも知れない。そう思って棚から引っ張り出して埃を払いました。

その花は「第1459圖」という表記とイラストと共に487ページに掲載されていました。

ひめうつぎ
Deutzia gracilis Sieb. et Zucc.
河畔ノ岩罅ニ生ズル落葉灌木ニシテ高サ1m内外、若枝ハ無毛ナリ <中略> 五六月頃枝端ニ圓錐花序ヲ成シテ白花ヲ開ク。

『牧野 日本植物圖鑑』牧野富太郎著 北隆館


昭和十五年に発行されたものを五十二年に復刻した本ですが古い言葉遣いのままなのです。なんとなく意味はわかるけれども「読めません」の漢字がいくつも出てくる。そもそも出だしの岩罅とはなんと読むのか…
Wikipediaによれば「伏流水」の項目に岩罅水なる言葉があり、「がんかすい」と振り仮名が添えられています。

この「罅」という漢字が「ひび」だということすら知らなかったので、まずこの漢字を検索で打ち込むのに困りました。ところが同じような人がいるもので、ヤフーの漢字検索に

”この漢字なんてよみますか?「缶」へんに、右は「虚」の上側(七まで)、その下に「呼」の右側です。”

ヤフー知恵袋より一部抜粋

という面白い書き込みがありました。助かる(笑)

こんな風にして全く手間だなぁと思いながらも、図鑑とネットを捲りました。SNSでニュースを探してばかりの時間よりも微笑が生まれました。

この木を庭で育てたことのある人が言うには、「アブラ虫が来るよ」ということなので、二階のバルコニーに置きました。もしそれでもアブラ虫が来るのならば、それはそれでどうやって来たのか興味深いですし、ミツバチが寄り道してくれたら観察もできてとっても嬉しいなと思っています。

肉体としての生命を維持する食物以外の、精神を保つ内なる食物の必要。それぞれにとって、不可欠だというものが異なる必要。人はやはり不可欠とするものを定期的に外から内へ取り込み、やがてその一部や全てを再び放出するという終わりのない潮汐の中にいるのか。

花を切り花ではなく苗木にしたのは来年もまた咲いてくれることを、それを楽しむ環境が身近に存在することを願ってですが、まっさらなシーツに飛び込む気持ち良さに似た卯木の花の純白さ。それを求める心は、スーパーに並んだ飲食物だけではどうしようもない欲求なのもまた確かです。


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姫卯木(姫空木)
ヒメウツギ
学名:Deutzia gracilis 英:Slender deutzia


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