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【ショートショート】わたしの心の中の風景(920字)

彼が描いたその絵は、とにかくとても素敵だった。

そんなことで彼のことが気になり始めるなんて、漫画のようなフィクションが現実に起こり得るとは。
我ながら驚きだ。

F6のキャンバスにアクリル絵の具で描かれた秋の草原は、穏やかに、寂しそうに風に吹かれていた。
オーカーのワントーン、差し色さえないその画面がとてもお洒落に見える。
中学生でそんな配色をする子は見たことがない。それも美術の課題授業で。

彼が気になった。
それにはふたつの意味がある。

この草原は、彼の何を表しているのだろうか。
「わたしの心の中の風景」。
それがその絵の課題だった。
穏やかな優しさと、荒涼とした寂しさを内包した絵。
わたしは教師として、彼にどう対応したらいいのか、するべきなのか。

そしてもうひとつの意味。
彼をもっと知りたい。彼が描く世界をもっと見てみたい。
そう思ってしまったのだ。


「先生」

「三宅くん」

課題作品を返却する、という名目で彼を美術準備室へ呼び出した。
わたしは一体どうするつもりなのか、一体何がしたいのか…。

「先生、5をつけてくれてありがとうございます」

草原の絵を抱えた彼は、子供らしくはにかんでいる。
その表情に、沸き起こる複雑に捻れた感情が、胸をぎゅっと締め付けた。

「うれしいです。
これは、先生に見てもらいたくて描いた絵だから」

「え…?」

彼の表情から子供らしさが消えていた。
わたしを射抜く鋭い眼差し。

「これは、先生なんです」

美しく風に吹かれる草原をこちらに示す彼。
穏やかな優しさと荒涼とした寂しさをたたえた草原だ。


この絵の課題は…

「“わたしの心の中の風景”…」

わたしの胸は鼓動を速め、頭はくらくらと回り始める。

「先生、この草原に足りないものはありますか?」


じっとこちらを見つめる彼の瞳が頭痛を引き起こす。


そう、その絵はとても素敵だった。
それでも足りないものがあるとすれば。

不足気味だった空気をたっぷり吸い込み、しっかりと吐ききってから口を開いた。

「…そうね、三宅くん、この草原を歩くあなたの姿を描いたらきっともっとよくなる」

「はい、先生。僕もそう思っていました」



そして彼は今、わたしの草原を歩き始めた。

こんな漫画のようなフィクションが現実に起こり得るとは。
我ながら驚きだ。



END

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