みこたんの火事場の馬鹿力

神経症が大学入ると同時にひどくなり、本当につらかった。
父親のようになってしまうんじゃないか、とおびえるような気持ちだった。
父親と同じ心の病だなんて知られたくなくて母親にも隠していた。なんでもないように振舞っていた。

当時はまだ心の病に対する偏見がすごく強くて、なかなか医者にかかる気になどなれなかったのだけど、あまりにもつらくて、たしか大学4年の時、意を決して精神科のクリニックに行った。
とても良い先生で、話終わるとすごく気持ちが楽になった。薬は処方されなかった。
続けたかったけど、親の目を盗んで通うのが難しいこともあり、1回きりでやめてしまった。

その後、知り合いから良い医者だと教わったと嘘をついて、父親も同じクリニックに行かせた。
普段と違う明るい表情になって帰ってきたが、1時間位かかる場所で乗り換えも多いし、父親の症状のひどさでは通うのが大変だったみたいで、やはり1回でやめてしまった。

そんな中、ある日のこと。
母親が私の部屋に来た。ある紙を持って。役所からくる、医療を受けた記録を確認する書類だ。
私の名前で精神科クリニックの記録があったのだ。
幸い、その書類は、全ての記録を網羅しているわけではないものだったので、私はとぼけて、父親のが間違えてきたんじゃないの?なんて言った。母親は納得してなかったけど、そんなにこだわらずに引き下がっていった。

私はあせった。まさかそんな書類が送られてきているなんて知らなかった。このままでは済まないような気がして、切羽詰まった気持ちになった。

翌日、雨が降りしきる中、普通に大学へ行くふりをして、傘をさして自転車に乗り、役所へと向かった。

役所に着くと健康保険の担当課のところで、私は泣きついた。
こういう書類がきたけど、私がこのクリニックにかかったことは家族には隠している、絶対に知られるわけにはいかない、と。
そして、今思うと自分でも信じられないことをお願いした。父親も同じクリニックに行ったことがあるので、この私の名前の記載は間違いだったと電話をしてくれと。
もちろん役所の人はそんなことはできないと、断られた。
でも私は食らいついた。どうしても知られたくない、困るんです、なんとかお願いします、と。繰り返し繰り返しお願いした。私は必死だった。なりふりかまわずだった。

担当者は奥に行って何か相談していたようだけど、部下らしき人に何か伝えていた。そして、その人が電話の受話器をとり、話し始めた。はっきりとは聞こえなかったけど、なにか間違いを謝っていた。担当者が戻ってきて、特別に対応してくれたことを告げられた。

やった!よかった!
これでひと安心!

大仕事を終えて、急いで大学へと向かった。

帰宅すると母親が、役所からあれは間違いだったと言ってきたよ、と言った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?