うつ病から上機嫌な日々へ

「うつ病は『薬』では治らないんじゃないか?」 2年間通院して疑問に感じ、『薬』をやめて…

うつ病から上機嫌な日々へ

「うつ病は『薬』では治らないんじゃないか?」 2年間通院して疑問に感じ、『薬』をやめて20年以上たちました。 転地療法として『田舎暮らし』を決断し、2011年に家族で移住しました。 移住は大成功『うつ病』以前よりずっと幸せを感じる毎日を手に入れ『上機嫌』に生きる私のリアルです。

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『うつ病』の薬をやめて寛解へ

はじめまして。 私は、うつ病と診断され2年間心療内科に真面目に通い薬もキチンとのみました。 通院一年目は 「死にたい」「消えたい」そして「早く治りたい」の繰り返し、 ベッドで寝たきりの日々が続くと過去の出来事ばかり思い出しては自分を責めて苦しんでいました。 それでも一年の半分は異常にテンションが高くなり仕事も出来ました。 通院二年目になると バイオリズムに注意を向け、排卵周期や季節と落ち込みの関連のデータをとったり出来るようになりました。 通院3年目に入る前の診察日にデータを

    • 完治・寛解って?

      ・何もしない ・ぼーっとする ・ゆっくり動く ・無言で居る うつ病以前の私には出来ないことだったけど 今は全部、カンタンに出来るようになった うつ病になってからも長い間 以前のようにサッサと動く・受け答えは早く、ハキハキ話すが正解で それが出来ない私はダメ人間なんだと自分を責めていた うつ病を時間がかかっても薬に頼らずに治すと決めたときに 『以前の自分に戻ることが完治・寛解』 だと定義していたと気づいた それで新しい定義を作った 『今までと違う自分を受け入れることが

      • 話し過ぎに注意

        軽い躁状態が続いているが ・出来るだけ旦那に話しかけない ・波乗り以外で外に出ない ・ネットで買い物しない ・動きたくてムズムズしたら掃除する の実験を継続中 波乗りに外出すると、旦那以外の人と話すし、旦那以外の他人の行動を目にすると色んな感情が湧き上がって心のざわつきを感じる そして、つい最近 私を試すように知人のエゴだらけの行動を目にする事が有った その場では、すぐに目を逸らし、フォーカスしないことに成功したが、翌日、その件を旦那と話す機会があった その時は、

        • 躁転が怖くなくなった

          軽い躁状態の現在 ・出来るだけ旦那に話しかけない ・波乗り以外で外に出ない ・買い物しない ・動きたくてムズムズしたら掃除する を実験中の話 2018〜2021の間に身の周りに大きな変化が続き、忙しく対応をしている間は鬱の落ち込みが緩やかで、どちらかというと躁転している期間だった 躁転すると【無敵感】が私を支配しギアがトップに入った状態になる それまで何度も経験していて、それが【躁転】だとわかっているはずなのに、渦中にいるときはガンガン飛ばしてしまう そして202

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        『うつ病』の薬をやめて寛解へ

          コントロールを手放す

          『うつ病』になって自分の考えの偏り具合や、反面教師のはずの母親の思考をトレースしていること、価値観が全く違うと反発しながらも両親に認めてもらいたい・喜ばせたいと努力していたことに気づきました。 たくさんの気づきの中でも衝撃的だったのは『自分すら自分ではコントロール出来ない』と知ったことです。他人をコントロール出来ないことは部下を持ったことや結婚したことで腑に落ちていましたが、自分は自分の努力でコントロール出来ると思っていました。 よくよく考えてみると『うつ病』という『病』

          コントロールを手放す

          マイペースで無敵になる

          眠くなったら寝る生活をしています。 正確には横になりたかったらすぐ横になる生活。 『休みたいと感じたら休む』と決めたから出来る技で、何よりもマイペースを守ることを優先して生きることが私にとって必須だとわかったからです。 今の私なら会社のデスク前にいても、会議中でも目を開けたままで思考を中断させる技を発揮する自信が有りますし、そのほうが実は仕事のパフォーマンスが上がることを知っています。 脳や体のしくみを理解していない学校の先生や上司は「背筋を伸ばして椅子に座れ」とか、「ま

          マイペースで無敵になる

          深い話

          『うつ病以前』読書が一番の趣味でした、村上春樹が好きです。でも『うつ病』後は、ハイテンションの多動期に転じても村上春樹の小説は読めない時期がありました。 村上春樹の小説は心の深い部分を触られるような感覚になり、そこが他の誰とも違うと感じていました。エッセイはぷっと吹いてしまうユーモアに溢れているので読めそうですが、『うつ病』で生活が充実していない時期はフィクションしか読みたくありませんでした。 心の深い部分に触れるもう一つの方法は『深い話をする』ことです。 弱音や悩み、

          後悔と反省をしない

          『うつ病』の完治を目指していた頃、めちゃくちゃ辛くて・・・頻繁に死にたくなりました。躁に転じるとSNSや本の情報から、辛さの原因を探しました。そしてたどり着いた『自責思考』と『罪悪感』。 子供の世話を満足に出来ない母親・家事をしない嫁・目標に向かって頑張れない弱いヤツ・家の空気を暗くする根源・年老いた両親に心配をかける悪い娘・・・自分を責めることには事欠きません。上手くいかない全ての原因が自分に有ると考えてしまう癖を持っていました。 そのうち『自責思考』って相当おこがまし

          絶望してあきらめた その先

          いつ絶望したんだっけ?とアメブロを遡ると2018年1月24日に同じタイトルの記事がありました。書き残してくれた過去の自分に感謝です。 『為せば成る為さねば成らぬ何事も』母の好きな言葉です。要は頑張れば何でも出来るはずだ!もっともっと頑張れ!努力が足りないんだ!と言われ続けた子供時代でした。『うつ病』前までこの言葉を完全に信じていた自分に気づきました。 『結婚なんてくだらない。子供なんて産まずに、仕事をして稼いだ方がよっぽと幸せになれる』そんなことを口にする人でしたから、私

          絶望してあきらめた その先

          女に生まれて良かった

          自分が母親になってから幼い頃の実母を思い出すことが多くなりました。こんなに世話をしないと子供は育たないことを実感して、今までにない感謝の気持ちが湧いたのは想定内でしたが、娘への溢れる愛しさや世間や先祖に対する感謝のような、えも言われぬ幸福感を、母は感じていなかったんじゃないかと考えるようになりました。 私には三歳上の姉がいます。父は大工職人から親方となり工務店の社長でもありましたので自分の仕事を継ぐ男子の誕生を渇望していました。私を妊娠中の母は男子を妊娠しているといわれる全

          女に生まれて良かった

          命の母 事件

          ひきこもっていますが 今日も 笑顔と感謝で すごしています 会うのは 主人と娘と猫だけですが・・・ 笑顔だけは プレゼントできます どうして こんな風になるのかなあって 考えずに過ごそうとしていますが それでも 気付いたら 考えています そんなときは 「生きてるだけで 儲けもの」と 声に出して 追い払います 久しぶりに 窓から見る空に 雲が沢山ありました このところ 真っ青な空が続いていたので なんだか 嬉しくなりました 雲が有る方が 夕焼けが綺

          行き当たりバッチリ

          『うつ病以前』夢を叶えるために計画性を持って努力するのが好きで10分前行動が身についていてアポイントに遅れたことはありませんでした。仕事以外でも時間管理にはこだわっていました。夫がその正反対の時間の中で生きているとわかったのは、結婚してからです。付き合っている頃はデートプランはバッチリで遅刻もありませんでした。努力していたんでしょうね。 仕事も家事も、よーいドンとタイマーを押してスタートさせるタイムトライアルをして楽しんでいました。新卒で配属されたのが生産管理部門だったこと

          行き当たりバッチリ

          強運の持ち主

          赤ちゃん(娘)が笑っていても・泣いていても・寝ていても・天井をただ見てるだけでも見飽きることはありませんでした。『落ち込んで動けない』私はとにかく隣で寝ているだけですから、『うつ病』のお陰でこんな幸せな時間がもてるんだなあなんて呑気に考えたりしていました。母乳を与えオムツを替え沐浴させるなどの世話は出来ました。 自分のことも娘のことも、命に必要な最低限のことが出来るのは、とても不思議な感覚で、どうでもいいことを絶対に必要なことだと思い込んでいたことに気づきました。 お腹が

          『早くしなさい』を言わない子育て

          私は両親からも取り巻く世間からも「人生は短い」「時間を無駄にするな」と教えられて大人になった1963年生まれです。10歳頃から生きづらさを抱えていて『早く家を出たい、早く大人になりたい』と思っていました。 未来に希望を持つことで気に入らない生活環境に耐えていたせいでしょうか、ずっと年を重ねることを喜んでいました。それは来年還暦を迎える今でも変わりません。同級生との会話には加齢についての不安話が多く出ます。私がひねくれているのかもしれませんが、自分のシミだらけの顔や染めていな

          『早くしなさい』を言わない子育て

          ストレスの正体

          『うつ病』と診断された日のことをよく覚えています。病名を告げられる前の不安な日々に終止符を打ってもらって、これからは元の生活に戻る為に治療に専念すればいい。そう思ってホッとしました。 テンションの高い実家の生活から解放されたはずなのに、静かな環境の中に暮らす自分は『テンションは高い方が良い』と思っていました。マルチタスクをこなすよりも何かに集中して向き合う人を『根暗』『オタク』と揶揄する気持ちを持っていました。実家が嫌いなのに自分の育ってきた環境は肯定したい矛盾の中にいたこ

          裏切り・・・価値観のちがい

          28歳で結婚すると義実家と比べて実家のテンションが異常に高いことに気づきました。声が大きい・会話が多い・家族以外の人が頻繁に出入りする・冠婚葬祭が盛大・・・とにかく落ち着かない家でした。 結婚生活を始めてから自分の求めていた生活環境が・プライバシーを尊重される・自分の時間が守られる・ハレの日(冠婚葬祭)よりもケの日(日常)を大切に感じるなど、実家とは正反対だとわかりました。無口で多趣味な夫との暮らしはそれを実現していて心地よく、無意識にそういう生活ができそうな人を結婚相手に

          裏切り・・・価値観のちがい