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【#16】この小説ってどんな話なの? って聞かれたら人が死ぬとしか言いようがねえんだ【ドアD】

 人が死ぬとこ見るの好きか~~~~~~~~~~????
 じゃあ山田悠介読もうか~~~~~~~~~~!!!!

 いや、実際山田悠介読むときの感情ってわりとこれじゃあないっすか?
 そんなわけで今回紹介するのは、山田悠介の小説だ。みんな読んでる? 山田悠介。
 確か中学生ぐらいの頃【注・僕が誕生したのは2019年1月、つまり今から4年前のことであり、本体の腕が千切れて産まれた不思議な生き物である僕に、当然のことながら中学生の頃・・・・・なんて存在するわけがない。これは本体が中学の頃の話である】にかなり読んでいた記憶がある。
 当時の僕は今よりもっとホラーが苦手で、今よりもっとピュアだったので『殺人鬼フジコの衝動』を本当のことだと思って検索をかけたりしていたし、『リアル鬼ごっこ』というものを知ってはいたけれども、映画をちょっと観て、冒頭の上半身と下半身を切断されるシーンで恐くなって観るのをやめたりしていた。

 しかし時が経つというのは恐ろしいもので、あるいは中学生というものは残虐なものを『素晴らしいものだ』と思ってしまう年頃というもので、『胃袋を買いに』とか『壊れた少女を拾ったので』とか、そういうタイトルの本ばかりを読むようになった。ちなみに『胃袋を買いに』は別に残虐な話ではなかった。はずだ。
 そんな残虐大好き少年であった僕――というか、本体少年が山田悠介に出会うのはそんな難しいことではなかった。

 山田悠介と言えば『リアル鬼ごっこ』でデビューした、人が死ぬ小説ばかり書いている作家である。
 どれぐらい人が死ぬかと言えば、僕の覚えている限りでも
『リアル鬼ごっこ』人が死ぬ
『@ベイビーメール』人が死ぬ
『親指探し』人が死ぬ
『あそこの席』人が死ぬ。あと確か女装男子が出てくる
『パズル』確か死んでた
『8.1』人が死ぬ
『×ゲーム』人が死ぬ
『Aコース』人が死ぬ
『Fコース』人が死ぬ
『ライヴ』人が死ぬ。これの映画化が角川文庫65周年記念作品で、KADOKAWAと電通が関わってる売る気満々なやつだった。これを?
『ブレーキ』人が死ぬ
『スイッチを押すとき』人が死ぬ。命の大切さを教えたかったらしいが、これで知れるかなぁ
『レンタル・チルドレン』まあ死ぬっちゃあ死ぬ
『スピン』忘れた。バスジャックものだってことは覚えてる
『特別法第001条 DUST』人は死ぬ。これが一番好きな気がする
『ドアD』人が死ぬ
『オール』死なない
『パラシュート』人が死ぬ
『パーティ』確か死んでない。忘れた。山登りしてた
『その時までサヨナラ』死んだっちゃあ死んだだけどそういう死ぬではない
『モニタールーム』人が死ぬ。なんか他の小説と世界観が接続されている
『ニホンブンレツ』人が死ぬ
『キリン』人は死なないが精子を見て興奮するおっさんは出てくる
『復讐したい』人が死ぬ
『アバター』人が死ぬ
 ……とまあ、僕というか本体少年が読んだ著作を思いだしてみた限りでもこんな感じで、現在の僕の『人が死ぬととても楽しい』という感情をつくりだした遠因とも言える作家である。最近はさすがにこの作風はつらいのか、『僕はロボットごしの君に恋をする』という小説を書いている。
 そんな山田悠介の小説の中から、今回は一つ、分かりやすい山田悠介を紹介しよう。
 それがこれ。

 ドアD
     【山田悠介】

 内容をざっくりと説明しよう。

 ”目を覚ますとよく分からない部屋に閉じ込められていたテニスサークルの面々。中央にボタンがあり、ボタンを押している間だけドアが開く。
 そんな部屋に突如水が流れてきた。このままでは沈没してしまい、全員溺死してしまう。生き残るためには、誰か一人がボタンを押し続けないといけない……”

 という感じ。ツイッターのプロモーションで流れてきそうだな! 山田悠介は徹底的にエンターテインメントを提供する。というスタンスを貫いている作家なんだけど、人間ってやっぱこういうもんをずっと求めてんだな。というのがよく分かるな。人間ってやつは愚かだぜ……。

 そんな風に、よく分からない場所でよく分からないけど人が死ぬ小説。それが『ドアD』だ。

 煙が完全に消えたところで、出口の扉がカチリと音を立てた。
 一人が死ねば鍵が自然に開くという、人を人とも思っていないその機械的な仕掛けに、優奈は怒りとともに恐怖を覚えた。

ドアD(幻冬舎文庫)P.101

 ちなみに本作。
 第一の部屋と第二の部屋は「誰かがボタンを押し続けないとドアは開かないので、全滅したくなければ誰かが残らないといけない」という仕掛けを採用しているにも関わらず、第三の部屋を迎えてからは「一人が死ねば鍵が自然に開く」という仕掛けを採用するようになる。
 第一と第二はなんだったんだよ。という話ではあるが、第一では「仲間想いの好青年」が死に、第二では「その彼女が彼氏を想いながら」死ぬので、なんかそういうシチュエーションを書きたかったんじゃあないかと考えられる。本作、なんだか妙に心情描写というものをやろうとしている節がある。

 一体、仲間を何だと思っているのだ。
 ここまで卑怯な男、見たこともない。

ドアD(幻冬舎文庫)P.48

 これは僕がこの小説で一番好きな描写。三人称がキレるな。
 まあともかく。
 そんなシチュエーションは第三の部屋の「爆発するショタ人形」でなかったことになり、第四の部屋の「砂に沈む部屋」で『誰かが死ぬ必要がある』であると確定される。

「いい加減分かるだろう。必ず一人が犠牲にならなければ、扉は開かない。もしあいつを助ければ、どうなるんだ? お前が落ちるのか?」

ドアD(幻冬舎文庫)P.120

 セリフでもそう言ってるからな。そういうことなんだよ。「誰か一人が残らないといけない」と「誰か一人が死ぬ必要がある」はわりと違うシチュエーションじゃあないか? そんなことは気にしないでいこう。どうせ僕らはこいつらが死ぬのを読みに来たんだから……。

 山田悠介の小説の特徴として、人が死ぬというシチュエーションを産みだすためにかなり突飛なシチュエーションを重ねるというところがある。
 一番分かりやすい、多分皆読んでいるであろう『リアル鬼ごっこ』は人が死ぬというシチュエーションにするために、「自分の名前が佐藤で、それが日本で一番多いのが許せないから削ろうと考える王さま」というシチュエーションを重ねている。
 例えば『スイッチを押すとき』は人が死ぬというシチュエーションにするために、「押すと自分の心臓が止まるスイッチを渡されている子供」が出てくる。なんすかねそれ。分かんないっす。
 そういう意味では、本作は非常に分かりやすい山田悠介入門作品になっている。なにせ、本当に「部屋に入る→誰かが死ぬ→次の部屋に行く」を繰り返すだけなのだから。そういう人が死ぬシチュエーションを用意しているだけなのだから。

 ちなみにだが、当時の山田悠介作品では「俺たちの戦いはまだまだこれからだ!」エンドがたまに見られていた。本作も俺たちの戦いはまだまだこれからだ! エンドである。なんでこのシチュエーションでそんなオチにいけるのか気になる方はそれ目的で読んでもいいかもしれない。


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