巡れども進まない事とか、

 自分の中で、書く、という燃料が燃え尽きた様な感じがする。定期的に書きたい気持ちがあって、大して何も形にならずに燃え尽きてを繰り返している。前は思春期の頃だったか、大学に入って音楽を始めてから止めてしまった。今回は先月に結婚式が終わってからだ。そう思うと何か精神的に不安定なときに訪れる衝動だと思う。私は何かモヤモヤして悩んだときは書いてスッキリするタイプで、これは中学生の時に発見したやり方だった。だからきっと何かを書きたくなるのは、何か作品を作り上げたいというより、自分の気持ちに向き合いたいときなのだろう。今回も結婚という大きな変化に対する、メンタル的な揺らぎを感じて、書かなくてはという燃料が燃えだしたのかもしれない。コロナ禍も相まって、結婚式も延期してきたが、それも全て終わってメンタル的に安定してきたというところだろうか。書くというターンが終われば、また別のターンが来て、どれも大成せずに去っていき、また巡ってくる。それがゲームだったりスポーツだったり料理だったり、何年か前は投資をやって個別株を買って配当だ優待だと言っていたが、それも今はインデックス積み立てに落ち着いた。最近はポイ活の方面を緩く頑張ってみたりしている。自発的に始めたことを、とことんやりきるということは、私にはなかなか出来ないようだ。皆そうかもしれないけれど。でも昔父の部屋で、読んだ本の感想や、自分の考えを書いてあるノートを発見して、悪いものを見たな思ったのと同時に、それが始めの何ページかで終わっているのを見て、分かるわー、と思ってしまった。遺伝だろう。

そんな巡るめく私の時間の消費方法の一つに音楽があることは幸いだと思う。大学の音楽系サークルに入ったことは、人生の中でも分水嶺のように大きな選択であり、今でもその時の自分を褒めてやりたいと思うくらいだ。最近書かなくなってから曲を作ったりしている。これは数年前にYouTube発のアーティストが流行りだしたとき、それにスイッチを入れられて曲を作り出したのが始まりだ。趣味としてまったり活動しているバンドで演奏することを想定して作り、初めて自分のオリジナル曲をライブで演奏出来たときは、なんともいえない達成感があって、それで燃え尽きていたのが、また巡ってきたのだ。

それにしても結婚式というのはなかなか良いものだ。やる前はブツブツ文句も言うけれど、やったあとに後悔したと言う人はあまりいない気がする。まあ確かにお金はかかるけれど、若いうちにお金を出して出来ることはどの程度のもんなのか、経験することは大事だと言う人もいるし、お金があるならやったらいいと思う。だって、あんなに無条件に、ひたすらにお祝いされ、良かったね、良かったね、と言われることなんて、多分もう芥川賞かノーベル賞でも取らないと一生ないんじゃないかと思うほどだ。

明日はエヴァを観に行く。

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