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『蛙のゴム靴』(宮沢賢治)

次の日のひるすぎ、雨がはれて陽が射しました。ベン蛙とブン蛙とが一緒にカン蛙のうちへやって来ました。
「やあ、今日はおめでたう。お招き通りやって来たよ。」
「うん、ありがたう。」
「ところで式まで大分時間があるだらう。少し歩かうか。散歩すると血色がよくなるぜ。」
「さうだ。では行かう。」
「三人で手をつないでかうね。」ブン蛙とベン蛙とが両方からカン蛙の手を取りました。
「どうも雨あがりの空気は、実にうまいね。」
「うん。さっぱりして気持ちがいゝね。」三疋は萱の刈跡にやって参りました。
「あゝいゝ景色だ。こゝを通って行かう。」
「おい。こゝはよさうよ。もう帰らうよ。」
「いゝや折角来たんだもの。も少し行かう。そら歩きたまへ。」二疋は両方からぐいぐいカン蛙の手をひっぱって、自分たちも足の痛いのを我慢しながらぐんぐん萱の刈跡をあるきました。
「おい。よさうよ。よして呉れよ。こゝは歩けないよ。あぶないよ。帰らうよ。」
「実にいゝ景色だねえ。も少し急いで行かうか。」と二疋が両方から、まだ破けないカン蛙のゴム靴を見ながら一緒に云ひました。  ー本文よりー

カン蛙、ブン蛙、ベン蛙という三びきの蛙は年も同じなら大きさもたいてい同じで、この夏も暮れ方に仲良く大空を見上げて雲見をというのをしておりましたが、カン蛙が知恵を絞って格好良いゴム靴を手に入れたことから三匹の関係が変わって来て・・・というお話です。

「お祝い事を心から喜べるのが本当の友達」と、若かりし日に年長の方から聞いたときに「なるほどなぁ」と思いました。悲しい出来事に寄り添うことは、素直に気持ちに共感が沸き起こりやすいのですが、それまで同じ学び舎だったり同僚だったりの結婚や転職、人生の輝かしい節目に100%混じりけなく喜ぶことはできるでしょうか。寂しさや羨ましさ、それから嫉妬心も。

この蛙たちとて同様で、格好良いゴム靴を手に入れてどんどん人生が変わっていくカン蛙を見て、いじわるな気持ちが沸き起こります。結婚式の当日朝に神父を連れて、新しいゴム靴が傷だらけになりそうな萱の刈り場へ。それが上述の場面です。

ベン蛙とブン蛙の企てにより、カン蛙はかわいそうな目に合いますが、最後はみんな揃って・・・・という結末に。どの場面も味があり、今から朗読箇所をどの部分にするか、かなり頭を悩ませています。

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