見出し画像

ばいばい

いつもより、少しだけ早く保育園のお迎えに行った。
自転車に乗って、踏切を渡り、入ったことはないけれど地元では有名なうどん屋さんの前を横切り、思わず通り過ぎてしまいそうな田んぼの中の細い道を左に曲がって保育園に着いた。保護者にとっては少し狭くて気を遣う駐車場も、自転車だったらなんのその。いつもは延長保育ギリギリの時間に飛び込んでいるから車も少ないけれど、今日の駐車場はそれなりに賑わっている。

玄関を抜けて、広い廊下を歩く。一昨年建て替えされたその小さな園舎は、入るといつもふんわりと木の香りがして心地よい。子どもたちが砂のついた足で駆け回るものだから、夕方になると足の裏がざらざらするけれど。私が歩いているその間も、息子より少し年齢が上のお兄ちゃんお姉ちゃんが、どこかにエンジンがついているの?と聞きたくなるようなスピードで駆けていった。

廊下の突き当たり、一番端の教室が、息子が通う2歳児クラスだ。
いつもは残っている子どもたちが先生の周りに集まり、絵本を読んでもらったりおもちゃのブロックで遊んだりしているけれど、今日は誰もおらず、しんと静まり返っている。まだお外で遊んでいるようだ。持って帰る荷物をまとめてから運動場に迎えに行こうかとも思ったけれど、息子が荷物のまとめをしたがるかもしれない。とりあえず運動場の様子を見ることにした。

17時過ぎでもまだ暖かく、子どもたちは思い思いに水を触ったり、砂場で穴を掘ったりしている。所々でお迎えに来た保護者の方が、「そろそろ帰ろうよ~」と促しているが、結局どちらかというと遊びに巻き込まれている。
息子の姿を探し、遠くに視線を移した。今日初めて着用した、車のイラストがプリントされた黒色のTシャツと、産直市場の手作り布小物コーナーで何となくかわいいな、と手に入れたちょっと独特の風合いの帽子が目に入った。一人で、何をするでもなく、指を咥えて立っている。疲れたのかな?名前を呼んで手を振るも、リアクションはない。けれど顔がこちらに向いているから、どうやら気づいているらしい。
「おつかれさま。迎えに来たよ。」
息子のもとに行き、しゃがんで目線を合わせると、指を咥えたままにんまりと笑った。いつも通り、鼻の下には拭われることなく数時間たったであろう鼻水が、カラカラに乾いてへばりついている。
「えきほういくのー。おうちかえる。」
私が迎えに行ったときは、帰りに自転車で線路沿いを走り、駅の近くを通るようにしている。列車が大好きな息子は、いつも「とっきゅういるかな~」と言って列車の発着を待ちわびていて、時間の概念ができたらとりあえず時刻表を渡してみようかとすら思っている。
早く帰りたいんだね。やはり早めに行けたといっても夫のお迎えよりは時間が遅いため、少し疲れただろうか。だっこ、だっこと両手を広げるお決まりのポーズをする。11キロを越えた2歳児は、また指を咥えて仕事終わりの私に全体重を乗せる。随分ずっしりしたなぁ。

運動場で子どもたちと一緒になって遊んでいた担任の先生に今日の様子を聞いていると、まだ残っている同じクラスの女の子が2人やってきた。
そのうちの一人が、息子が保育園でゾッコンの女の子だった。
お散歩に行くときに勇気を出して手を繋ごうとするもののつないでもらえないとか、先生に「●●ちゃんいるね~あそんでるね~」とボソボソ言うものの話しかけられないとか、母にとっては少し意外な、でも期待通りちょっと残念な息子のエピソードに毎度出てくる子だ。かと思えば、先日の親子遠足ではその子のお母さんに「うちの子、最近家で〇〇(息子の名前)くん~ってよく言うんです。」とこれまた意外な報告を受けたから、相手にされていない、ということでもないようだ。どちらにせよ、いつも遊んでもらっているらしい、小柄でかわいい女の子だった。

「〇〇くんばいばい」
女の子が、抱き上げられている息子の方を見て手を振ってくれた。
お、ばいばい言ってくれたよ。〇〇もばいばいしようか。
いつもは、声をかけても目を逸らして何もリアクションしない。そしてお友達がいなくなって、私と二人きりになった頃、「●●ちゃんばいばい」とつぶやく。
●●ちゃんいるときにばいばい言おうよ~そしたらお話しできるよ~
これまで何度も息子にかけてきた言葉が今回も口をついて出そうになったとき、私の腕の中で、息子は恐らく初めて相手の子の目を見て、「●●ちゃんばいばい」と言った。手を振る動きもつけながら。
お!!ばいばい言えたやん!思わず興奮して私は抱っこしている息子に顔を近づけた。息子は少し照れくさそうに、そして得意気にニヤリと笑った。女の子も返してくれた。息子よ、思いが届いたぞ。喜べ喜べ。

 園舎を出るまでに、担任の先生を見つけて、さっきよりはっきり大きな声で、「せんせいばいばい」と言った。最後に、ばいばいいうの、と職員室に向かった。(これは私が止めたけれど。止めなくてもよかったな。)

帰り道は、約束通り駅の方に回って汽車を見て、駅構内のエレベータに乗った。いつの間にか、背伸びをすれば、エレベータの中の車いす用ボタンに手が届くようになっていた。他のお客さんが降りてから、息子は堂々とエレベータを降りた。帰ってからも、●●ちゃんばいばいしたの、と幾度となく私に報告してくれた。

「ばいばい」を言えた息子の横顔が、少しだけ大人びて見えた。




この記事が参加している募集

#育児日記

49,725件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?