とある受験生の日記 2021/1/26

【不器用なんだから】

こんばんは。とある受験生の大越(おおごえ)です。

この日記を書いている現在の時刻は、午前4時。寝ろよ、と自分でも思う。数学の予習と古文の予習を進め、途中で仮眠をとったりしていたら気づけばこんな時間だ。もう朝じゃん! この時間帯になると、逆に寝ない方が脳がすっきりとしたまま学校に行くことができるため、なかなか面倒くさい状況だ。

今週はかなり忙しい。そして、休めない。私は「探求活動に力を入れましょうよ」的なクラスに所属していて、その活動の一環で明日(正確には今日)の放課後には課題研究のポスター発表練習がある。同級生たちや先生たちが、私たちの発表を見る。しかも今回は英語で発表をしなければいけない。研究発表など日本語で聞いてもよく分からないのに、英語でなんて理解できるのだろうか。会場にはリスニングのテストの様な張り詰めた雰囲気が蔓延するのが目に見えている。

発表練習会が終われば、木曜と金曜の2日間でポスターの手直しや発表練習をする。土曜日には模試がある。そして日曜日に発表。元々他校の人たちと合同で発表会をする予定だったが、コロナの影響がありオンラインでの実施となった。発表を聞いてくれる他校の人たちは、ポスターに所狭しと書かれた英文を小さなパソコンの画面越しで読み解くことなどできるのだろうか。初見の研究でしかもカタコトの英語発表である。絶対に無理な気がする。私自身、うまく研究内容を伝えられる自信がない。

日曜日に発表をしたら、そのまま一週間が始まる。

と、いうわけで。今週は休みがない。やばい。これは精神的にくる。

探究活動なんて、ぶっちゃけ受験には使わない。活動を通して学んだことは、将来のためにきっと必要なことなのだろうけど。でも、だからといってそれを「高校生」の時期に無理やり学ぶのは、どうしてもしんどい。私たちは「日本の未来を担う若者」であるようだ。でも、同級生の顔はみんな疲れている。

レジリエンス、という言葉がある。「困難に耐えるしなやかな力」という意味だそうで、先生方がよく口にする。私たちはこの力を持って、日々の学習や探究活動に取り組まなければいけないそうだ。

はっきり言って、私はこの言葉が大嫌いだ。

だって、私はそんなに器用じゃないからだ。

彼らは「思春期」の私たちに、一体どれほどの期待を注いでいるのだろうか。

なにが「しなやかな力」だ。人間は不器用で、自分の心の事さえも良く分からなくなる時があって、思い通りにいかない経験を毎日のようにするということを、「思春期」の我々は、今、必死に学んでいるのに。体験をしているのに。

人間は決して「しなやか」ではない、もっとごつごつした生き物であることを、ようやく知り始めているのに。

とにもかくにも、よく分からないことになっている毎日だ。「レジリエンス」を持った人間になれたら、もっと上手に生きていけるのだろうか。

そもそも「上手に生きる」って何だよ! 

ごちゃごちゃした文章になってしまい、すみません。

とりあえず、発表会頑張ります。そして、いつも「スキ」をしてくださる方。本当にありがとうございます。大きな心の支えになっています。