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パンと聞くと飛び起きる息子のおやつは愛のズボラパン

2週間前に、息子と参加した講演会の昼休み。参加者の一人の方が、愛たっぷりのおいしパンを差し入れてくれた。

一体、これだけ準備するのにどれだけかかったんだろう??と思うような量と種類で、パン作りなんて小さい頃に母親と専用の材料キットを使って作った覚えがあるくらいの私には、その行程すらあまり想像ができなかった。パン屋さんというのはとってもテンションの上がるところだけれど、パン作りは手間のかかるもの、センスがいるもの、特別な材料がいるもの、ホームベーカリーがいるもの、そんなイメージをずっと持っていた。

作ってきてくれた、4児の母である学校の先生が「これ、めっちゃ簡単なんです!」と何度も言っているのを聞いても、正直最初はそんなもんかなあと半信半疑だった。でも同時に、もしできそうなら作ってみたいな、パンが大好きな息子と一緒に食べたいな、という思いも確実に持っていた。

講演会後、その勢いそのままに、やってみたい!を叶える企画(勝手に命名)としてパン講座が開催されることになった。迷わず申し込んだ。先日のお礼、やってみたい!を応援する気持ち、それを叶えている姿を拝見してエネルギーをもらいたい気持ち、などなどいろんな思いで受講したパン講座。作り方を聞いた印象は、
・え、材料そんな少なくていいの?ドライイーストだけ買えばいいの?
・材料の分量、そんな幅持たせられるの?
・行程そんな少なくていいの?
・そんな短時間でできるの?
など、とにかくにわかには信じがたいほど簡単だった。しかもそれは、講座を開いた方が学んだ知識をアレンジして、分量は一定の幅なら調整可能、手順も極限まで工程を減らして作るハードルを下げたものだと聞いて、子どもをもつ保護者に対しての、というよりはパン作りにハードルを感じる全ての人への究極の愛だと思った。

講座が終わって、さっそくその日にドライイーストを買い出し、恐る恐る粉をはかったり、混ぜたり、発酵を待ったりした。普段こういった作業に慣れていなさすきて、少し時間がかかったり粉がそこらじゅうを舞ったりしたけれど、概ね満足。慣れればスムーズにいく、というのも何となくわかった。そして、本当にできるのか?と何度も確認しながら焼いたパンはあっという間に完成した。このパン(題して、ズボラパン)、特に焼きたてが本当においしい。まさか家にある材料を中心に、工程を簡単にしているとは信じられない。おぉ、この私がパンを作れたぞ。万歳。

前回の試作で味を占めたことから、今日は息子を巻き込んで挑戦した。
昨晩、「明日はかーちゃんとパンをつくろうか」と話したことを息子は覚えているのか、朝起きるときに「パン」とつぶやいた。
先日、見切り品のバナナがスーパーに大量に置かれているのを見て、これをパンに簡単に混ぜたいなあ、と思ったことから始まった、2回目のパン作り。息子は生地を最初にぐるぐると混ぜる過程をすすんで手伝ってくれた。しかし、粉が舞ったりドライイーストを開けられて残りの分が少し床にこぼれたり、息子と作業すると1分に一度くらいのペースで何かが起こる。大きな紙を敷いて粉がこぼれてもいいようにする、触ると話がややこしくなりそうなものは最初からしまっておく、など、互いに心地よく作業できるような環境づくりが足りなかったなあと、そこは反省点である。
母にわーわー言われながら、息子はボールに入れた粉類と水分を混ぜてくれた。本当は成型の過程が一番楽しいのだろうけれど、今日は恐らく息子のお昼寝中に私が済ませてしまうので、またの機会に。

朝方に生地を15分ほどで作り、寝かせたうえでレーズンとバナナを埋め込み、成型した。最後は魚焼きグリルを使ってこんがりと焼き、これで完成。ふむ、今回も慣れない私が作ったにしては上出来だ。

お昼寝からなかなか起きない息子に、「おやつにパンあるけど食べる?」と聞くと、ぱっちり目を開けて「パン」とつぶやき、身体を起こした。パンの効果、絶大である。
両親よりも大きい焼きたてパンを息子に渡す。「おっきいパン!」と笑って食べようとするものの、熱くてかじりかけては離し、を繰り返している。
少しだけ小さめにちぎると、そこからがぶりとして、満足げな表情を浮かべた。
そして、最後に少しだけ、私と夫に分けてくれた。

さて、次はどんなアレンジをしようかな。息子は成型をしてくれるだろうか。生地を食べてしまいそうな気もする。まあそれも含めて楽しむとしよう。

このパンは、愛のズボラパンである。

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