※個人の感想です(D)


字虫
架空の虫を、まことしやかに発見の歴史から書かれている。主人公もその存在を最近知ったのだと、読者目線で語られるるところも読みやすい。創作なのだが、実際の電子顕微鏡の発明者とか、古代の哲学者や錬金術師の固有名詞を出してくるところがより総論っぽくなって面白い。中島敦も山月記の著者のことなら「文字禍」を発表した年に亡くなったことになる(勿論Wikipediaで調べましたよ)。あと讒謗という単語を覚えた。昔の人なら本の虫だが、現代人がスマホ中毒なのも字虫のせいかもしれない。
しかし文字にある霊力みたいなものは、科学的に解明されたのだと作品中では言っているが、これを創作の話と知って読む読者にとっては、逆に文字の霊力の存在を意識させるものにもなっていると思う。

世界で最後の公衆電話
『声が無くなっている、文字が災いのように地を覆う』
確かにこの掌編には台詞がない。上の文も友人からの便り、とある。この世界には本当に声がなくなっているのだ。文字が地を覆う、とあるが、小説でいう地の文、と掛かっているのかしらとも思う。この世界には地の文しかない、というように。だから公衆電話がなくなり、『電話線主義者』が誕生する。テレパシーでも出来るようになったのだろうか。だが虫たちの声もだんだん少なくなっているという描写があるので、声がなくなるのは人間だけではないようだ。世界は無音に近づいている。誰も人の話なんか聞かないということか、話さなくても事足りる、生活できるということか、しかし主人公はそれに抗って残った声を放すのだろう。

蕎麦屋で
さらっと読んだら、ほっこりしていい話だなと思った。しかし最後の方に何か違和感があるなと思ってもう一度読んだ。あの日と同じ祖父の様子、同じように影が伸びる。『影があるんだ、こころが弾む』とあるように、祖父は幻か何かに思える。最後の、とろけた、は表情がとろけたように思えるが、幻がとろけて消えたようにも思える。

タイピング、タイピング
冒頭の途切れた文字、世界から出し抜けに話しかけられると言葉を無くす、義指と義祖母など、すべての要素が上手く繋がり回収されている。それだけなら、エピテーゼ、というタイトルで良さそうだが、『タイピング、タイピング』である。あなたに向けて書かれた文章になっていて、あなたは指を失うきっかけになった人である。あなたに向けて何故今この文書を書いているのか、というのがこの作品をさらに面白くしている。あなたとはあれから長い間会っていないような感じ、男とのセックス話をわざわざするというのは、意中の男性という感じもしないし、女性かもしれないと思う。あなたはあの時何と言ったのか、今度どこかに行こうよ、みたいなお誘いに思うが、それが叶って会ったときに見せる文章を書いているのだろうか。そういう想像が楽しい。

元弊社、花筏かな?
短歌については全然触れてこなかったので、無知の素人だけれど、一つのタイトルを付けて連続でよまれる短歌は、何だかとても素敵だ。どことなくストーリーを感じる。元弊社、という表現にいきなり引っかかったが、辞めた会社、ということだろうか。私は会社を辞めて、気ままに元気に過ごしていたが、きみはブラックな職場に押しつぶされ自殺してしまった。私はもう一度就活をするが、なかなかうまくいかない。といった感じに思えた。印象的に花が出てきて、季節感がある。春から始まり一年が過ぎるのが分かるのは、情緒があってとてもいい。その花の美しさや生命力と対照的に、社会でうまくいかない私やきみが詠まれていて、その対比がこの作品をより心に刺さるものにしていると思う。『しらたえの職務経歴 ぬばたまの御社』の破壊力はすごい。全体的にそうだが、面白いのに笑えない。

 とても甲乙付けられたものではないが、この中で一つを推すならタイピング、タイピングだろうか。だんだん感想ではなく下手な考察みたいになってきているが、それを書き起こしてみることで分かることがたくさんあって、勉強になっていると思う。

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