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:0152 #凪組アンソロジー を20名ずつすべて読む ⑤うたもも 〜 石川敬大さん 編

本気で100名の詩を読みます
「うたもも」として活動して2年ほどになります。そんな私からすると新鮮でない詩のほうが珍しいわけです。まだまだ詩世界を色鮮やかに捉えられる新人として、100名のすべての詩から楽しむ・学ぶことにしました。

読む計画

100名はこのように分割して紹介いたします。知識がないゆえに、ゲストとして寄稿してくださった渡辺めぐみさんと和田まさ子を除いて、どなたがどなたより詩人としての暦が長いなんて事情は詳細には把握しておりません。すべての方が人生の大先輩方(大雑把)です。失礼な表現がありましたら、申し訳ございません。

①渡辺めぐみ さん 〜 高平九 さん 編 (前前前々回)

②妻咲邦香 さん 〜 オリエンタル納言 さん 編 (前前々回)

③池田竜男 さん 〜 瑠璃 さん 編 (前々回)

④ yellow さん 〜 リウノタマシイ さん 編 (前回)

⑤うたもも 〜 石川敬大さん 編 (今回)

81のうたもも は制作裏話について書きます。

81.うたもも 82.璃瑠(RIL) 83.よるのものがたり 84.冬野あかり 85.月草偲津久 86.朝丘ノブ子 87.桜塚ひさ 88.竜宮ゆき 89.藍 眞澄 90.蒼河颯人 91.夕月檸檬(ゆづき れもん) 92.オトネコ白玉 93.只鳴どれみ 94.武内 優 95. keisei.hhh 96.柿沼オヘロ 97.アラ降旗 98.音放送・MCボーソー=dMpfG 99.君影衛門 100.石川敬大


※プロフィールは常体にし、各名称の書き方を他の方と統一するために変更している箇所があります。


81.うたもも 『自爆した膵臓を持ちあるく』『いい学校でした』の【解説】

『自爆した膵臓を持ちあるく』
こちらはわたしの持病「ダイアぺディス(1型糖尿病)」についての詩です。ほぼまともに機能していない膵臓をわたしは持ちあるいています。原因は不明と医師には言われましたが、塾の夏期講習の宿題を終わらせるために深夜2時まで徹夜したことは免疫力低下に繋がっていると思います。淡々と病に向き合い、腹に針を刺すことも怖くなくなります。現時点で完治する方法といえば実験段階ですが「豚の臓器を移植する」があります。まだ一般的には毎日インスリンを打たなければなりません。身体障害者手帳はもらえません。

『いい学校でした』
こちらはわたしのいとこの「摂食障害」についての詩です。いとこは名門私立小学校で学問でも外見でもコンプレックスを抱いてしまいました。小学生で「摂食障害」になる競争社会は、わたしが通っていた公立小学校にはありませんでした。本当にありませんでしたか。わたしよりも過酷な家庭環境のひとからすれば、わたしが塾の夏期講習に全力で取り組む姿を見ただけでコンプレックスを抱いていたかもしれません。どこにでも競争社会で明確に負けてしまったひとはいて、そのストレスは心身に現れてしまいます。冒頭のタバコを吸っていた子は中学生で酒タバコ放浪リスカはしていましたし。

うたもも のプロフィール
1999年生まれ。神奈川県在住。「ココア共和国」佳作2回。「おまねきVol.2まつわる」「幻代詩アンソロジー」に参加。文学フリマ東京38にて新刊『作品は生命より重い! 美高美大の異常に平常な日常』を販売。IT企業でUI/UXデザイナーとして働いていたが、現在は離職中。ブックデザインを仕事にしたい。

82.璃瑠(RIL) 人間はじめました 『ねじ巻き人形』『絆』『今、一年生』『真夜中の戯言』

『ねじ巻き人形』
機能しないなら一緒にいる意味はないのだろうか。片付けをしていたときに、もう電子ピアノが鳴らないと気づいたら捨ててしまうように。人間ではなく人形だから、いや、人間でもあなたの役に立たないからと距離を置いてしまうことがある。この『ねじ巻き人形』は、ほぼ空き家になってしまった玄関の棚の上にでもあるのではないか。実家に置いていかれ、親世代は亡くなり、遺品整理にきた子に対して「あたし 今後も壊れちゃうから」とお話ししているような哀しさがある。

『絆』
「絆を渇望した」の「絆」は来世にも影響するほどの縁。「生まれてはじめて」なのは、生きている間は意識しないでも会える。全く違う人間に生まれ変わってしまったら、「絆」があるかはっきり証明してくれなかったら、この普通の生活はできなくなってしまう。「貴方がいるから」感じる希望も絶望も「絆」と自分が信じているだけで、実は神様からすればただの偶然かもしれない。こんなにも「貴方」の影響を受けてはいるが、自分は「貴方」にそれほど影響を与えていないと思っているようだ。

『今、一年生』
何かしらの障害があるのだろうか。考え方がわからず、言葉が出せず、怒りを身体で表現してしまう成長に遅れがあるひと。「自我が〜過ごしました」は遠慮しすぎな受動型の困難、「強さ〜傷つけ」は尊大型の困難。後者だけでなく前者も「歪な人間」。何も言えない時期を過ごしてから、やっと何か言えるようになったら強すぎる言い方になってしまった。成長がゆっくりで『今、一年生』。どこが悪かったのか反省できているのなら、学校を卒業して、いつか大人になれるだろう。

『真夜中の戯言』
女性としての性機能を捨てて、寂しくなって浮気して、わかりにくい言葉で更に混乱させて。自分を産んだ母はうまくやっていたけれど、自分が認められるためにはどうしたらいいのか。「存在しない人と不貞」は、2次元のキャラクターだろうか。画だけでなく、文学作品の登場人物を好きになってしまったのかもしれない。それで「文学的な表現をしたくて 誤った言葉を突き通した」は、好きになってしまった登場人物の癖のある言葉遣いをそのまま対人関係で模倣して使っていないか。まさに戯言。

璃瑠(RIL) さんのプロフィール
恋愛(偏愛)・不安・障害・生きづらさなどをテーマに、主にX(旧Twitter)で活動。

83.よるのものがたり 『いんへるの』

『いんへるの』
インフェルノ(地獄)を『いんへるの』とひらがな表記にして、おとぎ話のようにしている。「巫女」を処刑すれば「王女」が御目見得になるとでも大衆は信じているのだろうか。後半の「世界は闇に抱かれたまま 醒める事はない 永久に」とあるように、犠牲を払っても「王女」は帰ってこなかった。「君」とはあるが、客観的な視点で書かれており主体性はない。「囚われの勇者」でもないのか。主体性を失ってしまった大衆のうちの一人の視点かもしれない。「導きの矢」は人殺しの矢か。

よるのものがたり さんのプロフィール
私は大胆であり、小心であり、誠実であり、狡猾であり、貞淑であり、淫乱であり、情け深くあり、残酷であり、救済者であり、殺人者である。

84.冬野あかり 『手のひらの細胞に捧ぐ』

『手のひらの細胞に捧ぐ』
「ストオブ」に触れて火傷してしまった「わたし」が「手のひらの細胞」にただただ謝る詩。わたしも電子レンジで冷凍ご飯を温めて取り出すときに、右の親指から中指まで火傷して肌がパリパリになったことがある。それから毎年冬になるたびに悪化していたが、最近は温暖化のせいか再悪化することもなくツルツルの肌でこうしてタイピングできている。子どもが危険な目に遭ったから「ストオブ」を引っ込めようという論調に誘導してしまった責任感を感じる。「細胞」は「わたし」や「脊髄反射」の下請けである。

冬野あかり さんのプロフィール
詩やエッセイを、ぽつぽつ書いている。note

85.月草偲津久 『残燻』『善い人になれますやうに。』

『残燻』 ++++
「靴紐」の状態変化が細かい。丘を必死になって登り、「宵の明星」を見つけて「靴紐」を「そのままにして置いた」。その途中で「靴紐」に「逃げ水みたいだね」と告げられていたのだから、友人のようで面白い。『残燻』は他に移り残る香り。香りに関する直接的な描写はないが、興味は他のものに移っている。「徐々に弱まる光の輪郭」は太陽で、「先まで見ていた〜違和感のある既視感」「宵の明星」は月。太陽は月も照らしているから、月の『残燻』に夢中になっているのではないか。

『善い人になれますやうに。』
あの日の子どもが昨日(現代)には狂った正義感にまで成長してしまった。「おたまじゃくし」を助けたけれどそのままにしといたほうが「善かった」のか先生に尋く。「みんなと同じやうにできて偉ひね」で素直に善いことも悪いことも真似をする。善悪の判断を自分でできているのかは怪しい。他人に善いことと教えられたら善いことになる。「君の不明瞭な影法師」はよくわからなかったが、影法師の「君」への「不思議なほどに手をふって」いる反抗っぷりに子どものうちに気づくべきだったのかもしれない。

月草偲津久 さんのプロフィール
1997年生まれ。青森県在住。「そちらとこちら」に参加。教鞭をとりながら小説、短歌、詩を執筆。主にX(旧 Twitter)で活動。今後は詩誌などに参加して活動の幅を広げたい。


86.朝丘ノブ子 『名無し -K・Mに-』『春 陽』『ねがい』

『名無し -K・Mに-』
「名もない星」にあるものにひとつひとつ名前をつけていく。世界中にある言葉を、初めに発し始めたひとは皆詩人であり、単語だけで美しい。言葉が連なる美しさを楽しむ前の創世記。『K・M』はこの詩人の名前だろうか。それともこの詩人の意志を継ぐ者の名前だろうか。「名もない自分を 詩人と名乗った」とあるが、他者がいれば詩人①、詩人②のような名前になるのではないか。「名乗った」だけは自称だ。暫定だから『名無し』なのかもしれない。他人に呼ばれることで「名」は機能するから。

『春 陽』
穏やかな昼寝。「かたくな」と「やわらか」の対句。「いきをとめて」は呼吸を止めるというより、余計なことを考えないという意味だろう。「かなしみのこずえに きぼうのはつがをうながす」と、庭の樹木と一体となって「わすれていたせいめいりょく」を再生させる。『春 陽』とスペースが空いていることで余裕のある心を表現している。「かたいじゅひのした」で新陳代謝が活発に起こり、ぺりぺりとめくれる様も想像できる。こんなふうにただ明日せかせかと動き回るためだけの昼寝をしたい。

『ねがい』
鳥・樹木・雲とレイヤーが変わっていく。「不思議な顔で見上げても」「季節が笑いながら過ぎても」と他人の目を気にした上で「私は私」だと自由をねがう。「鳥」では「うたいながら飛んでいたい」だったが、「雲」では「誰かの空に残っていれば 私は私を許すだろう」と、他人のために役に立ちたいという気持ちが強くなっている。自由を謳歌するだけではない。「雲」にまでなると、全ての生命を管轄することになる。大きな責任がある自由だ。

朝丘ノブ子 さんのプロフィール
2020年より試作開始。2023年より、このアンソロジーの発行人でもある石川敬大さん主宰の「Wonder」に参加。



87.桜塚ひさ 『階段』『金魚』『椿』『秋蝉』

『階段』
健康にいい体験設計を讃える詩。カロリー消費の目安と「おつかれさま」と労う言葉。「階」は 階層 のように格差社会の象徴として扱われることもあるが、階段を登ることや向上心を持つことに「みんな」を見出している。いいところ探しが上手い。「分断されているこの人波」は電車の上り下りの分断か、それとも駅舎に集中して歩いているひととスマホなどで集中して歩いていないひとか。この体験設計は、ひとを階段に注意を向けさせる。「JRのある駅」とあることで、どの駅か探したくなる。

『金魚』
『金魚』はそもそも金魚鉢の中で生きようとする気がなかった。幼い子は気づいていなかった。最後の「墓碑銘のいらない墓を」は、真に『金魚』を自由にさせるために、管理されていた形跡を残そうとしない粋さ。ただし墓はつくる。「まかれた餌に寄りもつかず」と人間に媚びていなかった金魚。「口はせわしく ぱくぱく ぱくぱく」と生きようとはしている。この金魚鉢から抜け出したかったのだろう。小さなルーペを使って覗いていたような「朱」「目」「腹」の動き。二度目の「朝」は成人してからだろうか。

『椿』
楽しんで鑑賞していた『椿』の時期が終わる。あの寂しさを表す6行。「それでも なお 生きよ」は、またこの季節が訪れるからと力強い。『椿』は来年も花を咲かせる。その自信がある。「私」もそんな自信を持てるように『椿』は向き合ってくれた。「残りは少なかった」は『椿』からすれば、こんなに咲けたという感謝でしかない。

『秋蝉』
鳴き声の異常な勢いの良さから、明日からは鳴かないと気づく。「明るい秋の林」「夏は去った」と秋と夏が重複する。いつまでが夏なのかよくわからない昨今らしい表現だ。蝉の亡骸はまだ林に転がってはいるだろう。

桜塚ひさ さんのプロフィール
還暦を超えてから詩作開始。「世田谷文学賞詩部門」佳作。「板橋区民賞」優秀賞。詩集『生きていく』。アンソロジー『親と子の詞華集ー知恵の花かご』。ポエティック・ファンタジー『幻想水族館ー深海の恋の物語』『不思議な庭の秘密ー夏の終わりの大冒険』を電子書籍 K.K.マイナビ出版に出版。


88.竜宮ゆき 『都会の街灯が滲むのは、君の心に優しさがあるから』『虹夜』『ココロと私の方程式』

『都会の街灯が滲むのは、君の心に優しさがあるから』
「同じ思いを繰り返すなら」は都会で挑戦できなかった後悔だろうか。「一瞬の静寂」はこの主人公の戸惑い・行動の停止が起こったのだろう。「目配せ」はそんなことぐらい普通にできるでしょうという都会人からの圧力か。「仲間はいつも探り合っている」でも同じような光景が目に浮かぶ。「本物」か「偽物」かもわからない。「あの空」を思い出せば『街灯』が滲む。だから抽象的な心の動きだけを描写した『都会』の詩になる。ビルの壁もどこの壁かはわからない。いくらでもあるビルの壁も都会では抽象だ。

『虹夜』
カラーリングがバービーみたいだ。キラキラしている。「水の上を素直に走る綿飴の雲は甘い」とわかるのが面白い。雲に舌は触れず、匂いだけで甘いとわかる空間に行ってみたい。火災時の避難訓練のあの甘いバニラの匂いを想像した。「夜の虹」は一般的には見えない。わたしの想像よりも一帯は暗くなっており要所要所だけが輝いていたようだ。「あるはずのない船」が来てからのことだと思う。時間経過が早すぎた竜宮城のような場所。

『ココロと私の方程式』
「ココロ」は意識的にコントロールできるものではない。「あやさないと」の前に「ココロ」があることで、コロコロ転がすようにあやしているように見える。「ココロって変えよう〜頑固者」とあるように、ココロは変数だ。『ココロと私の方程式』が解けるようになるには、変数がどんな条件のときに具体的にどんな数値になるのか傾向を掴まなければならない。それが、「ココロの糸をだんだんほどいていく」に当たると思う。「無理に変えるだけが方法じゃないよ」のように変数にこうなれと命じなくていい。

竜宮ゆき さんのプロフィール
1977年生まれ。2016年よりnoteにて詩の投稿を開始。ブロガーとしての顔も持つ。弾き語りを目標に、アコースティックギターを練習中。好きな歌手は中島みゆき。

89.藍 眞澄 『マサアキ』『そっとそこにあります』

『マサアキ』
『マサアキ』は現代を生きてはいないが、「している」でミスリードさせている。「小学二年から」あたりでかなり昔の話なんだと気づく。「ネーサン」はずっと「ネーサン」だ。「わたし」が片道二時間も乗っていた「電車」と天国に続く「電車」。『マサアキ』と「わたし」は小学二年のときまでは一緒に電車に乗っていて、「マサアキは廊下を走る」そのスピードは、末期の小学六年までは電車のように速かったのだろう。一緒に入院していた「友だち」が会いにこないのも、電車のように原則的に一方通行だからだろう。

『そっとそこにあります』
「あなたの要らなくなったもの」を誰かに密告することもなく、「必要になったらいつでも取りに来てください」と弱みを強さに変換してくれる。「近道としてだけ」「ブランコもない」と都会にあるビジネスマンがせかせかと歩く公園を思い出せる。遊ぶためでない、ひとりになるための公園。公園の茂みのなかに空き缶が捨てられていることはあるが、「仕舞っておきましょう」と肯定される感情はどこにあるのだろう。コンポストのように発酵してくれるなにかは、利用者のプライバシーのために具体的には教えない。

藍 眞澄 さんのプロフィール
学生時代に「詩芸術」に掲載。岡谷市の「地方文学コンクール」入選。1995年の信濃毎日新聞社主催「アイラブ信州コンクール」優秀賞。以後詩作から離れる。2022年の秋に詩作再開。「ココア共和国」佳作。


90.蒼河颯人 『再生』『Paradise Lost』

『再生』
「クリスタル・シャンデリア」「悲鳴とともに砕け散った硝子の破片」と、クラシックな殺人現場。精神世界だから、ひとりで刺された出来事を内省している。砕けた「クリスタル」は「金剛石」よりも眩しくなるだろうと期待する。「金剛石」になるのではない。傷ついた「クリスタル」の方が燦々と輝く。『再生』を照明があったときの詳細な調度品の描写と、照明がない「無」の世界ではなにも見えない描写が明確で、クラシックな箱庭が存分に活かされている。

『Paradise Lost』
視覚・聴覚・触覚(足 手 頭)と空間が想像しやすい。「滴が風に乗り弧を描く」は川に戻らずとも即源流に還る宗教的な天界になっている。「その双球」は女神の瞳か。「女神に姿を変えさせられたダヴィデ像」とダヴィデ像の瞳に彫られたハートに繋げている。柔軟に人間として生きていたものが石化してしまった描写に『Paradise Lost』らしさを感じた。「アッチェレランド」を「鼓動」と合わせると最期の悪あがきのようだ。林檎ではなく最初の方で挙げられた「桃源郷」に沿って「白桃」アレンジでまとまっている。

蒼河颯人 さんのプロフィール
1983年生まれ。福岡県出身。高校生の時に自由詩を開始。2020年より「カクヨム」にて作品公開を開始。手がけるジャンルは詩・短歌・川柳・長編小説・短編小説など。


91.夕月檸檬(ゆづき れもん) 『社畜とウーロン茶』『ミルクティー』

『社畜とウーロン茶』
黒髪しかダメですといった校則のように、地味な色だから許されるものがある。ウーロン茶も色のお陰で厳しい環境でも許されるイメージがある。「インカム」で大きな店舗の接客業であるとわかる。お客様に文句を言われずに水分補給できるのかドキドキする。計画通りにいかない「こぼれていた」ウーロン茶。「ハンドルネーム」はウーロン茶を 〇〇ちゃん とあだ名で呼んでいたということだろう。その行動を注意するほど「同僚」は暇ではない。「紅〜見てる」だけは古からの趣がある。

『ミルクティー』
こちらも飲みもの。「ふ〜っ」が3つ余白を残したまま並んでいて、読んでいるこの心が軽い。その『ミルクティー』の匂いを嗅いで「抜けていく疲れ」。繁忙期の退社後にお店で飲むのは『ミルクティー』。「お酒」よりも「ミルクティー」がいいという。どんなときに飲む飲みものか解像度が高い。3行ほどで区切られてカメラアングルがこまめに変わる。ミルクティーを飲む主人公→川面(かわも)が見えるテラス席→店全体→ミルクティーを飲む主人公→過去回想→ミルクティーを飲む主人公とテンポがいい。

夕月檸檬(ゆづき れもん) さんのプロフィール
小品文作家。往復書簡式小説『Love Letters〜100回継ぐこと〜』に参加。現在までに多数の作品がラジオで朗読放送されている。手作り時計店のDEDEGUMO(デデグモ)の「手作り星座時計」の購入特典リーフレットでは、蠍座をテーマにした掌編小説を担当。チャリティー商品のラベルデザインも、定期的に手掛けている。


92.オトネコ白玉 『朝とのお茶会』

『朝とのお茶会』
「正しく」「正しい」の連呼で「あなた」の「勤勉」が引き立つ。タイトルをチラッと見ると『朝とのお茶会』。「あなた」は「朝」か。「あなた」は砂糖を全く入れずにストレートで飲みそう。「震えるように見つめる人」は学校や仕事を恐れているのだろう。「朝」が「部長もおかんむりで」と「あなた」の昨日の様子を見ていたようだが、「朝」は「平等」だから介入しない。「昨日は大変でしたもんね。」と素通りする。本当に大変だと思ったことはないのが「朝」さんだ。

オトネコ白玉 さんのプロフィール
北海道出身。金子みすゞ・谷川俊太郎の作品に惹かれ、詩作開始。主に各種展示会への出展を通じて活動中。「月織文芸部」に所属し、「0号」に掲載。

93.只鳴どれみ 『平面カモメ』『牛』『うたう猿』

『平面カモメ』
カモメにも厚みはあるはずなのに、遠くにいるから式神紙人形のように平面に見えている。「曖昧な手を起こしたら」と、ぼんやりスマホでもいじっている手をやめたらという解釈もできる。アイデアが何もないのに無理やり文章や絵を生み出そうとしているようにも考えられる。「線を書くこと」は文章にも絵にも当てはまる。「延々ただ寝坊し」と締切を守れない残念な日を繰り返す。「ハロー」は偶然近所で出会えた新しいアイデアで、アイデアとは認められない遠いカモメと比べたらやけに立体的に見えてくる。

『牛』
「其の声」はモオゥと鳴く牛の声か。「雑踏を制した」で感じる牛の重み。その牛は老化したのか、のたうち回って歩けなくなってしまったのだろうか。「雑踏も静止」と踏まれていた草も、その牛の死に気づいて悼む。「華よ!」は手向け花だろうか。人間が家畜だろうと最期まで生きたことを讃えている。「お前が手を振れば」は「牛」 には難しいと最初は考えたが、四足歩行でも足をぶらぶらこちらに向かって振ってくれれば、「五月雨」で濡れた草が「空間に煌った」は可能だと気づいた。四足歩行でも手を振れる。

『うたう猿』
「風、風、風、」「雨、雨、雨、」と「風」も「雨」もスパッと終わるものではないところの表現が良い。「猿」はうたってたゆたっているが、「冷静な視線」が「猿」に向かっているのか。「たゆたう」と合わさると面白い。「猿」も冷静にたゆたっているのかもしれない。「三千胡蝶蘭」は「三千大千世界」の胡蝶蘭版だろうか。限りがない。そして「散ゆ」のは一気に寂しくなるだろう。「バッテン」は後ろの「朝露さらって」を考えると、罰点よりも九州の方言の方が自然か。

只鳴どれみ さんのプロフィール
なにひとつわかりません。

94.武内 優 『私にはないたくさんのもの』『3.12』

『私にはないたくさんのもの』
ペン図をオンラインホワイトボードで書いて確認してみた。「私」は「あなた」と親密なわけではない。「私にはないたくさんのもの」に「優しさ」と「強さ」が含まれている。その後の「私にはないたくさんのものが あなたにあるわけではない」は矛盾しているように見える。実は「私」にも「優しさ」と「強さ」はあったと気づいたから矛盾しているのではないか。「あなたがあなたであるから〜私は思う」は羨ましいと思う気持ち。「私たちは無力であるから」相互に力があることを褒めていたのか。

『3.12』
東日本大震災の後のあらゆる思考を網羅している。もう13年経ち「私たちは何を学んだのだろうか」の時代になった。災害死・地震・津波・放射能・企業・内閣・メルトダウンした原発・災害対策・廃墟・復興・現実逃避・生い茂る草木・行方不明者・トラウマ・教訓・地域による被害格差・命をかけて助けられた記憶・生きる意味・感謝・あの人は亡くなった悲しみ。当時、神奈川で震度4程度でびっくりして小学校の机の下に潜っていたわたしには書けない。世界は一瞬では終わらない。今も生きている。

武内 優 さんのプロフィール
「うまくは言えない、でも確かにそこにあるような気がすること」をないことにしないために、日々、詩を書く。


95. keisei.hhh 『楽観のレモンサワー』『again and again』

『楽観のレモンサワー』
「核弾頭を飛ばす男」「ハッキング」「核融合炉」など不穏な言葉が出ながら、「ラジオ配信」「腕時計」「味噌汁」など幸せな言葉もある。まさに『楽観』。好きなものが「全焼」するとしたらと考えても悲しくはないらしい。「人の怒り〜知りたがる」からわかるように、他人の詮索はしすぎずに、自分の身体で感じることができればいいようだ。「10代〜運ばれる」は繊細でエネルギッシュな10代の表現として好き。「炭化させてしまう」でよく燃えていた時間も思い出せる。「買い物に出掛ける先は」と日常は続く。

『again and again』
グラスバレー「瓦礫の街」のCDジャケットをネットで調べたが、口角は上がっていると断定はできない。見る側の気持ちによっては微笑んでいるように見えるのか。「固定電話」も含めて「父と母」の夢の始まりの象徴。「そう気づいた僕はもう、留まらない。」と「僕」も夢を始めなければと思う。文化的な親を見て、自分も夢を描く。「秋夕焼け」は「褐色」に重なる。まだ「僕」の夢が古い夢になるのは早い。「封切り前」は「コンテスト」に送る封筒がまだ開封されていないワクワク感がある。

keisei.hhh さんのプロフィール
ネット詩人としては@stereotype2085として活動。「文芸思潮現代詩賞」佳作。猛り狂う謎のツイキャス主としても活動。配信者として別の配信メディアへの移行も検討中。

96.柿沼オヘロ 『絵図にひそむように』

『絵図にひそむように』
「らでん」とは、真珠光を放つ貝殻を用いた工芸の手法。「いつも雲合いは らでんで溢れている」と、単純な色で表さない輝き。何者かの意志によって技巧が凝らされている示唆。「あめつちはじめのとき」は、古事記に出てくるオホゲツヒメ(食物の女神)を思い起こさせる。嘔吐物が食物になる神様だ。多すぎる「嘔吐」と豊かな食。「あまずっぱい〜しんみつに還す」と「 はっこう の源へ還ってしまった」は、「嘔吐」や糞になって発酵して還る様が想像できる。これが「幸福絵図」か。

柿沼オヘロ さんのプロフィール
2022年秋から詩作開始。水木しげる・つげ義春・鈴木翁二などから影響を受ける。このアンソロジーの発行人でもある石川敬大さん主宰の「Wonder」に参加。文学にはほとんど触れてこなかったため、鋭意勉強中。


97.アラ降旗 『ながすぎる』『川』『不健康』『ターンオーバー』

『ながすぎる』
(人)とは、客観的な「じぶん」か。今回アラ降旗さんが寄稿した詩は全て短めなので内心意識しているのだろうかと気になってくる。「みたそうです。」と他人事のように締める。「じぶん」「おもいました。」がある一方でこんな占め方になったのは、メタ認知を鍛えようと頑張った結果か。「後藤明生」のどの小説を読んで「ながすぎるのではないか」とおもったのか検証してみたい。

『川』
また「(人)」。なぞなぞだ。「本の横で寝そべって」「本は人」と思っていて、「多くの人とともに寝そべって」「川となって流れてゆく」ようだが、なんなんだ。「(人)」を内向的な本の虫と仮定すると、本は当然積んでいる。本を通じて人と交流する。だからひとりじゃない。本を読んで社会に馴染める。社会で川の流れのようにせき止めることなく生活できる。この説を推す。()の中に閉じこもっている人だから、「(人)」表記になる。

『不健康』
また「(人)」。「寸評はご遠慮ください」!? 困った。これから寸評を書くところなのに。本当に『不健康』なひとは『不健康』を書けない。「(人)」は『不健康』に憧れている。 言説を意識してか、この詩自体は『不健康』ではない。「その結果がこの詩ですが、なにか? と(人)」の「と(人)」とは、人の目を気にしている意味の「(人)」だろうか。だったら、「寸評はご遠慮ください」にも納得できる。余計な小言で突いてすみませんね。

『ターンオーバー』
また「(人)」。「西に向かう〜ようです。」から読み取るに、「(人)」はマクロな視点の優しさはなかったが、ミクロな視点の優しさはあった。視野が広くない()の外が見えていない意味で「(人)」と考えた。また、「ターンオーバー(代謝回転)」があるため、洗濯機がぐるぐると回る様子や盛者必衰の流れも()に含まれているのかもしれない。「終着点」の先で()の中に違う生物が入ってくるのだろうか。()の活かし方の参考になった。

アラ降旗 さんのプロフィール
詩生活歴X十年余。「降旗〜」「フリハタ〜」の名でも書く。『アイルランド日和』『農民ジャパン』『ツレヅレ、ワブル人ハ、ぶるーす』を出版。


98.音放送・MCボーソー=dMpfG 『恋の辞め方、傷の癒やし方』『言いたい事が有るんだよ』『いいたりないことば=言いたい事が有るんだよ(つづき)Part2』 『アリガトウ左様ならThanks』

『恋の辞め方、傷の癒やし方』
歌いやすい。「、」だけでなく「ー」も息継ぎのタイミングになっている「Desperado」は 無法者 の意味。「止めて欲しい」と言われた虚しさが消えない加害者。「かけがえのない恐怖」とその恐怖も愛してしまっている。「Dope」は禁止薬物の意味。「旅に漂うDope」は本来は繋がってはいけないひとと悪い恋愛をしているということか。「言葉だけ、で出会って。」とナンパやマッチングアプリでの腕はありそう。「傷」は恋愛よりも前にあって、ずっとこの虚しさを繰り返すだろう。

『言いたい事が有るんだよ』
夏フェスで披露される元気が出る歌の歌詞のよう。「/」は合いの手のリズムに見えてきた。「言いたい事が有るんだよ」や「俺が産まれて来た理由」などはアーティスト側で「/」以降は観客側。「俺が産まれて来た理由」が微妙に少しずつ変わっている。「産」「来」「理由」がひらがなになっている箇所もある。その場のノリで叫んで甘噛みしてこんな発音になったのだろうか。

『いいたりないことば=言いたい事が有るんだよ(つづき)Part2』
本当に『言いたい事が有るんだよ』の大サビが来た。勢いが止まらない。みんなでカラオケで歌いやすい歌あるある。「好きキス隙空きスキ過ぎる」は韻をできる限り踏みながら、恋愛に夢中すぎる光景も見える。フルの16行は使わないところがただ枠からはみ出てしまった『つづき』らしさがある。一番ではなく「壱番」なところ、行きつけの店はCoCo壱番屋なのか。

『アリガトウ左様ならThanks』
「お母さん」に『アリガトウ左様ならThanks』。タイトルのトンチキな言葉の組み合わせが上手い。「"二人暮らし"」は母子で、父はもう亡くなったのだろうか。気分を変えようと参年前に引っ越しした。新しく子供が生まれたわけではない。年をとると料理がしんどくなって宅食に頼む回数が増える。年をとると体重がどんどん減る。若い頃は痩せている方がいいと思っていたけれど、今はそうじゃない。というところだろうか。「ヒューマニティー」「ひとりはこわくない。」はサンボマスターっぽい。

音放送・MCボーソー=dMpfG さんのプロフィール
「SHIBUYAオープンマイク」「KOTOBASlamJapan」「ぽえちか」等にて、ポエトリーディングやラップを少々。尚、ミドルゲームは2023年夏「コレクティブFUKUSHIMA!」にて命名。


99.君影衛門 『偏頭痛と光』『幼なじみのくまの子』

『偏頭痛と光』
視覚過敏による頭痛だろうか。「世界は反面薄っぺらになり」と情報量がカンストして低速になってしまった描写がよくわかる。「胃液が酸っぱく込み上げてきて」から、頭痛だけでなく胃腸も悪そう。全体的に貧弱。「夜は遠く還って来ない」と光が多すぎる世界で待ち遠しそう。この感想を書いている現在のわたしも低気圧のせいで偏頭痛だ。暗闇を想像して頭を癒している。「明日は太陽消えてしまえ」とは思わないが、明日は気圧が低くない曇りの日だったら嬉しい。

『幼なじみのくまの子』
わたしも「ぬいぐるみ」を大事にしているから、「柩」に「ぬいぐるみ」を入れたい。入れれば「祖父」に対して「六歳だった私の証」にもなるのは新しい発見だった。「汽車」で帰宅するときに見送ってくれたひとはいない。それでさらに別れを実感する。六歳のときの葬式をこんなにも覚えていることがすごい。副葬品の由来を全て理解しているなんて。わたしは7歳のときに曾祖母を亡くしたが、葬式よりも火葬の印象が強く副葬品は何も覚えていない。葬式があってすぐだったらこの決意はできていたのかもしれない。

君影衛門 さんのプロフィール
小説・詩・短歌・読書・手芸。本は古い本を読むことが多い。手芸はレースと縫い物を時々。


100.石川敬大 『中秋の名月の下で』

『中秋の名月の下で』
拾ってきた石を見て「なんという川の流域で拉致したのか」と罪の意識はあるが償い方はわからない。「艸地」「名もない川」「葦原」など、「紗の窓辺」から自然界に入る。最後の「鮭の、姿をして」は鮭を見たのではなく鮭に成ったということだろう。中秋は8月15日で、鮭の産卵期と重なる。「その始源へと遡上する」は産卵のための川上り。「沈黙の、石」から産卵期の「鮭」までの連想。「一塊の石英斑岩」に5つ以上のさまざまな石が組み合わさっている自然の面白さ。「、」は視点が変わるタイミングとして使われている。

石川敬大 さんのプロフィール
この「凪組Anthology2024」の編纂者。


論考・編集後記について


わたしもネット詩人だ。ココア共和国に応募して佳作を2回頂いたこともあるが、インターネットで公開したほうが様々な反応が頂ける。

今ではネットだけでなく文学のイベントにも出るのは、デザインスキルを活かして詩を発表する冊子という枠もカスタマイズしたいからだ。

ネット詩の弱点として以下の5点が挙げられていた。

  1. 編集者や校正者がおらず、独りよがりな誤字脱字が頻発する詩になる

  2. 発信者が常に「いいね」不足になる。

  3. 書き換え・訂正が容易なため、詩を完成度を上げたい意識が低くなる。

  4. ネットで広く語彙を探せるようになり、上辺だけの言葉の意味を誤用した”カッコイイ詩”が量産される。

  5. 馴れ合いのコミュニティと批評コミュニティーの分断が深くなる。

反対に長所としては

  1. 有名・無名を問わず、詩のバラエティーが豊かになる。

  2. 詩の発表がすぐできるようになった。

  3. 紙媒体に閉じ込められずに、無数の読者に届く可能性がある。

  4. すぐに他者に評価される。

  5. コストゼロ。

  6. とりあえず言葉を書いてから、編集することで完成させることもできる。

  7. 簡単に新しい言葉に出会える。

  8. 同じ言葉を反復する詩を書きやすくなった。

  9. レイアウトにも個性がある視覚詩を書きやすくなった。

  10. 他の媒体とコラボレーションしやすくなった。

と10個もあった。

実際の論考の文章には歴史上の人物のエピソードも交えた具体例が書かれている。功罪どちらにも言及された素晴らしい論考だ。


編集後記には石川敬大さんの苦労が書かれている。ネットだけで活動している詩人の中には、辞退される方も何人かいたという。わたしの観測範囲でも、SNSで#を用いた参加希望の方法を間違えてしまった方がいらっしゃった。インターネットで全国各地の詩人と連絡をとって100名分の詩を集めるのはとても大変だったと思う。

石川敬大さん、編纂ありがとうございました。


お知らせ

わたしは個人で文学フリマ東京38に『この紫陽花が、うまい!』という出店名で参加させていただきます。【せ-30】です。この凪組Anthology2024に参加した詩人のどなたかにはお会いしたいです。それまではどなたの詩も拝読しておりますので何かしらお話はできると思います。

凪組Anthology2024は 青い凪の会【せ-39 40】で売られます!


今回から東京会場ではチケットが必要です。お忘れなく。

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