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景色が変わらないウズベキスタンの列車

ウズベキスタンは、通りがかるひとが私にもアッサラーマアライクンと挨拶してくれる国、きれいな鳥がたくさんいる国、旅行にいくと老若男女と写真を撮らされる国。

在宅勤務を終えて即ビールとおつまみとAmazon Prime(レンタルで509円払ったけど)を準備。映画「旅のおわり世界のはじまり」を鑑賞。英語版タイトルは、「To the End of the Earth」らしい(it's only the end of the worldってタイトル思い出す)。テレビ番組のロケでウズベキスタンにやってきたご一行。主人公は、リポーター葉子(前田敦子、葉子というお名前が素敵)。ロケの目的は、ウズベキスタンの幻の魚をリポートすることだけど、結局そんなのいなかった。幻。自由とは?自由になることへの恐怖と迷い。自分が本当にやりたいこととは?夢は歌うこと、でもその気持ちも幻?といったものが、葉子の周りのクルーメンバーから葉子への質問、葉子からヤギ"オク"への質問で投げられる。

この映画、黒沢清監督・脚本。「トウキョウソナタ」だね。大学1年生のときに、新谷・げんちゃん・みほと4人で新谷の部屋でみたのかな。今日映画のなかで印象的だったのは、ホテルウズベキスタンの朝食、前田敦子と加瀬亮の会話のシーン。このシーンは、葉子が初めて相手になにかを伝える場面。アップで映される加瀬亮の後ろで、真っ白のカーテンがゆらゆら揺れていて、素敵な揺れ・光、描写。トウキョウソナタを観たあとの新谷が「光の使い方が好き」と言っていた。最後のピアノのノクターンのシーンのカーテンと窓と光だ。なつかしい。

ウズベキスタンには、この映画が公開される少し前、去年2019年のGWに行った。タシケント、ブハラ、サマルカンド。全部でウズベキスタンに7泊くらいしてたけど、途中からやることがなくて暇すぎて、タシケントでは芝生の上でお昼寝してた。映画にでてくるホテルウズベキスタンの前の芝生。

やることは特に無かったけど土産話につきない旅行だった。ブハラでは1度もシャワーには入れない、トイレも流れない、うがいする水道水もない。宿のお兄さんからビールとおつまみの大量のヒマワリの種に付き合わされて寝不足になる。タシケントで真昼間にのったタクシーで運転手から日本のAVを笑顔でみせられたり(おさわりとかはまったくされていない、ただ幸せそうな顔をしていたので怖くは無かった)、サマルカンドの宿で「部屋が無い」といって宿のオーナー?のおじいちゃん(Hotel LatifのLatifさん、英語が殆ど話せなくて何度も「Latif」と言って安心させてくれる。ホテルの朝ごはんおいしかった。チーズと、クレープと、ベリージャム)のご自宅にホームステイ。小学生らしい息子さんのお部屋を借りたんだけど、中国製の天体望遠鏡があって、中国の威力を感じた。タシケント・ブハラ間は夜行列車で移動。道中はほんっとーに真っ暗。何も見えない。外の景色はまったく変わらないけど移動している不思議な感覚。怖いけど、ここどこだろう、どんなところに着くんだろうっていうわくわく。真っ暗って怖いと感じるけど、こういう静かな真っ暗が、心にとって健康なのかな。

街に、夢と現実のあいだに迷い込む葉子。警察によって警察署につれていかれて「なぜ我々の話を聞かないのだ。聞かないと知り合えない。」みたいなことを警察のおじちゃんに言われる。ウズベキスタンでの、他の人からの問いかけや、ヤギの表情、そういった小さいものたちから、葉子の表情・考えも少しずつ変わり、オープンになり、自由になっていく、新しいことを知っていく。考えや気持ちは主観的なものでその人の勝手なものだけど、でも、1人で主観的にみる景色・出会う言葉・人との会話を通して、どんどんどん変わる、自分じゃないものがどんどん自分になっていく、個人の勘定は独立できないものだって思う。

ラストシーン、山頂(頂きってわけでもないけど)で歌う現実の「愛の賛歌」。夢がなんだなんてどうでもいいから。旅をして、ものを見て、ひとと話して、心をオープンにしようって思わせてくれる。旅にでたいな。やっぱり私は、もっといろんな場所に行って、いろんな本を読みたいので。

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