自分で誰かの靴を履いてみること
昨日までで、ブレイディみかこ先生の『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読んだんです。
でも話したい内容が多過ぎるので、感想を少しずつ分けることにしました。
後日まとめたものも上げるとは思います。
*以下、ネタバレ注意です。
本当に良い作品なので、読んでからまた見てくださっても大丈夫です!
ということで今回は、
自分で誰かの靴を履いてみること
あたりの部分について感想を書きたいと思います。
作品の中でこの言葉は
エンパシーとは何か
ということで語られます。
エンパシーと似た言葉で、"シンパシー"という言葉もありますね。
違いは何か、と訊かれて皆さんは答えられますか?
作中では、
エンパシー:
自分とは違う理念や信念を持つ人が何を考えているのだろうと想像する能力。
シンパシー:
自分と似た意見を持っている人々に対して抱く感情や行為・理解。
と語られています。
なるほど。
両者には
⑴自分と考えや意見が似ているか否か
⑵能力なのか、行為や感情そのものなのか
という違いがあるようです。
その上で、タイトルの言葉です。
主人公の男の子は学校で出会った「エンパシーとは何か」という問いに対して
自分で誰かの靴を履いてみること
と答えています。
読んだ時、私はとても納得しました。
"自分で誰かの靴を履いてみること"とはよく言ったものです。
作中でもありますが、
確かに自分と同じような意見の人の考えは、想像しやすいものです。
想像しやすい、というよりも既にそれは自分が自然と考えていたことなので、その点でシンパシーは容易いことが多いと思います。
しかし、異なる考え方の人のことを想像する、理解しようとするエンパシーは容易とは言えません。
靴の例えで言えば、その人がなぜその靴を選んだのか。
"大きさ"なのか、"色"なのか、"形"なのか、"値段"なのか、
というようなことはその人の趣味嗜好やものの考え方がわからないと想像することは難しいでしょう。
ですが、エンパシーで大切なのは、
相手の気持ちを想像"しようとすること"なのかなと私は思いました。
結果として、自分の想像と実際の相手の思いが完全一致していることは必要不可欠ではありません。
自分の環境を世界の全てと捉えるのではなく、異なる考えを持つ相手の意見や言動の意味を理解"しようとする"。
思考を巡らせ、自分とは異なるその人の奥底に隠れた"真意"というものを汲み取ろうとすること。
それが本当の
多様性の理解
に繋がっていくのかなと思います。
自分で誰かの靴を履いてみることで、いつもの目線とは違った世界の見え方があるかもしれませんね。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
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