私の人生が暗黒面から帰還するために必要な最後のステップ

SNSで自分の話をしたことはそんなになくて、笑い話になりそうな事をいくつかTwitterに出したかな?ってくらいなのですが、今回は新しい人生を掴むために思いきって書いてみようと思います!✨

小学5年生のとき、担任の女性教師から暴言、暴力を一年に渡って受けていました。私だけでなく同級生や彼女の同僚であるはずの他の先生もその被害にあっており、先生も同級生も学校へ来なくなって行くなか、私は必死に我慢していたところ、齢10才で統合失調症と胃潰瘍を患い、血反吐を吐くようになりました。キッツかったわ~😭

中1~中3の間は、病気を快く思わない、理解を示さない学年主任と数学担当の先生、スクールカーストの上位陣と付き合うようになった幼なじみさえも私をいじめるようになりました。幸い、助けになってくれる数人の友人と私を慕ってくれる後輩に助けられたため不登校にはならなかったのですが、一度も学校行事の旅行に参加させてもらえず、修学旅行の日は家に居ました。お土産は貰ったよ!🥰イエイ!

高校に入り、これは以前ツイートしたのですが先生も同級生も先輩も頭の良い素敵な方ばかりで、闘病を続けながらも楽しい生活でした。最高だったなぁ…
しかし長い過酷な生活で、完全に正気を失っていた私は受験勉強のストレスを前に、参考書はおろか、普通の小説を読むこともままならないほど日常的にパニック状態になってしまい、そのうち本が私に罵声を浴びせる幻覚まで見るようになった頃。

高校三年の夏、祖父母が相次いで亡くなりました。罵声に耐えながら勉強してきた心の踏ん張りが完全に効かなくなった頃、

祖父母の死と、自分自信が体調を崩したストレスから父に日常的に人格を否定され暴力を受けるようになりました。
彼は病弱な私を一度も気にかけず、なんなら病気持ちなんて世間体が悪いと言ってきたくせに、自分が病気の時はこれだったのです。

2018年1月。受験会場で発作を起こし意識を失いセンター試験を断念。

2018年、2月。冬の山。幼い頃から初詣のために通う寺社のある山に学校を抜け出し訪れると、そこで自殺を計り、確かに一度死にました。
紆余曲折あって助かったのですが あの臨死体験は今でも忘れられません。いやほんと死ぬって怖いわね💦

その後、浪人中にとある興信所に就職。探偵としていくつかの事件を追うなかで、かつて、私と私の友人の人生を狂わせた、一番最初に書いた、小学校5年生の担任教師の名前が捜査線上に浮上したのです。まぁびっくりよね、そりゃフォースの暗黒面にも堕ちますわ。ダース・ベイダーやむなし。

当然、復讐に走りました。直前に事件を解決し 主犯を捕らえようと格闘になり感情に任せて彼を踏みつけた時、既に心は暗黒面に堕ちていたと思います。

件の教師の家を突き止めた私は、当時ずたずたになり杖なしでは歩けなくなった体を引きずって、彼女の自宅に行きました。しょーじきに言うとねぇ、杖で殴ってころ…くらいの腹積もりでしたよ。

でも私は結局最後まで良くも悪くも甘い人間でした。結局復讐を果たすより先に正気を取り戻したのです。
きっかけは、彼女の家の表札でした。

表札には彼女の名前以外にももう二名。
娘さんと旦那さんの名前がありました。もし今私が彼女に復讐するような事があれば、この二人はきっと悲しむでしょう。そうでなくても、自分の母が、妻が、教師としてしては行けないことをしてきたと知れば、この家族はきっと不幸になってしまう。そう思ってしまったら、もう復讐なんて考えは吹き飛んでいました。

その後、帰宅した彼女と出くわした私は、偶然通りがかった風を装いました。彼女は私の事を覚えていて、大きくなった姿を喜び嬉しそうに嬉しそうに思い出を語り、今の自分の受け持ちクラスの事を語りました。
最後は「親御さんによろしくね!」と。
私の事は覚えていても、私にしたことは何も、覚えていませんでした。

とまぁ、ここまで書くとなんだかめちゃめちゃ悲惨な人生に見えますけど! 一応友人にも恵まれたし!幸せな事もありましたよ!💦
ただねぇ…まぁ一言で10代の人生を表すと
「トイレの個室の中でうずくまり、自分の息が膝から顔に跳ね返ってじんわり暖かさを感じた時しか、自分の身の安全と人権を感じられなかった」人生なのでねぇ…
まぁ価値観が色々おかしくなる訳です笑 😌💦

その後、たった一人孤独に今日まで二年近くを過ごして行くなか、死ぬほど努力して、様々な出会いや別れ、出来事を経験し、
私はとうとう薬を一錠も飲まない、杖もつかない、
高校の時の社交性も取り戻し、高校の時以上の明るさも取り戻しました。本も読みたいように読めるし、人生は楽しく、一人で色々なところへ出掛けられて、とても楽しい充実した時間を過ごせるようになりました!💕

会う人会う人から「陰を背負ってる感じがない」「明るさを装っている感じがない」「別人のようにハキハキと喋るようになった」と言われるし昔通っていた塾の先生は久々の再会を泣いて喜んでくれるし、
初対面の方からはコミュニケーション能力の高さを褒められるので、まさに「自他共に認める回復」と言ったやつです♪

でね、なんでこーんなつまらんお話を書いたのかと言いますと。
2020年、4月を持ちまして、私はとうとうこの境地に至ったのです。
「もう、みんな許そう」という境地に。
全て水に流し、あらゆる理不尽を許し、何もかも仕方なかったと踏ん切りをつけ、みーんなみーんな許してもう二度と蒸し返さない思い出さないようにしようと決めたのです。

今の私は誰よりも強い。必ず全てを許し、過去を水に流せることでしょう。

でも、たった一つ、たった一つだけ気がかりな事があって、もう一歩、許しへの一歩が踏み出せないのです。

それは、「このまま私が全てを許し全てを忘れれば、ここまで生き延びた、齢20でこの境地にまでたどり着いた私の
がんばりは、誰にも知られない誰にも褒めてもらえないままなのだろうか…?」という気がかりです。

ここに書いたのはざっとしたダイジェストでして、ほんっとうに色々あったのですよ。それを全部乗り越え病気さえも克服して幸せと平和をつかんだのを機に全部許そうと至るまで、本当に本当に本当に本当に死ぬほど頑張ったんです
頑張ったんですよ…

でもその事は誰も知りません。どんな思いで今ここに至ったかを誰も知りませんから、誰も頑張りを認めていません。

せめて、全部ふっ切って新しい人生を初めるために、せめて一人で良いから、私が頑張って頑張って、全部許すことに決めたという事を覚えていて欲しいのです。
誰かが知っていてくればば、私はそれでもう満足して全部を許せます。親も先生も、幼なじみも、故郷の人間もみんな許して、自分を取り戻せるのです。

このnoteをここまで読んでくださった方がもし居ましたら、それで私は新しい一歩を踏み出せます。
あまりに身勝手な願いではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。

べるもっとちゃんでしたーー!!!!

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