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無言で乗っとる映画3本

多くを語らずに深く何かを伝えてくる映画。先日観た幾つかの映画はその仲間でした。とはいえブルーレイと配信で視聴しただけなので、これから書く予定の文章はその映画について本当に理解しているのか、観れているのかは保証できません。



『L'Argent』Robert Bresson 監督(ブルーレイ 発売元:株式会社アイ・ヴィーシー)

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ロベール・ブレッソン監督の遺作。あらすじはお坊ちゃんの少年が安易に利用した偽札の為に人生を狂わされ、変貌していく人間。セリフは少なめでカット割や音、仕草、目線などが話を伝えていく。起こっている出来事の激しさに比べ、演技や描写はドライで淡々としていて湿気を極端に排除しています。表情や大袈裟な演技を少なくすることで、逆に観る者により多くを受け取らせようとしている、そんな風に思えます。言葉より音に語らせる映画。
力のある作品が大抵そうであるように、この映画も翌日の何もしていない手持ち無沙汰の午後の脳内を勝手に駆け巡る種類の作品です。次に書くのはこの作品より数週前に観た短編映画ですが、こちらもしばらく頭から離れようとはせず、大分身体の一部を占拠していました。

『マダム・バタフライ』ツァイ・ミン・リャン監督(Ming-liang Tsai) 

映画のほとんど、80パーセントをワンカットの長回しで撮影した短編です。画面には登場しない恋人(愛人?)に会いたいがために、混雑するバスターミナルを移動しながら目的地へのバスを探す不安気なアジア人女性をカメラが追いかけます。彼女は化粧も派手ではなく役者というよりは本当にバスターミナルで迷っている一般人に見えます。多分エキストラではなくたまたま現場にいて写ってしまったと思われる他の人々と何も変わらないほど普通です。肌を綺麗に見せようとか美しくとか、悲惨にとかそういう作為を排除した演技です。その肌のあまりに現実的な染みや表情が生々しく、しばらく頭から離れない映像になっています。逆に、ふと考えます。普段我々がハリウッドの映画で観させられている”リアリティ”とはなんなのかと。
一緒に観ていた人は「グロテスク」とまで言いました。別に血が噴き出たり残虐な絵を見せられているわけではないのに。でもそれは間違っていないと思いました。普段、テレビやポスター、4Kや16Kの映像などとしてあらゆる場所で”美しい”とされている人間の表情とはなんだろう。映像機器が高精細になればなるほど現実の人間とは逆に乖離していく現象がある。
現代のあらゆる二国間や階級間に多数存在する蝶々夫人。オペラの中で華々しく歌い上げられるどこかの知らない誰か物語ではなく、見覚えのある気さえ起こさせる現実的な一人の女性。不安に身体を占拠されてしまったあまりに生々しい人間の姿がその後何日も観た人に仮住まいする。

ちなみにツァイ・ミンリャン監督とのインタビュー等がこちら↓で読めます。商業映画で自分ができる可能性の限界を感じ、その世界からは引退したという話など興味深く読めます。

対談 片桐はいり x ツァイ・ミンリャン 

対話 高崎俊夫 x ツァ・ミンリャン


最後に、昨晩見たとんでもないアクション映画『アトミック・ブロンド』について

ちなみに2021年の3/31まではGYAOで観られるようです↓

アトミック・ブロンド


この映画はシャーリー・セロン主演でデヴィッド・リーチ監督の超アクション映画です。どれくらい超かというと15才未満は観れません。
それで、内容はありきたりなのですがアクションはとんでもなくとんでもないです。そもそもデヴィッド・リーチ監督自身がスタントマンだったらしく「だよね」と激しく頷けるほど凄まじいアクションです。絶対に怪我人が出ていると思います。特に階段のシーンの俳優さんは本当に死んじゃってもおかしく無いし、シャーリー・セロン自身が骨折してそうと思いました。
こちらの映画は血がビューっと飛び出る方のグロテスクさに乳首を見せる方のエロティックさを足した内容なので観る方は注意。
ただ、前に紹介した二本と比べるとどちらが長く心を占有するかというと、ロベール・ブレッソンの音とツァイ・ミンリャンの生々しさでした。例えるなら『アトミック・ブロンド』は焼肉のような映画で、前の二本はチーズとか納豆といった発酵している映画のような気がします。喉元を過ぎてもしばらくそれについて考えざるをえないもの。翌日もいつの間にか物思いにふけさせ、勝手に身体の一部を占拠しているもの。しかし、そういった映画の方があまり言葉で多くを語らないというのも何か不思議な気がしています。

では、また。


                          上町休憩室管理人N


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